ジェットブラック!【KAC2021 お題『ソロ○○』】

石束

ジェットブラック!

 俺、寿一(じゅいち)はまたも相方にコンビ解消を言い渡された。漫才師人生最大のピンチや。

 コンビを組むかソロでやるかの瀬戸際で、俺はとある先輩漫才師に目を付けた。絢斗(ケント)という名前のそいつは漫才はヘタやったが、漫才師にはめずらしくイケメンやった。俺は徹底的に下手に出て土下座も決めて、コンビを組んでもらった。

 周りの連中は止めた。なにしろイケメンが漫才ヘタなのは台本も覚えず稽古もせんかったからや。――よう養成所卒業できたなコイツ。

 何はともあれ漫才ユニット『ジェットブラック』縮めて『ジェッツ』の誕生や。


 で。おだてておだてて時々あおって、漫才の稽古して何とか形にして舞台に上げた。そして、そこでウケた。練りに練った台本やったから、当然。そして、ウケたことでイケメンの態度が一変した。

「気持ちよかった。楽しかった。ウケたウケた。寿一、漫才って面白いな!」

 たぶん。顔だけやって言われ続けて自分にはそれしかないと思わされたんやろな。イケメン――絢斗は完全覚醒した。絢斗にツッコミを任せて、俺はそれを引き出すボケに専念する。舞台の快感に目覚めたこいつは無敵やった。稽古を重ねてどんどん面白うなっていった。

 正直、ここまでとは思わなんだ。正直「テレビ映えするから人並みやってくれたら十分」とか思ってたもんな。

 ……あとは、この女癖と酒癖さえなんとかなってくれたらなあ。

 破滅型の名人なんて、半世紀も前に絶滅しとんねん。生け造りにしたろかこのシーラカンス。

 コンビとしても「本格しゃべくり漫才なんて今更流行らない」とはいわれたな。でも捨てる神あれば拾う神あり。御年85歳にして現役最年長の大御所・播摩島ラッキー師匠が

「今、ちゃんと漫才やっとるのはアイツらだけや、何とかいうやつ。ほれ。ジングルベルとかいう」

とえらい褒めてくれた。

 会社の新年会で一回ビールつぎにいっただけなんやけどな。

「遅れてきた本格派」とかこそばゆい紹介文もらって、テレビにも呼ばれた。


 俺はアパートを出る準備を始めた。

 実は養成所の後輩と同棲してた。サッチンという芸名のやせっぽちで小柄な女の子で、芸人としてはさっぱりやったけど俺みたいな底辺漫才師を「にいさん」って慕ってくれた子やった。

 ちゃんと二人で住める部屋に移れたら一緒になろうと伝えた。


 ――おもえば、この時が俺ら『ジェッツ』の最盛期やった。

 その「連絡」は突然やってきた。


「ごめん。寿一、オレ、タクシーなぐってもおた。」

「タクシー殴ったら怪我すんのはケンさんちゃうん……」


 不思議と驚きはなかった。

 来るべきものが来たという、深い落胆があるだけだった。


 だが俺が思ったよりも影響は大きかった。昼の番組で事件が報じられた。

 情けない話、俺は相手が頭を七針も縫う大けがを負っていると、相方ではなく会社でもなくテレビに教えてもらった。

 俺は近所の菓子屋で買える限り一番高い菓子を買って、土下座しに行った。


 会社は事態の大きさを鑑みて、正式に記者会見を開いた。

 絢斗は無期限謹慎。『ジェットブラック』は無期限活動停止。

 俺には制限は付かなかったけど、仕事は激減した。


 でも、俺らは折れてなかった。すぐに『ジェッツ』復活に向けて動き始めた。とにかく今あるコネを切るまいと走り回った。

 絢斗にはとにかく稽古をさせた。生活を崩すと芸人はすぐにダメになる。俺はそういう芸人をいっぱい見てきた。

 サッチンが俺たちの間を走り回って台本を届けたり生活を助けたり、絢斗の様子を俺に伝えてくれたりした。

 だけど、俺は事態を甘く見ていた。絢斗ばかりじゃない。俺かてピンで仕事ができる様な芸人じゃなかった。アホなことにそれに気づいたのはソロになってからやった。

 舞台を、お笑いをなめてたのは、俺も一緒やった。

 芸人とはいっても俺は漫才しかやってこなかった。漫才に特化しきっていた。一人でこなせるのはコンビ結成前からやっていたラジオのパーソナリティだけやった。

 ラジオのクルーの気心も知れていたし、リスナーとの関係も良かった。しゃべりの練習のつもりだったけど、今はこれが生命線。やっててよかったと心の底から思い、クルーとリスナーに感謝した。


 播摩島先生に見つかったのは、そのラジオの収録が終わった後。スタジオを出た場所で鉢合わせした。

「ジングルベルぅう!」

 いきなり杖で殴られた。床に倒れ込んで顔をかばい頭を抱えていると

「ようもワシに恥をかかせてくれたの。死にさらせ!――オイ。こいつ放り出して塩撒いとけ!」

上からそんな声が聞こえてきた。

 三日たってから、ラジオ局からレギュラー降板の通告メールが来た。

 殴られて、塩撒かれて、俺はボロボロやった。


 電話がかかってきたのは、その日の夜、九時過ぎてからやった。

 相手も見ないで電話を取り、誰かわからないままに「もしもし」と答えて、それでも相手がしゃべらないもんで、なんやイタ電かと切ろうと思ったら、ようやく声がした。

 今更ながらにようやく気付く。電話番号はサッチンの、やった。


「ごめん。ウチ、にいさんのところへ、帰れんようになった」 


 その後自分がなにゆうたか。おぼえてない。

 罵ったように思う。怒鳴ったように思う。今までの日々を疑い、約束した未来を破り捨てた。


 俺は死にたくなった。

 クビになりそうなった時も自殺は考えなかった。今は仕事がある。食べてもいける。でも望んでいた未来は何も残ってなかった。

 

