甲賀頼芳の幻戯(めくらまし)
夏目
第1話
「神様。なにとぞ、お助けくだっし」
明治二十三年、四月中旬の
「神様、あの鬼のような人買いから助けてくだっし。おらの妹が借金の片に売り飛ばされちまう。金も
と若者は見るも哀れな様子で、ぶつぶつ拝んでいたが、
「……いや、もう、神様でも鬼でもペテン師でもかまわね。誰か助けてくれんだろうか?」
と力なくつぶやいた、そのときである。
「わしが、手を貸してやろう」
鈴の
「ほ、本当だか。ありがてえ」
人離れした美しい童を、若者は思わず天の助けと伏し拝んだ。
「けんど、……人買いは、幻術を使う恐ろしいやつだ。おめ様は
「心配要らぬ。そなたの名は」
「へえ、
「では伊八。――うぬの家に案内せい」
童は狛犬の像をぽんと蹴って地面に降り立つと、もう鳥居のほうへ歩き出している。その影を伊八は慌てて追いかけた。
童を連れて山を下りた伊八が、
「おうい、
裏口から土間に入った伊八が声を上げたが、返事はない。家の中には
「おや。
土間の片隅から
「この人買い。妹をどこに隠しただ」
伊八の問いに、白面の人買いは薄茶色の目をにいと細めた。
「妹は、手下がおまえの親父と一緒に連れて行ったよ。今頃は列車の中だろうぜ」
「また、親父を
「あきらめなよ。妹はおれの幻術一座の玉乗り芸人になるんだ、もう証文もある」
人買いは
そこに横から童の袖が伸びる。袖に払い落された蛇は床に落ちて煙と消えた。
「これは確かに、鬼のごとき
そうつぶやいた童の手刀がひらめき、人買いの脇腹から背中までをずぶりと貫いた。うつ伏せに倒れた人買いを見て、伊八が青ざめる。
「このような輩に踏み潰された者が、我ら鬼を呼び、騙されて、
突然、童の口端が耳までつり上がり、その額に二本の角が生えた。小さな体が膨れ上がって、みるみる牛と人を合わせたような異形の姿と変わる。
伊八は肝を
「あはは、久しぶりの
おどろの火を吐く鬼の笑い声を聞きながら、伊八は悔しさ情けなさに
「愚かなのは、
鬼が背後に振り向くなり、真っ向からふうっと吹きかけられる紫煙。煙は鎖と変わって鬼を二重三重と縛り上げ、倒れた人買いの体も煙と消える。
「……実体も定まらぬ幻が、人を騙して、憑いて、鬼となる。明治の新時代でも、鬼となる幻はそれを繰り返す。だから、鬼よりもずる賢く幻を見せないと、鬼殺しは勤まらない」
くわえ煙草で立った人買いが、中折れ帽子の
「僕が誰かって? 鬼殺しの鬼、甲賀三郎
甲賀頼芳が指を鳴らすと、鬼を縛る鎖が絞まって異形の体は雲散霧消し、煙もろとも夜風にさらわれた。
「おや。名乗りを終える前に、幻にして、消してしまったね。……ま、いいか」
頼芳は鬼のいた場所から目を離し、茫然としている伊八の前にかがみ込んだ。その指がぱちんと鳴ると、伊八は夢から
「あっ、先生。また、おれに暗示をかけなすったね?」
「今回もいい芝居だったよ。伊八くん」
頼芳は伊八ににっこりと笑いかけた。
「まったく。君は僕の暗示にかかるとどんな人間にもなって、そのお人好しの顔で鬼をころりと騙してくれるんだからねえ」
愉快そうに肩を揺すった頼芳は
「伊八くんは、僕にとって最高の助手だ。これからも僕への借金を返すまで、――せいぜい騙されてくれたまえ」
笑い声とともに去る主人の黒影に、伊八は頭をかきむしって叫んだ。
「こんの、ペテン師め! --あんたが、いっちばんの鬼だよう!」
甲賀頼芳の幻戯(めくらまし) 夏目 @KARASUMA373
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