ゴールの先へ突き抜けろ
安崎依代@1/31『絶華』発売決定!
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マラソンで言えばゴールテープ。
恋人関係で言えば結婚。
物語で言えば『了』の字。
それがゴール。始まりがあれば終わりがある。それはごくごく当たり前なこと。
でも、具体的にゴールが見えない時って、どうしたらいいんだろう。何を目印にして進んでいけばいいんだろう。
「……というわけで、君に質問に来ました」
「……修行の邪魔をするなら、帰ってくれないか」
「いいじゃん。これは立派な禅問答だよ。君の修行の一環じゃん」
「問答を重視するのは
「だったら曹洞禅らしく壁に向かって座禅組めばいいじゃんかよー。話しかけられたそうにこんな目立つ縁側で座禅組む君が悪いんじゃないかよー」
急な階段を上り切った先。
「ねぇねえ、トラスケのゴールって、どこにあるの? 正式にお坊さんになること? ここの跡取りとして認められること?」
いつものごとく履物を脱ぎ散らかし、トラスケが座禅を組む縁側によじ登ったあたしは、トラスケの隣に並ぶように座って見様見真似で座禅を組んだ。昔からトラスケの真似をして座禅を組んできたあたしは、結構上手に座禅が組めるという自負がある。
二人並んで座禅を組んで、ここで人生相談をするのがいつもお決まりのスタイルだった。悩みにぶち当たるタイミングが似ているのか、あたしが何かに悩んでいるとトラスケもよくあたしを待ち構えるかのようにここで座禅を組んでいるものだから、自然とこんな形になったのかもしれない。
「あたしさぁ、小説家になりたいわけだけども」
トラスケは何も言わない。ただ半眼にした目を真っ直ぐ正面に向けている。だけど何やかんや言ってもあたしの話を聞いてくれていることは知っているから、あたしは気にすることなく自分の悩みをつらつらと言葉に乗せた。
「この間イベントに出た時に、SNSで繋がってる商業プロになった小説家さんと話す機会があってさー。その人に言われたんだよね。『プロになりたい理由は何だ。それを明確にしておかなきゃダメだ』って」
静かな空気の中に転がっていくのは、あたしが悩みを零す、どこか気が抜けていてのどかな声だけ。
「あたし、その言葉に、答えることができなかったんだよねぇ」
その空気の中に跳ねる自分の声が妙に心地よくて、あたしはここ数日胸の中に重くのしかかっていたことを、ようやく口から出すことができた。
そう、のどかで軽やかな体は、装っていただけ。
本当は、重たくて重たくて潰れてしまいそうで。何でもない風を装っていなければ、言葉にすることさえままならない。
そんなあたしの、問い。
「ただ書くのが楽しくて。いつの間にかその延長線にはプロになる道があるんだと思ってた。あたしにとって『商業プロになること』はひとつのゴールだったんだ」
だけどそこは、ゴールなんかじゃなかった。人生でも同じことを言われるよね。『結婚はゴールじゃなくてスタートだ』とかさ。
でも。でもでも。
とりあえずそこを目指す人にとっては、とりあえずそこがゴールなわけじゃないですか。そこに到達して違う景色が見えたからって、まだその景色を見ることができていない人間に向かって『ここ、ゴールじゃないわけだけど、君どこをゴールにしてるの?』とか急に言われたって、分からないわけですよ。
それのどこが悪いことなんでしょうかね? 悪いというならば、あたしはどうすればいいんですかね。
「あたしにとって、商業プロになることは、小説を書き続けることを認めてもらえる唯一の道だった。だから目指したというか、そこを目指すのがごく自然な流れだった。……だけど、時代は変わった。投稿サイトがたくさんできて、認知度も上がった。商業で出さなくても、書いて公表していく方法は今、いくらでもある」
それでも商業プロになりたい理由は何なのか。
その理由を明確にしなくちゃいけないと、その人は言った。
……理由がなくちゃ、いけないのかな?
あたしは、それだけしか言えなかった。
『書くことが楽しいから』
こんな理由しか言えないあたしは、……明確な理由さえないあたしは、プロを目指すことさえ許してもらえないのだろうか。
「……ゴールってのは、どこにあるんだろうねぇ?」
「……禅の修行では、終わりはないと言われている」
あたしの言葉が終われば、今度はトラスケが言葉を紡ぐ番。
あたしはトラスケの真似をして、目線を伏せて、静かに息をする。
「人生そのものが修行で、その修行には果てがない。死さえ、その終わりにはならない。禅では高僧が亡くなることを『
トラスケの言葉は、とても静かだった。ともすると無感情にも聞こえそうな声なのに、不思議なくらい温かみを感じる。
「つまり、禅の観点から言えば、ゴールはないんだ。どこにもな」
心に染み入る言葉を、あたしはただ静かに聞いていた。淡々と、粛々と。
「俺に作家の世界は分からない。だけど、
今、トラスケはどんな表情をしているのだろうか。気になったけれど、前を向いているし、視界がいつもの半分くらしか開いていないから、あたしの視界には縁側と地面の境界線くらいしか見えていない。
「智佳が創作にのめり込む姿こそが、『趣味三昧』っていうやつなんだろうなと思ってきた。『三昧』っていうのは、雑念が微塵もない状態でひとつのことに徹底的にのめり込む様を言った言葉だ。『三昧』の境地は、とてもすごいことだ。それができる智佳も、すごいやつだ」
相手の気配を感じながらも、相手の顔は見えない。だからこそ、言えることもある。
隣に並んで声を聞く。この形じゃなかったら、トラスケとの禅問答は今まで続いていなかったかもしれない。
「プロになる。それがゴール。だけどプロになりたい理由が分からない。ならば、一度すべて取っ払って、そういう物を全て突き抜けてみればいいんじゃないか。『プロになること』も『その理由』も放り出して、ただのめり込んでみればいいじゃないか」
そんなトラスケが、あたしの方へ視線を流したのが、気配で分かった。
「理由なんて、後から見つかるかもしれないだろ?」
「……それでも見つからなかったら?」
「些事だ。全て突き抜けた後ならな」
トラスケの言葉は、具体的な時もあれば、全然具体的じゃない時もある。分かる時もあれば、分からない時もある。今回の言葉は、あたしにとってはよく分からない言葉達だった。
それでも自分なりに咀嚼してみたあたしは、トラスケに答え合わせを願うために自分から言葉を紡ぐ。
「ゴールを突き抜けた先へ行けってこと?」
「まぁ、総じて言えばそうかもな」
概ねあたしの言葉は『正解』であったらしい。ん? でも禅には『正解』も『不正解』もないんだったっけ?
まぁ、いっか。
背中を押してもらったことだけは、きちんと分かったんだから。
「何か、カッコイイね、それ」
「だろ?」
お互い前を見たまま。視線は大体1メートルくらい先に置いて、半眼に目を開く。そうすると視界に映り込む物が減って、雑念の元が減るんだって。
「……ありがとね、トラスケ」
「どういたしまして」
そうやってあたし達は今日も、互いに向き合わないまま向きあっている。
『ゴールの先を突き抜ける』
それはきっと、あたし達のこの関係にも似ている。
あたしは改めて背筋を正すと視線を少しだけ上げた。
隣に静かな熱がある心地良い静寂の間を、海から抜けていく風が柔らかく揺らしていった。
【了】
ゴールの先へ突き抜けろ 安崎依代@1/31『絶華』発売決定! @Iyo_Anzaki
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