あるいは、土井瑠藍子自身にもっとも近い事件

 藍子がいなくなってからも、俺は天文部室の前に留まっていた。


 


 理由は簡単で、俺が見た星はビニール袋の穴から差し込んだ太陽光とは似ても似つかぬものだったからだ。いや、一瞬しか見ていないから断定的なことは言えないが、何というかリアリティのない極めて記号的な星だったと思う。


 わからないのは藍子の態度だ。いつもの藍子なら、必ず俺が見た星の形状を子細に尋ねたはずだ。俺がいた場所の見当がついたとしても、推理する前に確認したはずだ。つまるところ、藍子は全ての不可能を消去していない。にも拘わらず、最後に残った奇妙なことを、黒いビニール袋という証拠だけをもって真実と主張する。いつもの藍子ならこんなずさんなことはしないはずだ。


「あんたまだいたの? お礼はマカロンで――」


 と、ふいに地学室のドアが開いて、さっきの女子部員が俺に声を掛けてきた。いや、俺ではない。藍子がまだいると勘違いして、口を滑らせてしまったようだった。


「いまのなし! いまのなし!」


 慌てて地学室に戻っていく女子を尻目に、俺は昇降口へと向かうことにする。


 藍子が彼女と共謀し、偽の証拠をでっちあげて、俺に偽の真相を語った。ここまでは間違いないだろう。だが、何のために? 藍子は何を隠そうとした? 待ち合わせの時間まであと少し。藍子が名探偵であることを放棄するならば、今日くらいは良いだろう。俺が五分で解決探偵を目指しても――。


 しかし、結局俺は真実をつかみ損ねたまま、昇降口へと到着してしまう。


「藍子」


 幼馴染みは既に靴を履いて、俺を待っていた。


「……どうあがいても、俺は名探偵になれはしないのだろう」


「七瀬ちゃん?」


 訝しむ彼女を正面から見つめて、俺は言う。


「だが、助手の矜持として指摘しなければならない。さっきのお前の推理は誤りだ」


「七瀬ちゃん」


 藍子がはっと息をのんだ。


「どうしてお前はあんなでたらめを――」


 だが、俺が全てを言い終わるよりも先に、時ならぬ強風が吹きすさんで、土埃を、枯れ葉を、そして――


 あらわになった黒い下着は少し子どもっぽいデザインで、布地のあちこちにがあしらわれていた。


「……見た?」


 顔を真っ赤にして、藍子が尋ねる。俺は重々しくうなずいて「見た。知った。解決した」と古代ローマの執政官のごとくに呟いた。


「な」


「な?」


「七瀬ちゃんのバカァ!!」


 再び星が流れて、藍子の見事な回し蹴りが俺の側頭部にヒットした。


 遠のく意識の中で、俺は幻視する。何らかの事情でいつもより遅くに購買へと向かうことになった藍子が上履きのまま中庭を突っ走る姿を。


 走って、走って、俺が寝こけているベンチを一息に飛び越えて――。


 真昼に流れる星を見たことはあるか? 俺はある。遠くて近く、近くて遠い、その煌めきを、俺だけが知っている。

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真昼に流れる星を見たことがあるか? mikio@暗黒青春ミステリー書く人 @mikio

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