我は女神と心中す

つるよしの

永遠の白のなかで

 目が覚めた。


 窓の外では降りしきる白い雪の粒が、風に舞い、ひゅーひゅーと音を立てている。隙間風が、窓辺にある花瓶に挿された、名も知らぬ白い花の花弁を揺らす。

 俺は、それを見ながら、自分の呼吸音みたいだなと思った。まさにいま、俺の呼吸もそんな音をしているのだろう。


 次いで目を、部屋の中に向ける。これまた真っ白い部屋には、医療器具の数々、そして俺の身体の各所に繋がっている無数の管が目に入る。音はと言えば、器具からの、モニターの規則正しい信号音のみが響き渡るのみだ。まったくもって、なにもかもが無機質な部屋。俺は、苦しい息の下から、小さく、熱を帯びた呼吸を吐いた。点滴の瓶の中の液体が微かに揺れる。ああ、俺はまだ生きている。だが、あと、どれほどの命なのか。長くはないとは自覚している。だが正確な時間は分からない。いったい、俺にあとどれだけの時間が遺されているのか。


 ……分かりようがない。


 ただ、は知っている。今の俺の命を握っている、あいつには分かる。

 そう思っていると、あいつが、食事のワゴンを押しながら部屋に入ってきた。

 俺の担当である、女性看護士だ。彼女は、ワゴンを部屋に入れるや、微笑みながら俺に言う。

「オスカー、夕食の時間です。食事の補助を致しましょう、ベッドを半分起こしますね」

 途端にベッドはリクライニングされ、俺の痩せこけた身体を浮かす。俺は身じろぎもせず、無言でそれに従う。その間に看護士は素早く各モニターに目を走らせ、俺の病状に変わりが無いかをチェックしている。眉一つ動かさず。そしてそれを済ますと、湯気の立ったクラムチャウダ―の皿をトレイから手に取り、スプーンで中身をすくうと、俺の口に静かに差し入れてきた。俺はゆっくりと口を開け、それを飲み込む。美味い。身体に染み渡る。だが、同時に恐れの感情も湧き上がる。経口でこのように食事を許してきたと言うことは、これはいわゆる俺たち人間で云う「最後の晩餐」ってやつじゃないかと。

「アイリーン……」

「何でしょうか。食事の温度が口に合いませんでしたでしょうか」

「いや……。それはちょうど良いが……」

 俺はゆっくりと咀嚼しながら、俺の顔を覗き込む看護士……いや、アイリーンの美しい青い瞳を見つめる。

「俺はあとどのくらい生きられる? お前には分かるのだろう?」

「その質問に答える権限は、私にはございません」

「そうだよな。それを答えたら、お前は破壊対象になるからな」

「そのとおりです、オスカー」


 窓の外の吹雪は激しくなるばかりだ。冬に閉ざされたこの白い惑星では、それはどこまでも当たり前の光景ではある。だが、俺には、この病院に入院して半年あまり、見慣れること余りある情景だ。それでも、俺はこの白い雪をこの瞳が認識する限りは、見飽きることなく眺めていたかった。君と、眺めていたかった。

 そう、他でもない君とだ、アイリーン。


 植民が進むこの惑星にて、植民事業従事者のなかで、伝染病が蔓延し始めたのはもう数年前のことだ。次々続々と病に斃れる者が続出する中、それはこの惑星に寄生する新種のウイルスが引き起こすとすぐに解明されたが、一時は、この惑星のステーション居住者の64%がこの伝染病により死に絶えた。だが、それでも、政府は貴重な地下資源が眠るこの星の開発を諦めなかった。そして、今に至るまでこの伝染病の完全な治療法は確立されていない。


 ただ政府ができるのは、病に斃れた者どもを、すぐに治療施設に隔離させ、緩慢な治療を受けさせることのみだった。それでも問題はあった。医療従事者が治療に当たるうちに、この病に感染して命を落とす者が数多く出たのである。政府は、その対策として、この伝染病に当たる医療従事者を、すべてそれ専用に開発されたアンドロイドに差し替えた。


 彼ら彼女らは優秀だ。正確に、沈着に、プログラムされたとおり患者の治療に当たる。だが、それゆえのトラブルもあった。患者の病状を正確に分析することのできる彼ら彼女らは、その余命をほぼ間違いなく解析して認知できる。そして倫理観などない彼らは、度々、患者の求めに応じてそれを口にしてしまう。このため、治療施設では数多くの絶望した患者が首を吊った。現在はこれを防ぐために、アンドロイドにはその手の質問には答えてならぬというプログラミングされ、もし、それでもその種の発言を制御できない危険な個体は、破壊処置を執ることが決められているのだった。


