直観のプロポーズ

今福シノ

短編

「ほんっと、あり得ないと思わないっ?」


 だん、とグラスをテーブルにたたきつけて、私――峯原みねはらあかねは言った。

 金曜夜の居酒屋。そこは私の愚痴をかき消すくらいに賑やかな一方で、同じくらいに不平不満の声であふれている。


「僕もそう思いますけど……先輩、ちょっと飲みすぎじゃないですか?」


 対面に座って忠告してくるのは、後輩の山元やまもと誠也せいや。いや、正確には後輩だったというべきか。大学を卒業してからもう五年も経つんだし。


「そんなことないわよ、これくらい社会人のスタンダード。あ、おにいさんナマ追加でー」

「まったく……また酔っぱらって記憶飛ばさないでくださいよね」

「だーいじょうぶだって」


 と、ちょうどビールがきたので空のグラスと交換する。さっそくぐいっとひと口。くー、うまい。


「それより、さっきの話よ。ひどいと思うでしょ?」

「さっきのって……ああ、先輩がまた・・フラれたってことでしょ?」

「違うわよ。あんなやつ、こっちからフッてやったんだってば」


 ちょっとケンカしたくらいで「俺たち別れよう」なんて女々しいというかなんというか。


「でもケンカの原因は先輩なんですよね?」

「う。まーそりゃーここ最近ずっと仕事ばっかりだったってのはあるけど……」


 毎日終電帰りなんて生活が続いていたから、土日は一日中寝てたりでろくにデートができなかったのは事実。


「でもそういうときこそ一緒にのんびり過ごしたいって思うじゃん? それなのに「次はいつ

遊びに行けるんだ」とか「お前は仕事の方が好きだもんな」とか言うんだよ?」

「あはは、まあ相手だって仕事ある中で休みを合わせようとしてるんでしょうし、仕方ないところはありますけどね」

「そーだけど! そーなんだけどー! でも一緒に行きたいって言ってた場所に勝手にひとりだけで行くのはありえないって!」


 あー、なんだか言ってると思い出してムカムカしてきた。こんなときは飲むしかない。

 って、もうビールないじゃん。


「おにいさーん。エイヒレと日本酒ひやくださーい」

「先輩……」


 追加注文する私を見て、誠也は苦笑している。もう止める気はないようだった。


「たしか、前もそんなかんじでしたよね?」

「ん?」

「前の彼氏と別れた理由ですよ」

「あー」


 言われて思い出す。あれは半年くらい前だったっけか。

 破局の原因なんて、なんてことはない。トラブルがあって、そこから不和が生じて、それで終わり。

 あの時も、こうやって誠也を呼び出して愚痴ったっけ。それ以前に、誠也とは嫌なことがある度にこうして飲んでいる。時には愚痴を聞いたりして。


「にしても、先輩やっぱりモテるんですね」

「んー?」

「なんだか羨ましくなっちゃいますよ。僕なんてぜんぜん彼女できないのに」

「まっ、私は美人だからねー」

「あはは……」

「ちょっと、ボケたつもりなんだから、ツッコミなさいよ」


 私そこまでナルシストじゃないわよ?


 じろりと半眼を送っていると、追加注文の品々がやってきた。


「くー、やっぱエイヒレと日本酒の組み合わせは最高だわー」

「僕、日本酒って苦手なイメージがあるんですよね」

「なーに言ってんの。食わず嫌いはよくないぞー? 今日はおごってやるんだから、飲め飲め」


 ちゃっかり二人分注文していた片方を渡す。最初は拒否していたが「私の酒が飲めんのか? おおん?」と強くお勧め(他意はない)すると、意を決してぐいっとあおった。


「うう、この味慣れないですね」

「大人ならこれくらい楽しめないとだぞー」

「僕はやっぱり甘いお酒の方が好きですね」

「はっはっは、お子様め」


 すると、誠也は「大人といえば」と言って、


「誰かと付き合うってなると、そろそろ結婚とかも考えないといけないですよね。ほら、僕らももうすぐ三十ですし」

「う」

「先輩?」


 たしかに誠也の言うとおりではある。

 最近じゃ両親からの電話も増えた。直接口には出してこないけど、たぶん心配しているんだろう。

 その気はなくとも、年齢、周囲の目、将来を考えたとき、どうするのかという決断に迫られる。


「でも結婚かー」


 今まで何人かとは付き合ってきた。けれど結局はそれほど長続きしなくて、ちょっと何かあるとすぐに別れて。

 それにその時々で、その人と結婚したビジョンが頭の中で思い描けていたのかと訊かれると、はっきり言って皆無だった。


 私はどういう人と結婚するんだろう。

 私が結婚する相手、結婚相手に求めることってなんなんだろう――


「……あ」

「先輩?」

 

 そっか。


「ねえ誠也」

「なんですか?」



「私たち、結婚しない?」



「せ、先輩?」

「あ、いやごめん」


 誠也があまりにも目を見開いているものだから、慌てて弁明する。


「でもほら、結婚相手って、嫌なことがあっても一緒にいれる人の方がいいじゃん? 誠也となら辛いことあった時にこうやって一緒に飲んだりしてるし、意外と相性ばっちりなのかなーって」


 次から次へと言葉を出していく。

 でもそんなことは今思いついただけ。

 理屈は後から追いついてきた。

 考える前に、私は言葉にしていた。

 これが直観、ってやつなのかもしれない。


 健やかな時も、病める時も、ではなく。

 健やかな時はともかく、病める時にこそ、なんだと。


「……先輩」

「ごっ、ごめん。いくらなんでもいきなりだよね?」


 言ったはいいけど、自身の非常識さが猛烈に追随してきた。


「っていうか誠也はもっとおしとやかな女性ヒトの方が似合ってるよ。私みたいな酒飲みが相手なんて、ね?」


 唐突に、それもこんな居酒屋でプロポーズとか。自分がされたら確実に引くのに。


 現に目の前の誠也だって「はあ~」と盛大なため息をついている。

 あー、やっちゃったなー。


「あ、ごめん今のやっぱナシ。忘れて――」

「先輩は、やっぱり先輩ですね」


 そう言う誠也の顔は、笑っていた。

 いつもみたいな苦笑ではなく、頬を少し赤くして。


「ありがとうございます。そんな風に言われて、うれしいです」

「じゃあ」

「でも、さっきの言葉はやっぱりなしにしてください」

「あ……うん」


 そりゃあそう、だよね。


「こういうセリフは、男の僕から言わせてくださいよ」

「え?」


 今度は私の目が丸くなる。そんな私を、彼はじっと見つめてくる。

 こほん。と咳払いをひとつ。そして背筋を正す。


「先輩……いえ、茜さん」

「はっ、はい」


「――――」


 気分が高揚する。それがお酒のせいなのか、そうじゃないのかはわからないけど。

 この時の言葉は、私の記憶にしっかりと残り続けている。

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直観のプロポーズ 今福シノ @Shinoimafuku

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