仔ウサギ達の憂鬱(3)



 翌朝、わたしが食堂へ下りていくと、皆は既に起きて仕事を始めていた。いつものことだ。

 双子たちとエイミーちゃんが食事をしているテーブルに、ミッキーは三人分のお弁当を並べた。


「わあ! いいんですか?」


 双子たちには毎日のことだけれど、エイミーちゃんにとっては特別。色鮮やかなサンドイッチに歓声をあげる少女に、ミッキーは微笑んだ。


「二人分作るのも三人分作るのも、手間は同じだからね。はい、水筒。アニーが学校まで送って行くよ」

「えっ?」


 エイミーちゃんのお母さんは、おろおろしている。アニーさんは、ぱちんと片目を閉じて笑った。


「車で送らせていただきますよ、お嬢さんたち。帰りもね」

「帰りも? やった!」

「それじゃあ――」


 エイミーちゃんは、窺うようにアニーさんを見上げた。


「今日も、ここに泊っていいんですか?」

「どうぞ、何日でも」

「ありがとうございます!」

「エイミー」


 慌ててたしなめようとする母親を、少女は睨みつけた。


「あたし、帰らないからね! ぜったい」


 三人の少女たちは、それぞれのお弁当と水筒を手に、アニーさんを追いかけて行った。ポール君が手を振って見送る。エイミーちゃんの服装が昨日とは違うことに、わたしは気づいた。ブルー・ジーンズに白いブラウスだ。

 マーサさんが、軽く息を吐いて言った。


「毎日同じ服で学校へ行くのは嫌でしょう。イリスの小さい頃の服をとっておいて良かったわ」


 イリス(安藤家の三女)はバスケットボール部の合宿に参加していて、一週間は帰ってこない。智恵さん(二女)は長期出張中。部屋は空いているから構わないという意味だろう。

 ブラウン夫人は娘の態度に戸惑っている。ミッキーが説明した。


「アンソニーが学校へ行って説明しますよ、友達の家に泊っている、母親も一緒ですって。あのの父親が手をまわそうとしても、出来ないように」


 ブラウン夫人はうすい碧色の眼をみひらき、怯えたように彼を見詰めた。


「きちんと食事と着替えをして、友人と学校へ通える状態のお子さんに、警察が関与してくるとは思いませんが……。ここにいるのは、彼女の意思ですしね」

「あのひとは、警察に通報なんてしません。自分の方が目をつけられていますから」


 ブラウン夫人が呟くと、ミッキーは『それは良かった』というようにうなずき、キッチンへ戻った。わたしも学校へ行く準備を始める。

 ブラウン夫人の足下には、ポール君が立っている。マーサさんが言った。


「せめて、ポール君を抱っこしてあげられるようになるまで、うちにいらっしゃい。エイミーちゃんとも、話しあった方がいいわ」


 ブラウン夫人は項垂れ、すぐには答えなかった。



               ◇



 ホテルの朝は、チェックアウトするお客様への対応が中心となる。部屋の掃除とベッドメイキングはほぼ自動化されているので、人間は機械ロボットが対応できない部分を補えばよい。昼食から夕方のチェックインまでは休憩だ。

 午前中の講義を終えたわたしが戻ったのは、ちょうどそういう時間帯だった。ロビーや廊下では、お掃除ロボットたちが軽やかなモーター音をたてて働いている。アニーさんは仮眠をとっている。食堂の一角では、マーサさんがドナ君とポール君に折り紙を教えていた。

 安藤夫人と洋二さんが、ブラウン夫人とテーブルを囲んでいた。わたしは自動調理器オート・クッカーで作ったパスタとコーヒーを手に、隣のテーブルに着いた。


「エイミーが産まれた頃でしょうか……主人の暴言が始まったのは」


 ブラウン夫人は肩を落とし、天板の上に置いた携帯電話に話しかけていた。


「気に入らないことがあると声を荒げるように……エイミーが泣き止まなかったり、私の対応が遅かったりすると、怒鳴るようになりました。お酒を飲むと酷くなって」


 わたしはパスタを口へ運びながら、横目でそちらを窺った。洋二さんと安藤夫人は顔を見合わせている。ブラウン夫人は項垂れたままだ。


「職場のストレスがたまるんだと……私とエイミーがきちんとしていないと、叩くようになりました。ポールが産まれ、私が仕事できなくなると、さらに」


 ぐすっと、ブラウン夫人は洟をすすった。瞳は携帯電話をみつめている。電源は入っていないらしい。


「警察に相談したこともあります。注意されて、しばらくは大人しくなりましたが、引っ越しするとまた始まりました。私が友人に相談した時には……友人が、お酒と暴力をやめるよう説得してくれたんですが、主人がその人を殴ってしまって」


