第1部 2章 9

 姉はマヌエラから見て非の打ち所の無い女性だった。


 二歳しか変わらないにも関わらず、孤児院の仕事を完璧にこなしつつ司祭になる為の修行も怠らない。

 同じ親から生まれ、同じ修道院で一緒の日々を過ごしている筈なのに何もかもが自分とは違う。


 ここまで差があると比較して落ち込むのも馬鹿馬鹿しい。

 

 マヌエラのフィオレに対する尊敬の念は崇拝と言っても過言ではない領域にまで達していた。

 もし女神ウェスタがいたとしたらきっと姉のような女神に違いない。

 そう信じていたし周りにもそう話していた。


 それを聞いた子ども達は素直に頷き

 エクトルはやれやれと肩を竦め

 イレーヌは「私もそう願うわ」と同意し

 姉は「私にとってはあなたがウェスタよ」と髪をとかしてくれた。


「ねえ、私たち四人ならお店が開けそうだとは思わない?」


 フィオレの視線の先では子ども達が食事を囲みながら会話に花を咲かせている。


 テーブルに並んでいる料理は、オムレツこそエクトルが焼いていたが他は全て姉が事前に仕込みをして用意していたものだ。


 姉は食べることが好きな人だったがそれ以上に食べさせることが好きだった。


「俺とフィオレは調理担当として、二人は何をするのさ?」


「私は接客ね」


「あー、良いね。泣く子も黙りそうで」


 澄まし顔のイレーヌにエクトルが苦笑いで応じる。


「エクトル、どうやらあなたには私の実力を思い知らせる必要があるみたいね」


「そこまで言うならイレーヌがどんな接客するか見せてもらおうかな」


「表に出なさい。二度と生意気な口が叩けないようズタボロにしてあげるわ」


「え、実力ってそっち!?」


 まるで姉弟のような二人のやり取りに、私も姉も思わず吹き出してしまう。

 

「ねえ、マヌエラだったら何をやってみたい?」


「わ、わたし? えーと、どうしようかな……」


 イレーヌだけに接客を任せるのは不安だから自分も接客をした方が良いかもしれない。とは言え、厨房を二人だけで回すのも大変そうだ。


「……お姉ちゃんはどうしたら良いと思う?」


「何をするべきかじゃなくて何がしたいかで考えたら良いって、お姉ちゃんは思うな」  


 マヌエラは自分で何かを決めることが苦手だった。

 だからその度に姉に相談していたのだが、たまにこうして困らせることを言ってくるのだ。


「何がしたいかって言われても……。お姉ちゃんのようになりたい……とかじゃダメかな?」


「ダメじゃないわ。そう言ってもらえるのはとっても嬉しい。でも、マヌエラならもっと素敵なあなたになれると思うの」


 優しく微笑みかけるフィオレにマヌエラは困惑した表情を向けることしか出来ない。

 姉よりも素敵な人間などいるとは思えなかったし、まして自分がそうなれるとは想像だにしえなかったのだ。


 

 

 

 懐かしい夢を見たせいか、マヌエラはまだ夜中にも関わらず眠りから覚めてしまった。


「誰か来たのかな……」


 相変わらずの寝相の悪さにも関わらず毛布が綺麗にかかっていた。

 

 ベッドから起き上がり窓を開けると、涼しい風が流れ込んでくる。

 視線を下に持っていくと、武器を手にした大勢の人間が行き来していた。


「ねえお姉ちゃん、わたしお姉ちゃんと同い年になったよ」


 四年前、ウェスタの巫女の候補者として選定戦に擁立されたフィオレはヴァレンティヌス派との戦いで命を落としてこの世を去った。


 イレーヌは事件をきっかけに教会を去り、それ以来一度も会っていない。


「わたしこの四年間ずっと、お姉ちゃんの代わりにウェスタの巫女にならなきゃって思って頑張ってきたんだけど……ダメだったかな?」


 夢の中で姉に言われた台詞を反芻する。

 これは本当に自分がしたかったことなのか、それともただ義務感に突き動かされているだけなのかマヌエラには分からない。


 その時、ドアを叩く音がした。


「エクトル……」


「マヌエラ、起きたんだ?」


「ええ、ちょっと目が覚めちゃって。エクトルこそどうしたんですか?」


 部屋の中に入ってきた彼は外行きの装いの上から防刃仕様のコートを羽織り、肩には革袋を下げている。

 

「ヴァレンティヌス派のアジトが分かった。向こうが何かしてくる前にこちらから仕掛けようと思ってね」


「エクトルが行かなきゃダメなんですか?」


「女が悪魔を召喚したのを見ただろ? 中途半端な冒険者を送っても贄にされるだけさ」


「そうですか……。エクトルには苦労ばかりかけますね」


「それが仕事だからね、マヌエラが気にすることはないよ」


「そうですけど……」


 仕事、という言葉がこの時はやけに引っ掛かった。


 エクトルが自分の側にいるのは、四年前に姉を守ることが出来なかったことに対する彼なりの贖罪だということは彼女も気付いている。

 そうでなければ、一介の巡回司祭でしかないマヌエラの護衛を教会の最高戦力にまで登り詰めたエクトルが引き受けるわけが無い。


 そうと知りながらも彼の好意に甘え続けていることをマヌエラは引け目に感じていた。

 エクトルが何をしたいかではなく何をするべきかに縛られているのは、マヌエラが未だに死んだ姉の幻影を追い掛けているからに他ならない。

 しかしマヌエラが走り続けることを辞めることは、巫女候補とリクトル、或いは巡回司祭とその護衛といった関係が終わることも意味する。

 

 それが堪らなく恐ろしい。


「マヌエラ、大丈夫?」


「ふぇ!?」


 エクトルの声で我に帰る。


「何だか疲れてるみたいだけど」


「そ、そうですか?」


「まぁ命を狙われてるわけだし、気疲れするよね。これが終わったら何か美味しいものでも食べに行こうか」


「美味しいものですか?」


「うん、何か食べたいものはある?」


「……オムレツが良いです」


「オムレツ?」


「孤児院で良く作ってたじゃないですか。なんだか久しぶりに食べたいなって……。ダメです?」


 気まずそうに上目遣いをしてくるマヌエラにエクトルは困ったように頭を掻く。


「明日の朝にでも厨房を借りて作ってみようか……」


「良いんですか!?」


 マヌエラが目を輝かせる。


「それくらいお安いご用だよ」


「ふふ、じゃあ楽しみにしてますね」


「分かったよ。じゃあお休み」


「お休みなさい。必ず帰ってきてくださいね」


 だが、夜が明けて朝になってもエクトルは帰ってこなかった。




 

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疾黒と赤雷のウェスタ ヤバ タクロウ @yabatakurou

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