 よって、俺担当の看護士のアイリーンも、医療従事用女性型アンドロイドだ。彼女のきめ細かい看護に俺は何も不満を持たなかった。それどころか、その美しい眼差しと柔らかな声音に心は癒やされ、彼女に対して愛情に近い感情を抱いてすら居る。

 だが、彼女の内心……心というものがあればの喩えだが……は、きっちりと俺の余命を把握しきっており、その上で治療に当たっているのかと思うと、時々、なんとも言えぬ虚しさと、彼女に対する愛憎が胸の中を覆う。彼女を憎んでも、詮無きことではある、それは分かっていたが。だが、見舞いに来る者もいない雪に閉ざされた施設のなか、管に繋がれ動くこともできぬままの俺が、日々、顔を合わせ会話する唯一の存在がアイリーンなのだ。俺の愛情、そして憎しみは、彼女にしか向けようがない。そして、俺は何時しかその慕情と憎悪ゆえ、こんなことを思うようになっていたのだ。どうにか、自分の余命を彼女の口から、聞き出してやろうと。そうしたら、アイリーンは即日、破壊処置を執られることになるだろう。


 どうせ俺は、程なく死ぬ。ならば、最後に意味あることがしたいと渇望する。だから、俺は降りしきる雪を眺めつつ、ベッドの中で懊悩した挙句、決めたのだ。アイリーンを「殺して」から、自分も死のうと。

 つまりは、俺はアイリーンと心中してやろうと決めたのだ。彼女を憎み、そして愛するゆえ。


 そう決めた日から、俺は手を替え品を替え、自分の余命に関する質問を繰り返した。だが、彼女の口から、その答えを導かせられたことは、今日まで、ついぞない。

 今日もアイリーンは俺の身体を拭く。そして食事と排泄の世話をし、薬を調合し、生命維持装置を点検し、操作する。そして、一通り俺の世話を終えると、最後に、窓辺の花瓶の水を替える。俺が死ぬまで続く、彼女にとっては永遠のルーティン。


 俺は焦っていた。自分の死期がそう遠くないことは、自らの身体に疼く感覚でなんとはなく分かるものだ。そして、日を追うにつれ、俺のその感覚はひりひりと体内で大きさを増す。このままでは、アイリーンを殺すことも叶わず、俺は死んでしまう。そうしたら、アイリーン、俺の美しいアイリーンは、ただ俺の遺体を機械的に片し、そして、他の新規患者の担当になる。それは想像するに耐えがたいことであった。

 

 ……どうかアイリーン、俺のものだけで居てくれ。永遠に、俺のものだけになってくれ、アイリーン。その白く透明な人工皮膚、その人工毛の茶色く長い睫、人工網膜の青い虹彩。俺の女神よ、その美しい全ては俺のものだ。誰にも渡しはしない。



「なあ、アイリーン、俺はあとどれくらいで死ぬのか?」

「オスカー、それを答える権限は私にはありません」

 今朝もいつものやりとりが続く。俺の身体を拭きながら、美しい顔にアイリーンは微笑を浮かべそう答える。だが、今日はいつもとなにかが違った。アイリーンの動きになにやら違和感を俺は感じていた。なんというか、動きが鈍いというか、そんな気がしたのだ。

「アイリーン、調子が悪いのか」

「そんなことはございません、オスカー」

 アイリーンはなおも微笑みつつもそう答えた。だが異変は唐突に訪れた。突如アイリーンの肢体は、俺のベッドの上に崩れ落ちた。なにかがショートしたかのような激しい金属音がアイリーンの体のなかから聞こえる。


 俺はアイリーンの顔を見た。その顔は変わらず微笑を浮かべ、青い瞳はぱっちりと見開かれたままだ。だが、彼女の身体は動かない。何度声を掛けても、身体を揺さぶっても反応がない。このような状態のアンドロイドは、以前、エンジニアとして働いていたコロニー建設の作業現場でも見たことがある。作業用アンドロイドが同じように突如倒れたのだった。あれはたしか、故障クラッシュだった。 

 俺は咄嗟に窓辺の花瓶に手を伸ばすと、それを床に派手に叩きつけた。花瓶が割れる。俺は床に散らばった破片から、掌に収まるほどのそれを選ぶと、アイリーンの背中にそれを突き刺した。


 看護服が裂け、アイリーンの艶やか、且つしなやかな人工皮膚が露わになる。自分の身体から、生命維持装置のいくつかの管が勢いよく弾けて抜けたが、俺はそれに構うことなく、なおも彼女の服を裂いた。背中の生地が裂け、アイリーンの看護服がだらりと床に垂れ下がる。豊かな作り物の乳房が露わになる。思わず目が行くが、俺の目的はそれではない。あの作業用アンドロイドと同型なら、アイリーンの身体の制御機能は左胸後部に集約されているはずだ。俺は躊躇わず、アイリーンのその部分の人工皮膚を破片で切裂いた。すると制御機器らしき装置の塊がアイリーンの背にむき出しになって現われた。