 それでも、俺はいつも通りに目覚めて営業に行った。

 拾える仕事はぜんぶ拾った。隅っこでも映ってなくても、客が一人でも着ぐるみでもなんでもやった。

『ジェッツ』はやめへん。たった一人でも俺がいるかぎりやめへん。

 そのうち会社の知り合いが地方の目立たない仕事を回してくれるようになった。

 町や地区の文化祭や納涼祭の余興。カラオケ大会の司会。なんでもやる。よろこんでやった。行ける場所立てる舞台で『ジェッツ』の寿一だと叫んで回った。

 俺は自分の都合で舞台に上がっている。上げてもらっている。この世界で食うために。もう一度漫才をするために。それなのに謝礼を貰えることが申し訳なかった。 

 頭を下げたら、焼きそばやらたこ焼きやらを他にもいっぱいもらえた。


 俺の――俺たちのことを知っている人も知らない人もいた。

 知ってる人は俺に

「あんな男とのコンビはやめた方がよい」

と忠告してくれた。親切で言ってくれたのはわかってる。でも、俺は絢斗がどんなにおもろいやつかを説明した。

 それで呆れた人も怒った人もいた。でも、ある時こんな人がいた。

「芸人やな、にいちゃん。今時流行らんで、そんなん。あんた、ほんまにアホやなあ」

 不思議とその「アホ」には叱られてる感じはしなかった。


 夏休みから秋までほぼ行ける限りの地方を回り、やっと帰ってきた俺を見透かすように電話が鳴った。

「……」

 自分の携帯は節約のために解約して今の携帯は会社からの借りもの。だから仕事以外の番号は登録していない。そんな携帯に見慣れぬ番号の無言電話。

 それでも誰からの電話かなど分かり切っていた。

「へへへ」

やがて聞こえてきたのは気味の悪い笑い声やった。

「よお。ドサ周りおつかれちゃん。カラオケ大会、楽しかったか?」

「おう。おもろかったで」

 歯ががちがちと音を立てる。腹の奥で煮え立つものがあって声が震える。コイツが地方の営業をバカにしていたのをよく知っている。もちろん俺もそうだった。

「じいちゃんもばあちゃんもおばちゃんもおっさんもガキどもも、お前よりもずっとおもろかったわ。司会しながらわらいっぱなしや」

「はははは」

 力ない笑いだった。意志の籠らない目的のない無駄で邪魔なだけの「笑い」。プロの「漫才師」が絶対に漏らしてはいけない最低の笑いだった。

「嗤うな。なに嗤ろうとんねん。嗤うとこちゃうやろ? なあっ!」

「………」

「たいがいにせえや! どないすんねんこれから! お前、何がしたいねん!」

 はぁ――ああ。とため息が聞こえて、その後で 

「寿一……オレ、漫才したい」

「なめとんのか。ワレ」

「……」

 くだらない男だ。大方見当がついた。サッチンが電話を掛けろといって、散々ぐずった挙句、やっと電話してきたのだろう。

 俺は怒りで震える手を片方の手で押さえて、告げた。

「……稽古しとけ。渡した台本(ホン)全部覚えろ。100回繰り返せ」

「……」

「……次にやる時はお前がボケをやれ。俺がツッコむ。仕事は俺が繋いどく。二年でも三年でも謹慎せえや。けど――稽古さぼったら」

「……」

「ぶち殺すぞ。ワレ」

「……寿一。お前ツッコミ、ヘタやんな」

「じゃかましぃわ。ぼけ」


 未来を失った。積み上げた今までを失った。笑い方も泣き方も思い出せない。

 それでも俺には漫才しかない。

 絢斗(こいつ)しかいない。


◇◆◇


 夢がある。望みがある。数えきれないほどにいっぱいある。


「除夜の鐘ってやるやろ? 大晦日に」

「やるな」

「あれなんで一〇八つ、鐘つくんやと思う?」

「そりゃああれや、煩悩の数が一〇八つあるからやろ」

「あるか? 一〇八つ? いうてみいや」

「女にもてたい金持ちになりたいうまいもん喰いたいゆっくりねたい酒飲みたいうまいもん喰いたい」

「ダブったぞ」

「ええと、カニ喰いたいエビ喰いたい」

「……まあええわ」

「タコくいたいイカくいたい玉子たべたいかっぱ巻き……ええと」

「行き詰まるの早いな!」 

「は……」

「はまちか?」

「早く人間になりたい」

「ごまかすなっ!……あれは彼らの魂の叫びや。お前の煩悩といっしょにすな」

「おお。なんかゴメン――って、お前『妖怪人間』どんだけ好きやねん」


 やりたいことがある。見たい夢がある。


 それすら捨ててもたどり着くべき場所がある。見たい景色がある。

 嗤われても嗤われても、この舞台この一瞬のために泥を啜って舞い戻る。

 ふたりで立つために、ひとりに耐える。

 おれらは漫才師や。


「ええかげんせえや!」「お前こそ、ええかげんせえや!――」


 漫才は、ふたりでやるもんや。


 完

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