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@boyakigumo様へレビューのお返事

 現在ヤマトタケルに関する特集中(?)ですが、2023年12月27日に@boyakigumo様より以下のレビューを頂いたことと、若干誤解もあるようなので、本稿では至急お返事をさせていただきます。


 @boyakigumo様以外の方も、おさらいを兼ねてご覧下されば幸いです。


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神武天皇は複数いた?の感想に次のことを書こうとして、書込み拒否

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神武天皇が即位したのは紀元前660年とされていますが、1年を2年として数えていたとするとその後の天皇と寿命や即位年数が釣り合う、実際は紀元前60年とすると中国側の記録と整合する、という話が江戸時代からあったそうです。魏志倭人伝の卑弥呼ですが、中国語辞典、漢和辞典どれにも卑には卑しい意味しかないので、中国側が侮蔑しての呼称でしょうが、距離は一里435mで正しいとすると、対馬の次は出雲で、茨城県の鹿島神宮辺りになるそうです。徳島説も含めて、距離を示して、比較するものがあると良いでしょう。天皇家は男系男子の万世一系で続いたから男系で無いとダメと理系出身の有名な女性が言ったりしてますが、それにはDNA鑑定で古墳埋葬者のY遺伝子が他の人より濃いとか、神武陵などをC14で調べるべき。国紀、天皇紀の焚書は朝廷の中枢近くに漢字教育係が幅を利かせたからで駅名に中文ハングル溢れる今の時代も無いとは言えないかも。

科学的に神武天皇の年代、卑弥呼は誰で邪馬台国はどこか、など判明したら、例えば神功皇后が生んだのは1年を2年と計算なら妊娠中に遠征して本当に夫の子を産んだの有り得て男系崩れないし(石をくくり付けた話は無理があって、朝鮮半島で産んで別の子種を仕込まれたこともあり得る)、鹿島神宮や香取神宮の年代も何か科学的に解明できたら良いのにと思ったりします。孝明天皇から悠仁様も男系言うなら勿論DNA鑑定することで、明治天皇すり替え論や美智子様他人間人工授精論は跳ね返せるでしょう。


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 この様な辺鄙なエッセイにも関わらず、大変長いレビューありがとうございました。

 長文の為、大変恐縮ですが、本エッセイと関連部分についてのみ、コメントさせて頂きます。



>神武天皇は複数いた?の感想に次のことを書こうとして、書込み拒否


 先ずタイトルからですが、コメント拒否に関しては@boyakigumo様に対してブロックの設定を行っておらず(その場合、そもそもレビューも書けないハズなので)、或いはブログや掲示板によくあるNGワード設定もカクヨムには無いので(デフォルトで設けられている可能性はあるかも知れませんが、少なくてもユーザー側が設定することは出来ません)、もしかすると、文字数制限でも設けられているのかも知れませんが、自分も他の方に長文コメントを送らせて頂いた時に、そういった制限に引っかかった事は無いので、原因が分からず申し訳ございません。


 あと、「神武天皇は複数いた?」という話題は(多分)してなかったと思いますが、「邪馬台国畿内説による大和王権初期の王統譜について考古学的知見」で取り上げた白石太一郎氏の「二人のイワレビコ」説の事でしょうか? それとも意味合いが違ってくると思いますが、「神武天皇と崇神天皇。二人の「ハツクニシラススメラミコト」は同一人物か?」の事でしょうか? 



>神武天皇が即位したのは紀元前660年とされていますが、1年を2年として数えていたとするとその後の天皇と寿命や即位年数が釣り合う、実際は紀元前60年とすると中国側の記録と整合する、という話が江戸時代からあったそうです。


 「裴松之の注釈を信じて計算してみました(疲れました)」で計算した通り、紀年についてはその計算で大体整合性が取れるのですが、追記に記したように考古学的には時代を遡るほど古墳などとの推定年代と整合性が取れません。例えば現崇神天皇陵の行燈山古墳の造営が四世紀前半であると推定される事(「考古学からみた応神以前の王統譜」白石太一郎)から、先述稿の崇神天皇の活動時期(一九四~二二五年)とは百年程ずれています。又、何時の時代(どの天皇の時代)から遡り、春秋で2年と計算すれば正しいのか根拠が乏しく、恣意的な帳尻合わせになりかねないので、手法としては不完全なものと言わざるを得ません。


 但し、稲荷山古墳鉄剣銘文に「辛亥」(471年)の年号があることを平林章仁氏(『蘇我氏の研究』)も注目されており、この事から恐らく『日本書紀』が伝える暦伝来よりも以前に暦は伝わっており、「辛亥」の年号から然程遠くない時期(480年)に即位した清寧天皇を起点として年代を遡る手法は、少なくても神功皇后までは外的な資料で正しいことを確認出来るのかなと思います。



>魏志倭人伝の卑弥呼ですが、中国語辞典、漢和辞典どれにも卑には卑しい意味しかないので、中国側が侮蔑しての呼称でしょうが、


 そもそも「倭」も蔑称ですし、華夷秩序的な思想からすれば倭は「東夷」なので筆者からすれば当然の意識でしょうね。只、日本語で「ひみこ」と呼ばれた人物は実在し、本来は「日の巫女」的な意味のものを、中国人が意味を解さず、あるいは無視して当て字で賤しんだ可能性はなくもありません。



