永い留守番
絵空こそら
留守番
最初の違和感は、親が帰ってこなかったこと。いつもは玄関のドアを開けると、「おかえりー!」という母さんの元気な声が台所から聞こえてくる。今日は電気もついていなくて、家の中はしんとしていた。一応台所に回ってみたけど母さんの姿はなく、朝に洗った皿が水切り台に立てかけてあるだけだった。買い物に出ているのかと思い、僕は学校の宿題をして待つことにした。
18時になった。今までこんな時間まで母さんが帰ってこなかったことはない。そういえば、僕が帰宅する時間帯に出掛ける場合、「買い物行ってきます」というメモがテーブルに置かれている。今日はそのメモもない。何かあったのだろうか。
少し不安になり、母さんのケータイに電話をかけてみる。プルルルル……プルルルル……という音は鳴るものの、一向に繋がる気配がない。まだ仕事中だとは思ったけれど、試しに父さんのケータイにもかけてみた。やっぱり繋がらない。留守番電話サービスにも繋がらなかった。
21時になった。おかしい。いつも父さんが帰って来ている時間なのに、何の連絡もない。やっぱり何かあったのだ。隣の家の人に事情を説明して、調べてもらったほうがいいかもしれない。そう思い立って、玄関のドアを押した。けど開かない。鍵がかかっているわけでもないのに、どういうわけかびくともしなかった。今度は窓から出ようとしてみる。窓も開かない。出られない。僕は急に怖くなった。もう一度両親に電話をかけてみる。繋がらない。生まれて初めて110番も押してみた。それでもやっぱり、プルルルル……という音が鳴るばかりで、誰も返事をしなかった。
24時になった。僕は受話器を持ったままぼんやりしてしまい、動けなかった。ぶらりと手に提げた受話器からは、ツーツーという音が微かに漏れている。他に何にも音がしないので、嫌でも耳につくのだ。
次の日になっても両親は帰ってこなかった。時計を見ると、もう朝になっているはずなのに、曇りガラスから漏れてくる外の色はどんよりと暗かった。家の中から出られないのでは、当然学校にも行けないので、僕はそのまま家でじっとしていた。
その後、時計が何周したのか覚えていない。もはや、今が朝なのか夜なのかさえよくわからなかった。不思議とお腹は空かなかった。机の上にはとっくのとうに済ませた宿題が、散らばっている。
ある日、突然玄関のドアが開いた。僕は玄関まで走った。「母さん、おかえり!」と、言うつもりだった。でも、洗面所から流れる水の音と、聞いたことのない鼻歌が聞こえて、僕は戦慄した。知らない人が、家に入ってきた。
僕は咄嗟に押し入れの中に隠れた。そして生活音が止むまでじっと息を殺していた。
押し入れの外がしんと静かになると、僕はそっと外へ這い出た。僕のベッドに、見知らぬ女の人が寝ていた。まるで自分の家のように、リラックスした様子で寝息を立てている。
急に怒りが沸いた。何で、人の家にいきなり入ってきて、すぐに寝られるんだ。
「出ていけ」
と無意識のうちに呟いていた。
「出ていけ出ていけ出ていけ」
女の人が目を覚ました。
「出ていけ!」
僕が叫ぶと、女の人は「ギャア!」と悲鳴を上げて口を覆った。そして寝巻のまま、玄関を飛び出していった。
ドアがバタンと閉まってしまうと、再び家の中はしんとした。僕はもう一度母さんのケータイに電話を掛けた。プルルルル……プルルルル……という音だけが、暗闇の中に響いていた。
それからしばらくして、またあの女の人がやって来た。鍵は閉めていたはずなのに。今度は男の人も一緒だった。
僕はもう押し入れに隠れなかった。玄関の前に立ってもう一度「出ていけ」と言った。
男の人は僕を見ると、「ああ、本当だ。可哀想に」と呟いた。そして膝を折って、僕の目線に顔の高さを合わせ、こう言った。
「信じられないだろうけど、君は20年前に死んでいるんだ」
「嘘だ」
だって、学校から帰ってきたばかりだ。たけしくんとまーちゃんと一緒に帰って来たから、証人だっている。その後はずっと家にいた。いつ僕が死んだというんだろう。
「交通事故だったんだね。死んだことに気づかずに、家に帰って、ずっとご両親を待っていたのか」
嘘だ。だってちゃんと、いつも通りの通学路を歩いて帰ってきた。事故になんかあってない。僕は死んでなんかいない。
「お家への想いが強すぎて、ここから出られなくなっちゃったんだね。でも、ここにもう君の家族は帰ってこないんだ」
嘘だ。嘘だ。死んだなんて嘘だ。きっと母さんも父さんも帰ってくる。母さんに会いたい。「おかえりー!」という声がききたい。今日の晩ごはんは何?と聞いて、僕もお皿を出したりして、手伝って、一緒にご飯を食べて。父さんが帰って来て、「今日は学校どうだった?」と聞くから、サッカーでシュート決めたことを話して、それで……。
「母さんと父さんに、会いたい」
僕は泣いていた。どうして帰って来てくれないんだろう。寂しくて心細くて、仕方がなかった。
男の人は僕の頭に手を置いた。感触はなぜかよくわからなかったけど、温かい気がした。
「そうだね。お母さんとお父さんに、会いに行こう」
男の人がそう言った瞬間、ふっと身体が軽くなった。そしてそのまま上へ、上へ、昇っていく。久しぶりに青空を見た気がした。光の靄のようなものに包まれて、だんだん意識が薄くなっていく。遠くから「おかえりー!」という母さんの元気な声が、聞こえた。
永い留守番 絵空こそら @hiidurutokorono
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