仔ウサギ達の憂鬱(4)



「失礼だな。俺とミッキは同歳だぞ」

「でもアニーの方が老けてみえるのは、やっぱりお腹が出ているからじゃない? ダイエットしないと!」

「ますます失礼な奴だなぁ。貫禄があると言ってくれ、貫禄と」


 数日経つうちに、エイミーちゃんはすっかりアニーさんに懐いた。笑いながらきわどい冗談を言える仲になっている。アニーさんが、毎日ジュニアスクールへ送迎しているからだろう。少女の頬の傷は治り、もうマスクはつけていない。

 ブラウン夫人は体の痛みがひくと、ホテルの仕事を手伝ってくれるようになった。もとは事務をしていたそうで、フロントのコンピューターやロボットの扱いが上手い。ポール君と小さな子ども達の相手を出来るようになり、表情が少し明るくなった。

 エイミーちゃんとお母さんは話し合い、家を出ていくと決めた。その報告を聞いた安藤夫人とマーサさんは、心から安堵したようだった。

 洋二さんとマーサさんは、ブラウン夫人の独立の手伝いをした。彼女の代わりに市役所へ行って手続きをし、新しい部屋を借りる準備をととのえた。母子はうちに近いマンションに部屋を借りたので、エイミーちゃんは転校せずに済みそうだ。

 警察には、ドメスティック・バイオレンス(DV) と虐待の被害届を出した。これで、エイミーちゃんの父親は不用意に妻子に近づけなくなったはずだけど、油断はできない。月の法律では、被害届を出すと、一年間の猶予期間ののちブラウン夫人側に結婚を継続するか否かを一方的に決める権利が与えられる。エイミーちゃんとポール君にも、父親に会うかどうかを決める権利がある。三人は、新生活に慣れてからじっくり考えると言った。

 こうして準備が整うと、エイミーちゃんがやってきてから十日目の朝、母子はうちを出ることになった。


「お世話になりました」


 ポール君の手をひいて深々と一礼するお母さんの隣で、エイミーちゃんは軽く手を振った。


「じゃあね、芳美ちゃん、麻美ちゃん。学校でね」

「うん! 月曜日にね」

「気を付けて。また来てください」


 安藤夫人は微笑んだ。マーサさんは腰をかがめ、ポール君の頭を撫でる。


「また一緒に遊ぼうね」

「うん!」


 アニーさんが運転する車が三人を乗せて角を曲がると、安藤夫人とマーサさんは、小さな子ども達を連れてエレベーターに向かった。洋二さんが、合宿から帰ってきたイリスに事の次第を説明している。わたしの耳に、芳美ちゃんと麻美ちゃんの会話が流れて来た。


「ねえ、麻ちゃん」

「んー?」

「あたしね、両親の揃っている子が、ちょっとうらやましかったんだ。でも、親がいるからって幸せじゃないのね。タイヘンな子もいるんだなあ」

「…………」

「あたし達の両親……どんな人達だったんだろうね」

「そんなの、決まってるじゃない」


 フン、と麻美ちゃんは鼻を鳴らした。


「双子を育てるのは大変だからって、あたし達をてた親よ。ろくな奴らじゃないわよ」

「…………」

「いいじゃない。あたし達には小母さんがいる、マーサ姉さんがいる。アニーと幹ちゃんと、皆がいてくれるんだから」


 双子はうなずき合った。アニーさんの車が帰ってきたので、わたしとミッキーはフロントに戻ろうとした。

 その時、


「うわあっ! 誰だ、あんた?」


 アニーさんの叫び声がひびき、わたし達の間に緊張がはしった。ガラスの扉ごしに、アニーさんに殴りかかる男が見えた。

 ミッキーが駆けて行く。わたしも急いで後を追った。


「アニー!」

「ミッキ! うわっ、ちょっ、アンタ誰っ?」

「お前がっ! お前のせいで、あいつとエイミーはっ!」

「……って、アンタ、ブラウンさん?」


 アニーさんは、相手が誰かを察して目をみひらいた。その顎に、男の拳がぶつかる。ミッキーが鋭く舌打ちをする。


「ミッキー!」


 わたしは彼を止めようとしたわけではない、注意を促したのだ。殴られて転倒するアニーさんと男の間に、ミッキーは飛びこんだ。無駄に大きく振り回している男の腕をかいくぐり、相手の勢いを利用して地面に組み伏せる。

 駆け寄ったわたしは、ミッキーがブラウン氏の額に掌をあて、低く命じる声を聞いた。


「警察に出頭し、加害者矯正プログラムに参加しろ。治療を受け、真に自分を変えるまで、子ども達の前にあらわれるな」

「…………」


 ブラウン氏は白髪交じりの褐色の髪、灰色の瞳、不健康そうな浅黒い肌の色をしていた。彼は凝然とミッキーの言葉を聞いたのち、ふらりと立ち上がった。踵を返して歩き出す。お酒のにおいをさせながら……。

 ミッキーはアニーさんを助け起こすと、わたしを見て肩をすくめた。


「ばれたら始末書ものだから、秘密にしておいてくれよ。自分から治療を受けるよう、暗示をかけたんだ。……治った彼を赦すかどうかは、エイミーちゃん達が決めることだけどね」


 アニーさんは、殴られた顎をなでて頷いた。

 わたし達は、ゆらゆら揺れながら去っていく男の背を見送った。



               ◇◇



 三日後の夕方。わたしとミッキーとアニーさんがフロントで話しこんでいると、麻美ちゃんが学校から帰って来た。同級生らしい小柄な男の子を連れている。彼女は、ためらっている男の子の腕をひいて、カウンターへ近づいた。


「アニー! この子、森口君。泊めてあげて!」


 アニーさんとミッキーは顔を見合わせた。頬に雀斑そばかすのある男の子は、気まずそうに目を逸らしている。アニーさんは口髭を揺らして溜息をついた。


「あのね、麻美。うちは子どもシェルターじゃないんだよ」

「だって――」

「まあちゃん!」


 甲高い声がして、男の子はびくっと肩を揺らした。わたし達は再び顔を見合わせる――『』?


「母さん」

「まあちゃん! 何をしているの? どうも申し訳ありません。うちの子がお邪魔して」


 息を弾ませて駆けつけたのは、顔も体もふくよかな、人の好さそうなおばさんだ。彼女はわたし達に、ぺこりと頭を下げた。息子の腕を掴んで、


「さっ、まあちゃん、家に帰りましょう」

「放せって! それが嫌だと言ってるだろ!」


 男の子はぶんっと腕を振って母親の手から逃れると、変声しかけた声を張りあげた。


「まあちゃんって呼ぶなっ! 森口もりぐと呼べっ!」

「…………」


 アニーさんの口がほかっと開いた。ミッキーも呆気にとられている。それから二人は、声をあげて笑い出した。






~『仔ウサギ達の憂鬱』 了~

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仔ウサギ達の憂鬱 石燈 梓 @Azurite-mysticvalley

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