本作は「万人向け」とタグを打たれていますが、序盤が重いです。何なのかは触れませんが、重いです。それは心してください。
それでも、その重さを乗り越えて、物語は淡々と進みます。しかし最後に来て暖かさと寂しさを抱えることになります。
作中の男女は、そのとき、確かに繋がっていました。憧れる恋でもなく、全てを包む愛でもなく、身体を繋げる性愛でもなく、許し合う友情でもなく、手垢がついた絆でもなく。でも、繋がっていました。
小さな、振り返ればほんの小さな出来事なのですが、こんな経験を持てる人がどれほどいるでしょう。奇跡という言葉を使いたくありませんが、得がたい経験をした人の物語です。
今はもう連絡の手段すらなくなってしまったけれど、十年二十年のときを隔ててもなお、思い出す人はいませんか?
私にはいます。
ネットの中で知り合った方。ゲームの掲示板で、意気投合して、アドレスを交換しました。
遠く北の地に居て、当時学生だった私は、彼女に会うことも、また会おうと考えることもしませんでした。そしてそれで満足していました。
メールのやりとりだけで、誰よりも心が繋がっていたように思えたのです。
顔も環境もわからないからこそ見せられる、強さと弱さと本音。
ネットには嘘が溢れているけれど、同時に、この社会に嘘を吐くことでしか生きて来れなかった人たちの本音が隠れているんじゃないかなって思うのです。
この作品に出てくる二人も、ネットの世界で知り合い意気投合し、その日の出来事を分かち合った。
こんなふうにやさしい世界で、多分私たちも出会っている。『ぼく』と『なみさん』のように。
ネットは時に海に例えられます。
何処まで拡がっているのか、果てがなく、様々なものが流れつき、また遠ざかっていくからでしょう。
わたしもあなたもネットの海で絶えず漂流を続けている、いかだのようなものです。なにげなく、浪に投げこんだボトルレターが誰かに拾われることもあったり、あるいは他の誰かが書きこんだあてのない手紙を釣りあげたり。
こちらの小説もそう。投げたボトルレターを拾ったものと、拾われたもの。ほんのひと時、同じ海流に乗って、声を掛けたり手を振りあったり。……悪夢をみた「ぼく」に浪のむこうから掛けてくれた「彼女」の言葉が、貝殻に耳をあてたときに聴こえる潮騒のように、こころから離れません。感動しました。
この言葉を必要としている御方はきっとたくさんおられるとおもいます。このレビューという「ボトルレター」を拾われた御方には、ぜひともあの台詞を読んでいただきたい。そう願っております。
最後になりましたが。
わたしもおなじようにネットの海でたくさんの御方と出逢い、時に別れ。ともすれば、不思議な御縁で再会を果たしたこともあります。
願わくば、「ぼく」と「彼女」の縁が何処かでまた繋がることを祈って。