3 杯目 着火
SIDE
真新しい寒々としたキャンパスの一角に建つサークル棟の、一番奥の区画に、私はこの日も戻ってきた。表札に貼られた「うどん会」の文字は風雨で劣化し、半分はがれており、その下の剣道部という文字が容易に視認できる。べろんべろんである。会の存在自体が怪しまれる一因であり、これでは
研究もそこそこに、今日もSNSでうどんについての情報収集を始めた。我が会の長たる人間の取るべき行動として、
「おや、今日は『うどん』がトレンド入りしている。何だろうな」
と、私は独りごちた。ぼそりと呟いたのであって、独りでうどんを食べたわけではない。
トレンド欄を見ると「うどん マナー」「うどん 失礼」等が含まれる不穏な投稿が多数飛び込んできた。追っていくうちに、複雑な感情が湧き上がってきた。まるで複雑に絡み合ったうどんを持ち上げた時のような重みが、私の心にずしりと感ぜられた。
と、その時、後輩が部室に入ってきた。一学年下の
「うわっ先輩どうしたんですか」
入室して第一声がこれだった。私は興奮のあまり、何やら恐ろしい表情をしていたようである。
「ん? ああ、いや、とんでもない謎マナーが提唱されたらしくてね……」
言いつつ私は宮武君に最も分かりやすい記事を見せた。それは多くの人が引用している、ブログの元記事であった。「ビジネスの場でうどんは失礼! 令和時代の新常識をお伝えします!」という題名の下、うどんは角が立つからという謎理論に基づき、うどんはマナー違反と断じる記事であった。
「こんなでっち上げのデタラメを世間に出して恥ずかしくないのかね」
「草」
「いや草じゃないよ、君。こんなものが世に広まったらうどんへの風評被害が起きるぞ」
「さすがに考えすぎじゃないですか? 本気にする人なんていないでしょう」
「いやいや、馬鹿にできないのだよ。人の心は簡単に刷り込みが行われるからな。それによく読んでみたまえ。『ただし角が取れて丸くなったものは可』とあるだろう。これがどういうことか分かるかい。コシのないうどんは許容すると暗に示しているんだよ。誠に許されざる、
「はあ、まあ……」
また暴走が始まったよ、と半ば呆れた目で宮武君が私を見る。そこでようやく私も、自身が僅かばかりヒートアップしたことに気が付いた。ようやく、少し冷静さを取り戻すことができた。
「もう少し情報を集める必要があるんじゃないでしょうか。今集めた情報は、極一部を不自然に面白おかしく切り抜いただけかもしれません。本当はもっと大きな流れを持った主張がなされているのかもしれませんよ」
宮武君のその一言で、私ははっと目が覚めた。そうだ、メディアとは大体その程度のものである。私としたことが、我を忘れてしまった。
ともかくこれが、私の青春に重要な足跡を残した全国共闘うどん運動の幕開けであったことは間違いない。
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