 わたしはぞっとしない気持ちで彼女を見た。ブラウン夫人は両手で顔を覆い、嗚咽をこらえていた。


「以来、友人とは音信不通です。当然ですよね……。主人は外面そとづらはいいのですが、酔うと手がつけられなくなります」


 わたしはすっかり食欲が失せてしまった。安藤夫人は、ブラウン夫人の細い肩にそっと手をのせた。


「あなた、帰っちゃだめよ。連絡もしてはだめ」


 面をあげたブラウン夫人の眼には、涙が溜まっていた。


「私が帰らないと、主人は暴れます。酔って家の中のものを壊したり、ご近所に迷惑をかけたりしてしまいます。今度はどんな仕打ちが待っているか――」

「そんなの、勝手に暴れさせておきなさい」


 安藤夫人は優しく、しかし断固として首を振った。


「あなたが戻ると承知して、わざとやっているのだから、相手の思惑にはまってはダメ。いい歳をした大人が酔って物を壊そうと、警察に通報されようと、本人の責任よ。あなたが世話をする必要なんてないわ」


 その視点はなかったらしく、ブラウン夫人はまばたきを繰り返した。洋二さんが、我が意を得たりと頷いた。


「僕はお酒を飲めないし煙草も吸わないから、ストレスで飲みたいという人の気持ちは解らないけれど……。例えば、アニーとミックは二人ともお酒を飲むし、煙草も吸う。でも、酔ったところを僕に見せたことはないし、煙草が苦手な姉妹のそばで吸うこともない。それは、二人が節度をわきまえていて、僕たちを家族として尊重してくれているからだ」


 わたしはちょっと驚いて洋二さんを見遣った。長身でひょろっと痩せていて、いっけん優男風な洋二さん。明朗快活なマーサさんのパートナーとしては、頼りない人だと思っていた。その洋二さんが、きっぱり話をしている。

 わたしの視界のすみで、マーサさんが頷いている。


「あなたのパートナーは、あなたとエイミーちゃんとポール君の気持ちを、尊重しているのかな? 僕にはそう思えないけれど。エイミーちゃんは家を出る覚悟をしてここに来ている。話し合った方がいいと思うよ」


 ブラウン夫人は眼を伏せ、考えこんでいた。




「洋二がそんなことを?」


 夜、銀河連合軍の基地から帰って来たミッキーに、わたしがこの話をすると、彼は面白そうに微笑んだ。


「酔ったことなかったかなあ? おれ、結構いると思うけど」

「えっ?」


 ミッキーは喉の奥で(彼に特徴的な)くつくつ声をころがして、小鳥のように笑った。


「冗談はさておき。本人の責任という、おばさんの意見には同意だ。帰ったら、次はポール君に手をあげるだろうしね」

「あんな小さな子に?」


 わたしは半信半疑だった。ブラウン夫人とエイミーちゃんの怪我も、信じられない出来事だけれど。

 ミッキーは神妙にうなずいた。


「エイミーちゃんは逃げたけれど、ポール君は逃げられない……。母親と姉を、あんな風に傷つける。それを見せられることで、あの子はすでに虐待されているんだよ」

「…………」

「それもあの男は『母親が悪い』と言いながらするんだろう。ブラウンさんが目を醒まして、自分と子ども達を護る決断をしてくれることを祈るよ。アニーは学校に報告している――児童虐待の可能性があるから、うちで保護していますって。無理やり連れて帰るようなら、警察に通報しないといけない」


 わたしは、のんびり屋のアニーさんとミッキーが対策をとっていることに驚いた。どうしても、家族がばらばらにならないといけないのだろうか。


「……ブラウンさんは、どうなるの?」

「月の三都市(ダイアナ、ルナ、アルテミス市)にはベーシック・インカム制があるから、失業中の成人や収入が一定レベルに達しない人は、経済的に保障される。埋めこみ式の身分証明(ID)チップと連動して、本人にしか使えないから、大丈夫」

「エイミーちゃんが望むのは、お父さんがお酒と暴力をやめてくれることだと思うけど……」


 ミッキーは形の良い眉を曇らせ、沈鬱に言った。


「残念だけど、人は人を変えられないんだよ、リサ。無理にすれば、支配やマインドコントロールになってしまう。人を変えられるのは、本人だけだ」

「…………」

「今までに、父親が自分を変える機会はいくらでもあったと思う。エイミーちゃんは十二歳、ポール君は三歳だ。アルコールと暴力には依存性があって、どんどん酷くなるからね。一日も早く、離れた方がいいよ」

「そうね」


 わたしは溜息をついた。

 マーサさんが『洋二、あなたで良かった』と言っていた気持ちが解った。わたしのママは幼い頃に死んでしまったけれど、パパはわたしを大切に育ててくれた。ミッキーは紳士で、安藤家の人々は優しいし、ラグはわたしが一人でも生きていけるよう経済的に助けてくれた。

 わたしは運が良かったんだわ……本当に。


「リサ?」


 わたしが彼に抱きつくと、ミッキーは不思議そうに呼んだ。わたしは首を振り、黙って彼の肩に頬をのせた。





~(4)へ~

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