鼓動と明滅
蜜柑桜
明滅する通知
ヴァイブの音に耳が反応する。充電器に繋ぎっぱなしだったスマートフォンの画面が光るのが視界に入ったが、そのままキーボードのタイプを続けた。
サイレント・モードで着信音は鳴らない。でも今のヴァイブのリズムはショッピング・アプリの通知。登録してあるブランドの毎日のお知らせだ。時間的にも確実にそう。
しばらく今日のノルマのファイルを片付けていると、またヴァイブ。パソコンの時計を見たら、十七時五分。この時間ならMINEに登録してあるイギリスのニュース。見るのは後にしよう。
あまりたたないうちに、また視界の隅でスマホが光る——これも、違う。
いつからだろう。自分でも気が付かないうちに、あの小さな機械の自己主張に、こんなに敏感になってしまったのは。
そろそろお腹が空いてきた。書類も送信したし、もう今日はいいかな。ずっと同じ姿勢だった体を椅子の上で大きく上へ伸ばし、ノート・パソコンを閉めようとパソコンの蓋に手をかけた。
その時、またスマートフォンが音を立てるのに、耳が鋭く反応する。
二十一時三十三分。
パソコンにかけた手が止まり、心臓が激しく脈打つ。
バイヴのリズムはショートメッセージアプリのリズム。この時間に送られてくるクーポンやニュースはない。メールは全部、パソコンで見ているし、昨日今日はメッセージを送った友達も、他にはいない。
無意識に体の動きがゆっくりになる。
スマートフォンの画面は、先ほど明滅した光を今は消している。
強張る指で、ホームボタンを強く押した。
アプリのアイコンと一緒に、あの人の名前が画面に光った。
それが目に入った次の瞬間、私の指はもう、再び画面を暗くしていた。
あの人とこういうふうにやり取りするようになってから、そろそろ一年経つ。
職場であの人と私が会うのは、たった二週間に一度。別部署に定期報告を届けるときだけ。
しかし新型ウイルスの影響で在宅勤務が基本になり、たった二週間に一度の心許ない関係が、もっと覚束なくなった。
それに追い討ちをかけるように、四月頭に一斉送信で送られてきた、今季をもってのあの人の部署異動の連絡。それは私とあの人の関係が、数ヶ月経てば自然になくなるという通知だった。
どんなに細い糸だろうと繋いでおきたかったのか、始まりの象徴みたいな桜の花に揺さぶられたのか、スマートフォンを手に取った。仕事の用件に一言、異動後もたまのやり取りを誘ってみただけ。肝心なことは言葉にできなくて、なんてことはない社交辞令のように見せかけただけ。
でも私にとっては、なんてことないどころか大ありの、決死の覚悟の一歩だった。
それ以来、あの人との小さなやり取りが続いた。断片的でも、確実に繋がっている一歩一歩だった。
仕事のこと、在宅で集中するノウハウ、自宅ごはんのコツや、綺麗に見えた虹。交わすのはそんな他愛のないこと。それでも私のスマートフォンは日夜、私の視覚と聴覚を研ぎ澄ませた。
ヴァイブの種類を聞き分け、いつの間にかあの人が送ってくる時間帯が何となく掴めるようになってきて。
画面が明滅してその名前を見たら、いつでも心臓が途端に早鐘を打つ。
メッセージを受け取るのは毎日じゃない。お互い忙しいし、男性だからか向こうは特にまめじゃない。早くて翌日。間が開けば一週間以上。
そんなふうに待って待って、待っている通知なのに、明滅した名前をタップするのを、指が拒否した。
次にいつ来るのかわからないメッセージを読んでしまうのが勿体なくて。
話が続かない内容だったらどうしたらいいかわからなくて。
前のメッセージに込めた気持ちに、もしかしたらちょっと気がついてくれたのかと期待して、でも結果が怖くて。
通知がいつまでもアプリの右側に出ていて、なかなか消えてくれない。メッセージ数の「1」を見るたびに、胸がどくんといってしまう。
さすがに返事を書かなくちゃと、ぐっと息を詰めて、赤く光る印を消した。
鼓動で胸が破裂しそう、ぐるぐるする頭が知恵熱を起こしそう、目眩すら覚えながらアプリを開き、読んだ文にがっくりきたのも、いったい何度あっただろう。
それでも私のスマートフォンはこの一年、暗い画面を光らせては、私の身体を硬くする。
通知に目を逸らし、ニュースフィードから見えなくして、ずいぶん経ってからやっと息を詰めてタップする。
通知が消えて安心するのなんてほんの一瞬。気落ちするメッセージじゃなかったのにほっとしたら、もうどくどくとうるさい音が呼吸を苦しくする。文字入力とDeleteを繰り返し繰り返し、布団を引かぶって暗記するくらい読み返して、目を瞑って送信ボタンを押したら、またこの小さな機械の動きに五感が研ぎ澄まされる。
そして今日も、また同じ。
夕飯を作って食べて、お風呂に入って、やっとメッセージアプリを起動する。
耳に聞こえるくらい、大きく深呼吸する。
息を止めて、通知を消した。
♪ ♪ ♪
ヴァイブの音に耳が反応する。充電器に繋ぎっぱなしだったスマートフォンの画面が光るのが視界に入った。
あれから半年。もう在宅勤務も緩和され、時々は職場に行っている。二週間に一度赴く部署では、リモートばかりで不安そうな後任の若い子から、よく相談を持ちかけられるようになった、そんな日常。
パソコンの蓋を閉め、クッションを置いて椅子から立つ。ケーブルをコンセントに突っ込んだまま、スマートフォンのホームボタンをタップした。
手の中で、小さな機械が震え続ける。
画面に浮かび上がったのは、あの人の名前と、受話器のマーク。
「はい、もしもし?」
軽くタップした画面を、そのまま耳に近づける。
いつからか、通知ももう、残らない。
——完——
鼓動と明滅 蜜柑桜 @Mican-Sakura
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