>距離は一里435mで正しいとすると、対馬の次は出雲で、茨城県の鹿島神宮辺りになるそうです。徳島説も含めて、距離を示して、比較するものがあると良いでしょう。


 申し訳ありませんが、正直なところ、魏志の方位、距離論は識者が各々自説に都合よく帳尻合わせして解釈しがちで、あまり信用していません。時代遅れかも知れませんが、石母田正説(「古代貴族の英雄時代論」)から発展した井上光貞氏(『日本古代国家の研究』)等による、邪馬台国の頃は専制的な政権が置かれる以前の英雄時代だったという説を私は支持しており、邪馬台国を思わせる幾つもの「クニ」が日本各地に散見するのはその所以かなと思っています。



>天皇家は男系男子の万世一系で続いたから男系で無いとダメと理系出身の有名な女性が言ったりしてますが、それにはDNA鑑定で古墳埋葬者のY遺伝子が他の人より濃いとか、神武陵などをC14で調べるべき。


 それ以前に明治に制定された天皇陵が正しい位置にあるのか、議論があります。古代史学に絡めて言えば、所謂「欠史八代」や神武天皇の実在を主張した鳥越憲三郎氏の「葛城王朝説」(『神々と天皇の間』)は天皇陵の不確かさを根拠に門脇禎二氏(『葛城と古代国家』)により否定されています。



>国紀、天皇紀の焚書は朝廷の中枢近くに漢字教育係が幅を利かせたからで


 焚書に関しては武光誠氏(『古事記日本書紀を知る事典』)の妄想かと思いますが……。仮にも歴史学者であられる武光氏があたかも古史古伝支持者の様な言い分をしてどうするのかと思います。本文でも書きましたが、本当に焚書したのであれば、ワザワザ日本書紀に書名を残さないかと。『上宮記』など記紀よりも以前の文献で記紀には名前が載っていない文献もありますので。又、国記、天皇記云々についての記述は蘇我氏の墓記が出典であるとしたら、この話自体が虚構である可能性も考えられます。どうやら『先代旧事本紀』巻十「国造本紀」は『続日本紀』巻二大宝二年(七〇二)四月 十三日条のいう『国造記』が基になっており(『日本国家成立論 国造制を中心として』吉田晶)、『国記』は関係ないらしいですしね。



>科学的に神武天皇の年代、卑弥呼は誰で邪馬台国はどこか、など判明したら、例えば神功皇后が生んだのは1年を2年と計算なら妊娠中に遠征して本当に夫の子を産んだの有り得て男系崩れないし


 科学的手法というのものも必要であることは言うまでもありませんが、それは津田左右吉氏(『神代史の新しい研究』)はおろか、世界で初めて古事記を英訳したチェンバレン(『The kojiki』)の時代から叫ばれており、この方々の手法を見ての通り、後世からみれば「何処が科学的なん?」となりかねず、科学的とはいえ絶対的なものとは言えず、又、ことも留意する必要があるかと思います。


 以前、偏った識者による考古学の知識だけを頼りに、記紀を否定していた方が実は風土記すら読んだ事がなく、内部考証も外部考証も不十分なままで小説を書かれている方も居られましたが、科学に関しても一方的な見方が同様の危惧を生まないか懸念しています。実際、古代史ではありませんが、歴史上の某有名人物に関して基礎文献をすっとばして煽情的キャッチコピーと科学的というフレーズで銘打った歴史ミステリー的なエッセイもありましたので……。



>(石をくくり付けた話は無理があって、朝鮮半島で産んで別の子種を仕込まれたこともあり得る)


 本エッセイでも度々取り上げていますが、記紀の参考資料に『帝紀』と『旧辞』があり、簡単におさらいすれば、『帝紀』は天皇の続柄、御名、皇居と治天下、崩御の年月日、山陵の記録で、『旧辞』は宮廷に伝わる説話や歌のことであり、『旧辞』に関しては『古事記』では顕宗天皇記。『日本書紀』では武烈天皇紀までがこれにあたります。津田左右吉(『古事記及び日本書紀の新研究』)・井上光貞(「帝紀からみた葛城氏」)の両氏以来、基本的に『帝紀』は仲哀天皇(神功皇后)以前、『旧辞』に至っては全て創作であり、神功皇后の伝説に関しても当然創作とされてきました。


 『帝紀』に関しては考古学的な成果から、小笠原好彦氏(『古代豪族葛城氏と大古墳』)の様に神功皇后、或いは白石太一郎氏(「考古学からみた応神以前の王統譜」)の様に崇神天皇までは認め得るのではないかという意見も出てきていますが、『旧辞』に関しては肯定的な意見は当然ながら見たことがありません。その為、神功皇后紀に限らず、旧辞的内容に関しては、内部考証・外部考証を重ね、どの程度史実の核が見出せるのかが限界であるのかと思いますし、


 レビューに関するお返事につきましては以上となりますが、今後は出来れば、それぞれの説の出典を明記してくださると助かります。一応以下にある程度の書籍はほぼ読んでいますし、津田史観的な最大公約数的な説ならば大体理解しているつもりですが、まだまだ勉強中なので説を聞いても出典が解らない場合が多いので……。


・「本格的な研究をしたい方へ。評価が高い記紀の注釈書・個人的お勧めの解説書・辞典(事典)など」

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330656592766249


・「記紀周辺の書の注釈・研究書」

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330657337393343


・「評価が高い風土記の注釈書・解説書など」

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330657239324513


・「万葉集の辞典・注釈書」https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330658539104443


・「古代朝鮮・中国史料」

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330659134061353


・「考古学入門にどうぞ『通論考古学』重要用語と注意点」

https://kakuyomu.jp/works/16816452219091770654/episodes/16817330663588153574


 これらの文献も宜しければご参考にして下さればと思います。

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