第1部 2章 8
マヌエラは夢を見ていた。
場所はクレスト教会が運営する孤児院の厨房。
当時十四歳だったマヌエラは修道院で神官になる為の勉強をする傍ら、孤児院の手伝いをしていた。
「全く……何で他の皆が鍛練してる中、僕はチビ達の朝飯作りなのさ」
隣で仕込みをしていたエクトルが生意気な口調で大きく溜め息をつく。
エクトルは貧しい家族の為、冒険者として働いていたらしい。
それもギルドに登録出来る年齢では無かった為フリーランスでだ。
後に本人から聞いた話だが、依頼自体は問題なくこなせていた反面、幼い子どもでギルドの後ろ楯も無かった為、依頼主やギルド所属の冒険者達とトラブルが絶えなかったらしい。
そこで見かねた教会関係者が彼を拾ったらしい。
冒険者として何度も修羅場をくぐってきている為実力としては申し分ないが、如何せんまだ年齢が低く、何より協調性に欠けていることから、まだ正規の訓練は受けさせて貰っていない。
彼もまたマヌエラとともに孤児院の手伝いをする毎日だ。
「エクトル、朝ごはん作りも大事なお仕事ですよ」
「その大事な仕事を僕らみたいな子どもに任せて大丈夫なのかって話だよ……」
「わたしは子どもじゃないですよ」
「なら、チビ達を夜トイレに連れていく時は一人で連れていきなよ……」
「あれは別にお化けが恐いとかじゃないですよ! 夜は危険が危ないので戦力を確保しようという大人の判断です!」
「まぁ、そういうことにしといてあげるよ」
意地の悪い笑顔を浮かべながらも、手は止めない。
牛乳を入れた溶き卵を薄く伸ばし、生地が半熟状態になったら焦げ付く前に折り畳んで空いた皿に滑らせる。
食べ盛りの子ども達を喜ばせる為に、空気を入れてなるべく大きく見せるのがオムレツ作りのポイントらしい。
「いつも思いますけどまるで魔法ですね」
次から次へと出来上がるオムレツは形も大きさもほぼ均一。
まるで鏡写しの魔法を使ったみたいだ。
「こうも毎日毎日オムレツばっかり焼いてれば嫌でも上手くもなるよ」
嘲笑を自身に向けて放つ。
そこに、戦いから離れ平穏な毎日に浸っていく中で自分が自分でなくなるのでは無いかという焦燥があることは普段鈍感なマヌエラにも見てとれた。
「エクトルは今の自分が嫌なんですか?」
「当たり前だろ」
「わたしは今のエクトルの方が好きですよ」
率直な気持ちだ。
出会ったばかりの頃は常に不機嫌そうな顔をしていて、何かある度に周囲の大人に噛み付いていた。
そんなエクトルが今は嫌々ながらも自主的に手伝い、他愛もない会話を交わしてくれるようになったことが嬉しかった。
「す、好きって……」
「あれ、何か怒らせるようなことを言ってしまいましたか?」
顔を真っ赤にしていたエクトルが溜め息と同時に頭を抱える。
「そうだったマヌエラはそういう子だったよ……」
「だから、わたしの方が年上ですよ! 何で子ども達に向けるような顔をしてるんですか!?」
「朝から賑やかね」
気だるげな声を伴って厨房に入ってきたのは、訓練着を着た長身の少女だ。
つい先程まで朝の鍛練に参加していたのだろう、肌は上気し全身から心地よい疲労感を漂わせている。
汗で濡れた髪は短く、一見すると美少年と見間違えるような美貌の持ち主だ。
「イレーヌ、どうしたんですか?」
「姉弟子としてエクトルがちゃんと仕事してる確認しに来たのよ。案の定マヌエラと朝からイチャイチャして……」
「誰が姉弟子だよ誰が」
「あら、イチャイチャしていたのは否定しないのね」
「…………」
憮然とした表情で黙り混む。
イレーヌはマヌエラと同い年で、エクトルがやって来るまでこの修道院で訓練をしている僧兵の中では最年少だった。
それ故彼のことを色々と気にかけ、こうして顔を見に来ていた。
「イレーヌ、朝ごはんは?」
「久しぶりにこっちで食べたいんだけど良いかしら?」
「何でだよ、向こうの方が量は多く出るだろ?」
「女は量より質なのよ。あなた、料理だけは上手いから」
「良かったですね、誉められてますよ」
「本当に褒めてた?」
だけ、に強烈なアクセントを踏まれたことに眉を潜めながらも片手で卵を割り、黙々と作業に集中する。
程なくしてエクトルは追加分も含め全員分のオムレツを焼き終えた。
「なんとか間に合った……」
「忙しくなるのはこっからですよ」
廊下の奥の方から足音が近付いて来たかと思うと、息をつく暇もなく子ども達が大きな挨拶とともに食堂へと雪崩れ込んで来た。
静かだった食堂が中からはち切れんばかりの活気で満たされていく。
「人数分ちゃんとあるんだから急かなくていいんだよ。ほら、小さい子から先だ」
エクトルが手にしたお盆を差し出してくる子ども達に料理を渡していく。
「すっかりお兄さん気取りね」
「気取りじゃなくて、ちゃんとお兄さんになっていますよ」
「マヌエラがそう言うならそうなんでしょうね、安心した」
そう言って慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
本人の前では決して見せない表情だ。
「直接言ってあげたらどうです?」
「人にはそれぞれ役割があるのよ」
「ごめんね二人とも、全部任せきりにしちゃって! あら、イレーヌも来ていたのね」
パタパタと上履きで床を叩きながら、一人の女性が食堂に入ってきた。
マヌエラと同じ蒼い瞳と栗色の髪の持ち主で、右手と左手にそれぞれ三歳と四歳の手を引いている。
「姉さん」
「久しぶり、フィオレ」
もう夢でしか会うことの叶わないマヌエラの姉は二人に向かって小さく笑った。
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