 いそがしく赤いランプが点滅しているその機器を、俺は必死になって、自分が現場で作業していたときのことを思い出しながら、見よう見まねで弄くった。いくつかのボタンを押し、スイッチを切っては入れ、という具合に。すると数分後、機器のランプの点滅は止まり、緑色のノーマルな状態にその色を変えた。同時に、アイリーンの身体がびくり、と動いた。彼女の身体が、ゆっくりと俺の身体の上から起き上がる。服は裂け、背中からは制御装置が丸見えの、半裸のアイリーンが、俺の前にすくり、と屹立する。俺はどうやら、荒療治ながらアイリーンを蘇生……いや、再起動させるのに成功したらしい。

 俺は安堵して、思わずアイリーンの身体を抱き寄せた。冷たい彼女の肢体とその重みが、高熱を帯びた俺の肌には心地よい。


 ……そして、俺はふと思いついて、アイリーンの耳元であの質問を囁いてみた。

「……アイリーン、俺は、あとどれだけ生きられるんだい?」

 10秒ほどのタイム・ラグののち、アイリーンは柔らかな声で、はっきりと答えた。

「あと1時間26分と4秒です。オスカー」

 俺は満足して頷いた。そしてアイリーンをもう一度抱き寄せると、彼女に言った。

「アイリーン、俺を外に連れ出してはくれないか。最期に、君と一緒に雪に埋もれたい」

 半裸のアイリーンは瞬きし、その質問の意味が分からないように、数瞬、途方に暮れていたが、やがてゆっくりと頷くと、俺の目をまっすぐ見て微笑み、答えた。

「オスカー、喜んで」


 俺はアイリーンに支えられて、病院の通用口から、雪の降りしきる外へと、そっと身体を滑り出させた。途端に、空から舞いおちる冷たい白い粒が俺の身体を打つ。寒い。身体が、芯から急速に凍えていく。だが、俺は構わなかった。これだ、これが俺の望んでいたことだ。愛する女神に半身を抱かれながら、外気に触れて、真白な雪の中に溶けていくこと。俺は望外の幸せに、唇を紫にしながら、思わず微笑んだ。アイリーンも同じ表情で俺を見やる。

 俺たちは、足の向くまま、膝下まで雪に埋もれながらも、一歩、一歩と、雪原を歩み始めた。先には、この治療施設を囲む高い塀が見える。どこか遠くで、サイレンの音が聞える。さては、あれは俺が逃げ出したことを察知して鳴り響いているのか。さりとて、俺とアイリーンの足が止ることはない。俺たちは一心同体であるように、歩を揃え、雪原をゆっくり、ゆっくりと進む。


 やがて、俺の足は感覚を無くし、一歩も前へと動かすことができなくなった。

「アイリーン、もう、ここで、良い。休もう」

「はい、了解です。オスカー」

 俺の身は雪の中にゆっくりと崩れ落ちた。俺は雪の中で仰向けになりながら、アイリーンに言う。

「アイリーン、君も、横になれ」

 半裸のアイリーンはその俺の声に、静かにその身体を雪の中に横たえた。俺とアイリーンは隣り合って雪原に寝っ転がり、白い空に視線を投げた。

「綺麗だな、アイリーン」

「オスカー、私にはその意味が分かりかねます」

「いいんだ、俺は、そういう君を、愛している」

 俺はそう言うと、ゆっくりと目を瞑った。

 サイレンの音が次第に大きくなる。やがて間近に、複数の人間の足音が響いてきた。駆けつけた警備兵が、俺たちを囲んで銃を構える気配がする。


 白い虚空を銃声が切裂いた。



「射殺した患者の遺体は慎重にとりあつかうようにしろ、うっかりすると、感染うつるからな」

「分かっている。……このアンドロイドは、どうする?」

「どっちにしろ、夜には破壊処理になる個体だ、せいぜい最後までこき使ってやれ」

「了解。……さあ、bf-132号……いや、アイリーン、その男の死体を運ぶんだ」


「了解いたしました」


 アイリーンは警備兵の指令に従い、俺の血に染まった身体を抱き上げた。そして、雪原を再び踏みしめると、吹雪の中をゆっくり足を運び、治療施設へと戻ってゆく。


 その口元には、あの俺が恋い焦がれた美しい微笑みが、変わることなく宿り続けていた。

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