仔ウサギ達の憂鬱(2)


 『月うさぎ』は、安藤家の人々が家族で経営する、民宿のようなビジネス・ホテルのような、その中間規模の施設だ。宿泊可能人数は最大二百人程度というけれど、満室になることは滅多にない。お値段もお手頃で、素泊まりなら一泊八千クレジットから、一泊二食つきなら一万二千クレジットくらいとなる。利用客はビジネス・パーソンか、長期滞在の観光客が多い。


 安藤家は、安藤夫人を家長として十二人の子ども達からなる。実は全員養子で、出身も地球、月、火星、クスピア星系、ラウル星系とばらばら。兄弟姉妹のなかでも年長のマーサさん、洋二さん、アンソニー(アニー)さん、ミッキー(幹男)、智恵ともえさん、イリス、麻美ちゃんと芳美ちゃんで、ホテルは運営されている。安藤夫人は、十歳以下の小さな子ども達の世話で忙しい。マーサさんと洋二さんは夫婦で、ミッキーはわたし(リサ)のパートナー。ミッキーと智恵さんは銀河連合軍に所属する軍人で、イリスとわたしは大学生、麻美ちゃんと芳美ちゃんはジュニアスクールに通っている。


 いつもはお客様で混みあう時間帯をさけ、スタッフ用のスペースで手早く食事をとるのだけれど、今日は遅くなったので、わたし達は一緒にテーブルを囲んだ。ミッキーが用意してくれた夕食に、エイミーちゃんと弟のポール君は目を輝かせた。


「コロッケだ。すごい!」


 二種類のコロッケ、サラダ、ライスとミネストローネスープ。ミッキーはわたしと双子たちだけでなく、エイミーちゃん姉弟とブラウン夫人の前にも料理を並べた。ブラウン夫人は辛そうに口ごもった。


「あの、これは――」

「どうぞ、食べて下さい。妹の友達が遊びに来てくれたのだから。お代は要りませんよ」

「…………」


 それで、ブラウン夫人は子ども達を促した。期待をこめて母親を見上げていたエイミーちゃんとポール君は、嬉しそうに声をそろえた。


「いただきまーす!」


 双子は既に食べ始めている。アニーさんとマーサさんは少女達を見守っている。エイミーちゃんがマスクを取ると左の頬に痣があったので、芳美ちゃんは動きを止めた。


「それ、学校で? いつ怪我したの」


 エイミーちゃんは頬に手をあて「あ」という顔をした。ミッキーは動じず、エプロンのポケットから小さなパッチを取り出した。


「染みるようなら、貼って」

「あ……ありがとうございます」


 厨房へ向かうミッキーのすらりとした背中を見送り、エイミーちゃんはやや呆然と訊いた。


「芳美さんって、何人お兄さんがいるの?」

「三人よ。お姉ちゃんは四人。妹と弟も、四人」

「ええっ?」


 アニーさんがくすくす笑いだした。ブラウン夫人は恐縮して身を縮めている。


「すみません、こんな」

「いいえ、ご心配をおかけしたのですから。こちらこそ、すみませんでした。そうだ、せっかくだからエイミーちゃん、泊っていけば?」


 パッチを口のなかに貼ってミネストローネスープを飲んでいた少女は、目を瞠った。


「いいの?」

「麻美と芳美の部屋なら、泊れるだろう?」

「うん!」

「いいわよ」

「やったー! 修学旅行みたい」


 きゃっきゃとはしゃぐ娘たちに、ブラウン夫人は狼狽えた。


「あの。でも、」

「お母さんも、どうぞ。弟くんも一緒に。マーサの部屋なら、いいよね?」

「ええ。洋二はアニーの部屋に行ってもらうわ」


 さくさくと話が決まっていく様子に驚いている彼女の前に、ミッキーが料理の皿を置いた。手を付けられていない料理をそっと外して、


「どうぞ。リゾットなら、食べられますか?」

「…………」


 体調の悪い彼女のために、作ってきたらしい。黄金色のスープからたちのぼる優しい香のなかで、ブラウン夫人は声もなく泣きだした。



              ◇



 わたしがシャワーを浴びてから食堂へ戻ると、ミッキーは片づけと明日の仕込みを終え、一人で遅い夕食を摂っていた。双子とエイミーちゃんは就寝し、ブラウン夫人とポール君はマーサさんの部屋に泊っている。アニーさんはフロントで夜勤中。


