第25話 ニーアは語る

 ……今日もまた、ノヴァ・ゼナリャの赤茶けた大地に夕日が落ちる。

 その影の中を蠢く人の群れがある。葬列だ。


 ニーアと恋人のアンドレイは、作業の手を止めてそれを見つめる。ニーアはいつものように黙祷をささげようと目を瞑ったが、苦虫をかみつぶしたようなアンドレイの声にはっ、と目を開けた。


「今日もまた工事で誰か死んだか……すべては、指導層の無茶苦茶な計画のおかげだ」

 ニーアはそのアンドレイの厳しい口調に曖昧に頷く。だが、アンドレイの次の台詞は彼女の心臓を穿つのに十分なものだった。


「ニーア、僕はもう我慢できない。近いうちに、僕は地球世代と一戦構える。この星の開拓の主導権を、僕たち宇宙世代の手に引渡させるために」

「アンドレイ……?」


 ニーアはアンドレイの突然の激白に耳を疑った。だが、アンドレイの瞳は怒りに暗く燃えている。

 ……彼は本気だ……。

 ニーアはごくりと唾を飲み込む。それでも喉がからりとすぐに渇く。

 ……そして、暫しの沈黙のあと、アンドレイはニーアの顔を覗き込むと、こう言葉を爆ぜさせた。


「ニーア、君は地球世代の代表者である「偉大なる開拓者グレート・パイオニア号」の船長の娘だ。君が難しい立場になのは分かっている。戦いが始まれば、間違いなく君と僕は敵同士になるだろう。だから、どうかお願いだ。僕についてきてはくれないか」


 ニーアはアンドレイの言葉がすぐには理解できず、戸惑うように紫色の目を瞬かせた。だが、次の瞬間にはその真意を悟り、声を震わせた。


「それは、私にお父様を裏切れということ……?」

 アンドレイは無言で頷いた。ニーアは即座に叫ぶ。

「そんな……そんなことできない……!」

 するとアンドレイは哀しげに笑った。そうして、そうだよな、とばかりにゆっくり数度頷いた。

「だよな、ニーア、君は優しい娘だものな。だったら、今日こっきり、僕のことは忘れてくれ」

 そして、アンドレイはニーアの震える唇を、自分のそれと素早く重ねると、微笑んでこう言った。

「大好きだよ、ニーア。どうか幸せで、いておくれ」


 ……迫り来る宵闇のなか、その場から足早に去って行くアンドレイの後ろ姿を、ニーアはただ心の内を動揺させながら、見送るしかなかった。


 アンドレイを代表とする、宇宙世代の蜂起の知らせが、ノヴァ・ゼナリャの大地を揺るがせたのはその数日後のことだった。


 ◇◇◇


「……地球世代の指導層は、最初はさほど宇宙世代の蜂起を、重大視していなかったの。血迷った若者達の反乱、その程度の認識しか持っておらず、すぐに事態は沈静化すると、たかをくくっていたわ。だが、彼らの反乱は意外な速度で、乗員の間に広がった……。そして、本格的な戦闘がはじまるとその傾向は一気に拡大した。数ヶ月で戦局は反転、ついには地球世代の拠点が陥落するのは時間の問題となったのよ」


 ◇◇◇


 ニーアは家のなかでひとり震えていた。宇宙世代軍のキャンプへの進攻が始まっていた。銃声と悲鳴が響き、すえた血の匂いもどこからか流れこんでくる。やがて大きな砲撃音、次いでドアが派手な音と共に破られた。それとともに銃を持った若者達が家の中になだれ込んできて、ニーアは声の限りの大声で悲鳴を上げた。


「ここはジョン・アンダーソンの家だな? こいつはアンダーソンの娘か?」

「手込めにでもしたうえで、殺しちまえ、仲間への良い弔いだ」


 ニーアは武装した若者達に、家の外に無理矢理引きずり出された。白昼の路上にもかかわらず、数人の男たちが彼女の身体に跨っては、その白い肌を無遠慮に漁る。ニーアの歯は恐怖でがちがちと鳴り、抵抗することもかなわない。そのときだった。


「やめておけ!」

 大きな制止の声が飛び、男どもがはじけ飛ぶようにニーアの身体から離れた。おそるおそるニーアが起き上がってみれば、目の前にはアンドレイが銃を構えて息を切らし、立っていた。


