終わりは誰も一人
灰崎千尋
今 船出が 近づくこの時に
朝、目覚ましをかけなくとも目が覚める。電気ケトルで湯を沸かし、カフェオレのスティックを開けてゆっくりと啜る。見るとはなしに眺めていたNHKで、アナウンサーが「三月二十六日、金曜日、時刻は6時30分です」と告げた。
嗚呼、今日は私の誕生日か。
こんな歳になると誕生日なんて意識しなくなるものだけれど、今年はついに七十の大台に乗ったのだ。七十歳。古希。「人生七十古来稀なり」の言葉の通り、既に何人かの友人を見送っている。今や人生百年時代と言うものの、自分の好きなように生きてこの日を迎えられたのは、なかなかに有難いことなのだ。
そう思うと、今日はこれまで必要性を感じつつも先延ばしにしていたことに手を着ける、良い機会のような気がしてきた。いわゆる『終活』である。
私は今、三十代の頃にえいやと買ったマンションに一人暮らしをしている。結婚歴は無し。親は既に亡く、兄弟も子供もいない。孤独死まっしぐらである。幸いご近所付き合いは良好で、新聞が三日分溜まっていたら通報してくださいね、と両隣に伝えてあるので、大変なことになる前には見つけてもらえる、はず。
恋愛にうつつを抜かしたこともある。しかし結婚して家庭に入る自分というのがどうしても想像できなくて、ここまで来た。こんなお婆さんになっても交際を申し込んでくるお爺さんがいたりもするけれど、もう恋愛で気分を浮き沈みさせるのは疲れてしまうし、一人が快適過ぎて、誰かと一緒に暮らすのはもう無理だな、とも思う。私はもう、独居老人としての覚悟をしているのだ。
とはいえ、そうなると死んだ後のことを自治体その他にお任せすることになるわけで、まるで整理されていない現状では忍びない。終活というものが流行る時代で助かった。ひとまず何をすべきかということが、概ねまとまっているだろうから。
思い立ったが吉日、その日のうちに私は本屋を訪れた。終活本のコーナーはそこそこ充実しており、需要の高さを実感した。何冊かめくってみて、わかりやすそうな、それでいて子供っぽくも湿っぽくもない一冊を選んだ。
そして同じコーナーに並んでいたエンディングノートも吟味する。これは自分の情報や亡くなった後の希望を書き残しておくものらしく、終活のメインかつ集大成みたいなものだ。これは終活本以上に多種多様だった。自分の人生を振り返るページがみっしりあるもの、とにかく資産を事細かに記載できるようになっているもの、手帳のようにカバー付きでリングで綴じてあるものなど、色々だ。好みや必要性に応じて、ということなのだろう。私の場合、資産も大して無いし、どちらかというと後始末に重点を置いたものをどうにか選んだ。飽きっぽい私が続けられそうな、項目がシンプルなのも良い。
本屋から帰宅して終活本を読み進めていると、友人の
[のぞみ、誕生日おめでとう! 素敵な一年になりますように]
まめな人だ。こうして毎年欠かさず誕生日を祝ってくれるのは、もはや彼女くらいである。私が「ありがとう。終活はじめました」と返信すると、すぐに彼女から電話がかかってきた。
「どうしたの!? 何かあった!?」
私が「もしもし」と言うより先に、彼女は慌てた様子でそう言った。
「何もないわよ。ないから今のうちに、って思っただけ。おひとり様なもので」
私が苦笑しながらそう言うと、安心したようなため息が電話口から聞こえた。
「もーびっくりしたじゃない。急に終活なんて言うんだもの」
「ずっと考えてはいたのよ。でももう七十だし、いい機会だと思って」
「まぁ、そうねぇ、私もやらなきゃいけないわねぇ」
「あんたはいいでしょう、息子さんいるんだし」
「駄目よ。最後の最後で迷惑かけて息子に嫌われたくないもの」
それもそうね、と答えて、再び終活本に目を落とした。ずらりと並んだ目次。今度は私が溜め息をついてしまう。
「死ぬのもなかなか面倒くさいわね」