「エイミーちゃんのお母さんが怪我をしているって、どうして分かったの?」


 わたしが向かいの椅子にすわって訊ねると、ミッキーはスープを飲みながら片頬だけで微笑んだ。わたしは、彼がブラウン夫人に会ってから笑っていなかったことに気づいた。


「動きが不自然だったからね。どこかを庇っているような……体幹と、上腕、かな」

「ふうん?」


 そうだったかしら。わたしが思い出そうとしていると、ミッキーは声をひそめた。


「あの子、エイミーちゃん。あれは殴られた痕だよ」


 息を呑むわたしをちらりと見て、ミッキーは続けた。


「麻美の話では、あの子は芳美のクラスメートだけれど、あまり学校に来ていないらしい。登校しても、保健室にいたり。芳美とそれほど親しいわけでもなく、いつも一緒にいる仲ではないって」

「え。なら、どうして?」

「うちに泊りたかったんだろう。家に帰りたくないから」


 食事を終えたミッキーは、テーブルに両肘をついて考えこんだ。


「問題は、父親かな……」

「どうするの?」


 わたしが問うと、ミッキーは軽く肩をすくめた。


「児童虐待なら警察に通報しなければならないけど、本人が殴られたと言ったわけじゃない。母親が病院へ行かないのも、同じ理由だろう。医療機関は、ああいう怪我を診たら通報するから」

「警察沙汰にはしたくない、ってこと?」

「かえってこじれる場合もあるからね」


 そういう場合を知っているかのように、ミッキーは眼を伏せた。長い睫毛が頬に影をおとす。わたしが次の質問を考えていると、


「ミック! ああ、良かった。リサもいてくれた」


 マーサさんが、洋二さんに連れられてやって来た。ひどく打ちひしがれた様子で、崩れるようにわたしたちのテーブルに着く。


「マーサ」

「ミック。疲れているところ悪いけれど、紅茶を淹れてちょうだい。ブランデーを入れてね」

「ブランデーだね。洋二は?」

「僕は飲めないから、普通の紅茶。リサちゃんは?」

「え? あ、わたしも……」

「了解」


 ミッキーは自分の食器をもってキッチンへ行った。疲れを感じさせないきびきびとした動きを見送り、わたしが向きなおると、マーサさんは溜息をついて洋二さんに寄りかかり、洋二さんは彼女の手を握っていた。どうしたんだろう?


「マーサさん?」

「ごめんなさいね、リサ。私は大丈夫よ……驚いただけ。ほんとうに、びっくりしたの」


 マーサさんの頬は蒼ざめ、声も、金の睫毛も震えていた。よほど怖い思いをしたのだろうか。洋二さんは心配そうだ。

 ミッキーが四人分の紅茶をトレイに載せて戻って来た。ブランデーを入れたマーサさんのカップを、彼女の前に置く。


「はい、マーサ。リサ、洋二」

「ありがとう、ミック」


 わたし達は、口々にお礼を言ってカップに手を伸ばした。わたしと洋二さんが砂糖を入れている傍らで、ミッキーはストレートの、マーサさんはブランデー入りの紅茶を口へ運んだ。マーサさんの細い指は震えていて、カップをソーサーにもどす際、小さな音をたてた。

 わたし達は、彼女が落ち着くのを待った。

 マーサさんは両手でカップをつつみ、指先を温めながら息を吐いた。


「ポール君はお腹がいっぱいになって、すぐ寝てくれたの。それは良かったのだけれど……。ミック、あなた、彼女の怪我に気づいていたわよね」

「ああ」

「シャワーを浴びられないと言うから……痛みで、着替えるのも難しそうだったから。手伝ったのよ、私。そうしたら、」


 ぶわり。マーサさんのサファイヤの瞳に涙がうかび、洋二さんは彼女の背を撫でた。


「む、胸も、お腹も、背中も……腕から太ももにかけて、ぜんぶ、」


 傷だらけってこと? わたしはぞっとしながらミッキーをかえりみた。彼は眉をひそめている。マーサさんは、自分のからだに腕をまわした。


「腫れているの……内出血しているのよ。表面に傷はないの。はじめて見たわ。ひどい」


 マーサさんは両手で顔を覆い、ふるふると首を振った。さらさらの金髪が肩にこぼれた。


「ぺ、ペンチですって……挟んで、ひねる、なんて。服に隠れるところばかり。あんな酷いことを出来るひとが、いるなんて。ああ洋二、あなたで良かったわ、私。信じられない……」


 平静を装ってブラウン夫人に痛み止めを服用させ、眠ったのを確認してから部屋を出て、洋二さんに相談したらしい。気の毒に、よほどショックだったのだろう。洋二さんは震えるマーサさんを抱きしめ、頭を撫でた。

 ミッキーは腕を組み、無言で二人を見詰めていた。





~(3)へ~

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