「ニーア……無事か?」

 アンドレイは泥だらけになったニーアを助け起こす。だが、安堵したのも束の間のことだった。


「ニーア、君の父さんたちは、どこへ行った?」


 アンドレイは銃口をニーアの喉に突きつけて哀しげに問う。


「答えてくれないと、僕は、君を殺さなきゃいけなくなる」


 ニーアはさすがに即答できずに、再び全身を震わせたが、アンドレイの指先がかちり、と引金にかかるのを見て、泣き叫びながら、父の行方を吐いた。


「カトリーナ植林地よ……! そこで、戦線を立て直すって……!」

 すかさずアンドレイが頷くと、若者達が銃を掲げてその方向に駆けてゆく。その足音を遠くに聞きながら、ニーアはアンドレイの腕の中で気を失った。


 ◇◇◇


「……内乱は宇宙世代軍の圧倒的な勝利で終わったわ。だが、ノヴァ・ゼナリャの悲劇はこれからが本番だった。宇宙世代による地球世代の旧指導層の徹底的な粛清がノヴァ・ゼナリャの大地を血で染め、生き残った者には容赦ない強制労働が課せられた。だが、地球世代も完全に膝を屈したわけではなく、次第にテロやサボタージュが頻発するようになり、人口も急減し、植民作業は完全に滞り、秘密裏にノヴァ・ゼナリャを脱出するものも続出したの。それにつれ、ノヴァ・ゼナリャの凄惨な状況が少しずつ地球に漏れ始めたのよ。アンドレイをはじめとした宇宙世代の指導層は、徹底した情報統制を行い、それを制止したが、もはや、「偉大なる開拓者グレート・パイオニア号」の歴史の開拓は血を血で洗う大失敗に終わったと、後世に喧伝されるのは時間の問題だったわ」


 ◇◇◇


「僕は、機械手術を受けようと思うんだ」


 ある日アンドレイが、ぽつりとニーアに告げた。支配階級だけが住める緑の森にある、「偉大なる開拓者グレート・パイオニア号」の図書館を移設した書架の中でのことだった。本を繰る手を止めて、ニーアは耳を疑った。

 なぜ、と言う顔のニーアを見てアンドレイは寂しげに呟いた。


「僕はこの星のためによかれと思って、地球世代に戦いを挑み、勝利した。だが、結果として、ノヴァ・ゼナリャの開拓を失敗に追い込み、また、多くの人を殺した。僕は罪人だ」


 絶句するニーアを前にアンドレイは淡々と語を継ぐ。


「だけど、そんな僕だが、この星の開拓が惨憺たる結果に終わったと認めるには、死んでいった仲間に申し訳が立たないんだ。僕たちの反乱が、単なる血で血を洗う騒乱と後世に記憶されるのは、耐えがたいことなんだ。それだけは、僕らの矜持に賭けて許せないんだ……だから、僕は、機械手術を受けて、自分の身体をアンドロイドにしてでも、それを阻止したい。例えそれが、歴史の改竄と言われようとも……」


「アンドレイ……」

「……ニーア、君を巻き込んでしまって、本当にすまなかった。近日中に、この星から最後の脱出船シップがでると聞いている。総員、僕らの仲間も含めて、その船に乗るとの意志を表明している。だけど、僕はこの星に残る。このノヴァ・ゼナリャに残って、未来に書かれるであろう歴史を監視し、修正、もしくは削除し続ける。アンドロイドとして、寿命の限り……。だからニーア、君はその船に乗って、こんな馬鹿な僕から自由になってくれ」


 アンドレイは暗く淀んだ目で、ニーアを見つめ、笑った。

 だがニーアは頷けなかった。かわりに、ニーアは大きく息を吐くと、覚悟を決めて、アンドレイに答えた。


「私、この星に残るわよ」

「……え?」


「……私、あなたに付き合うわよ。私も機械手術を受けて、何百年か分からないけど、馬鹿なあなたと一緒にいるわ。私は、この書架にある本をずっと読んで暮らせるなら、その仕事があるなら、退屈しないわ」


 ニーアはアンドレイの両肩に手を掛けると、思わぬ彼女の答えに涙をこぼすアンドレイを抱きかかえ、耳元で囁いた。


「……私も自分を罪人と思ってるのよ、あなたと同じく……」


 ◇◇◇


「……こうして私たちは、アンドロイドになったの。そうして私たちは、最後の船を見送ったの。ふたりきりになってから、私は日々、特殊に機械化された身体で朗読を行っては、本を電子化したわ。一方、アンドレイは、労苦のすえに、地球の中央図書管理局のホストコンピュータのハックに成功したの。そして、全宇宙の「偉大なる開拓者グレート・パイオニア号」に関する本を監視し、もし不都合な事実が書かれた電子書籍があれば、すぐに改竄、または削除する日々を過ごした」


「……だけど、ひとつ、当てが外れたの。術後の経過が悪くてね、アンドレイは、それから9年後に死んでしまったのよ。そう、こんな言葉を遺してね……」



 ……ニーア、どうかお願いだ。僕の仕事を引き継いでくれ。誰かかわりの人間が、このノヴァ・ゼナリャに降り立つその日まで……ここを、僕たちの歴史を、護ってくれ! 残酷だと分かっていて、こんなことを頼む僕を許してくれ……!

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