私がぼそりと呟くと、聡子はアッハッハと高い声で笑った。
「そりゃああそうよ、親の葬式ってめちゃくちゃ面倒だったじゃない」
「本当にね。私にはあれをやってくれる人がいないから、事前に自分でやっとかないといけないのよ」
「なるほどねぇ。まぁでも、離婚よりは簡単なはずよ、相手がいないんだもの」
聡子はあっけらかんと言った。彼女は数年前、熟年離婚をしたのだ。「私はこれ以上あなたの世話ばかりしたくはありません」とばっさり言われた元旦那さんの狼狽っぷりは相当面白かったらしく、今でもよく話題に上がる。
「聡子の離婚話は何回聞いても飽きないから、すごいと思うわ」
「でしょ。そういえば終活って遺言書とか書くの? 弁護士さん紹介しようか? 頼りになるわよー、あの人は」
「そうだろうけど、専門分野が違いすぎない?」
「わかんない、一度聞いてみないとね。あの人が駄目でも、違う弁護士さん紹介してくれるかもしれないし」
「まぁ正直、知り合いの弁護士とかいないから、そうしてくれると助かる。頼んでもいい?」
「オッケー。ついでに私も相談しようっと」
やはり持つべきものは友である。これで終活が早くも1ステップ進んだ。先は長いとはいえ大きな一歩だ。弁護士探しなんて、どうしたらいいかわからなかっただろうし。
終活の話はそれくらいにして、あとは聡子の息子や孫の話、最近みたテレビや映画の話などをして通話を終えた。ほとんどがくだらない話なのに、二時間も電話してしまった。
改めて終活本とエンディングノートに向き合う。
まずは自分の情報の整理からだ。本籍地や免許証・保険証にはじまり、預貯金やクレジットカードについてもノートに埋めていく。カード払いと口座引き落とし、どちらにしていたっけ。そういえばこんなカードもつくったんだった。保険証券どこにやったかしら……いちいち雑な管理が浮き彫りになって焦る。父はさておき、母はこの辺りきっちりしていたなぁ、などと思い出しもした。
とりあえず資産の途中まで埋めて、今日はここまでということにする。ページはまだまだ続いているが、本にもノートにも「焦らず少しずつ」と書いてあるし。
別のある日、私は取り寄せた葬儀社のパンフレットを見比べていた。私としては、親族もいないのだしそのまま焼いてくれてもいいのだが、さすがにお坊さん無しだと母に叱られそうな気がする。となると通夜、告別式を除いた火葬式だろうか。一応最低限の読経はしてもらえるようだ。もう後を見る者がいないので、墓じまいもしなくてはならない。ご先祖様には申し訳ないが、みんなで永代供養していただこう。
何にせよ、それら全てに安くない金額がかかるのだ。果たして貯金で足りるだろうか。
そんな不安がありつつも、私は少し楽しくなってきていた。予算がこんなに高くなければ、生前葬もやってみたかったくらいだ。それを自分では見られないとはいえ、こうして自分好みに葬儀をアレンジしていくのは面白い。こういうことを、他の人は結婚式で楽しんでいたのかもしれない。葬儀は簡素でいいけれど、真っ黒のリムジン型霊柩車には乗せてほしい、たとえそれが遺体でも。
それなら、遺影も撮らなければ。
最近ろくに写真も撮っていないし、どうせなら撮影もメイクもプロにお願いしたい。それに、早く撮らなければ老いていくばかりだ。
そうだ、私はこうして、いつだって自分で選んできた。失敗したことも勿論あるが、後悔はしていない。いつか一人で今際の際を迎えても、私はそう言えるだろう。それがこの部屋か、介護施設か、病院かはわからないけれど。
終活はまさしく、人生最後の選択になるはずだ。やはり、手を付けてみて良かった。聡子の紹介してくれた弁護士にも色々相談しなくては。
私の終活は、まだまだこれからである。
終わりは誰も一人 灰崎千尋 @chat_gris
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