ホーム・ステイ・ホーム

楸 茉夕

ホーム・ステイ・ホーム

 目を開けると、知らない天井だった。

 病院ではない。何の変哲もない天井だ。白いクロス、円形のシーリングライト、薄茶色の謎のシミ。あんなシミあったっけ?

「……?」

 状況が飲み込めず、俺は何度か目を瞬く。しかし、見覚えのないものが変わることはない。

「……!?」

 俺は思わず飛び起きた。しかし、強い目眩めまいがして文字通り頭を抱える。低血圧で寝起きが悪いのに、急に動いたからだ。こればかりは体質なので仕方がない。

 目眩が収まったので、頭を押さえていた手をそろそろと離す。目の前に持ってくれば、それは確かに見慣れた自分の手だ。ベッドは窓際に置かれているので、やはり覚えのないカーテンをめくると、窓がある。外が見えたが、初めて目にする風景だ。反面、ガラスに反射する顔は俺のものだった。

 いや、いやいやいや。おかしいだろ。夢か? 夢だな? リアルな夢だ。そうに決まってる。

 昨夜は普通に寝た。今日は土曜なので、アラームはかけなかった。―――そうだスマホ。枕元を見るが、いつも置いてある場所にはなかった。

「どうなってんだよ……」

 俺が俺であると言うこと以外は、何もかもが違う部屋。家具も布団もカーテンも、一切合切全部違う。知らない誰かの家に泊まったときみたいだ。そんな覚えはないけれど。

「起きろ俺。夢から覚めろ」

 言いながらぺちぺちと頬を叩いても、まったく変化はない。感覚はある。夢の中で痛はみがないというのは嘘だったのか。

 手は動く。足も動く。身体に異常はないようなので、俺は見知らぬ布団を撥ね除けててベッドから降りた。知らないラグに立って己を見下ろす。やはり知らないパジャマだ。そもそも俺はパジャマなど着ない。夏場以外はジャージで寝ている。俺が俺のまま別人になっちまったって? そんな馬鹿な。どんな夢だ。

 壁に時計が掛かっていたので目をやれば、針がなかった。夢だとしても気味が悪い。

 時計の近くにはカレンダー。だが、そこに数字はない。どこかの風景写真の下に、白いマスが並んでいるだけだ。さすがにぞっとした。

「なんだこれ……」

 思わず呟きながら、俺は部屋を見回した。なんにせよパジャマでは動きづらい。怖々クローゼットの取っ手に手をかけ、息を詰めて一気に開く。そこにゾンビやモンスターが隠れていることはなく、ただ服がしまってあるだけだった。パーカやデニムなど、動きやすそうな服を一揃い引っ張り出して着替える。

 脱いだパジャマをベッドに放り出し、さてどうしようかと思ったところで、

「あーっ、やっと起きた!」

「んもう、朝ご飯冷めちゃうじゃない」

「お兄ちゃんの寝坊助ねぼすけ!」

「うわああああ!」

 びっくりして叫んでしまった。突然ドアが開き、女の子がどやと入り込んできたのだ。中学生から高校生くらいの女の子が三人。これまた見覚えがない。第一、俺に妹はいない。

「誰!?」

 声を上げると、女の子たちは一様に怪訝そうな顔になった。コメディ映画に出てくるキャラクターみたいだ。

「ちょっと。妹に誰って失礼じゃない?」

「妹の顔忘れる? 普通」

「寝ぼけてるんじゃないの、お兄ちゃん」

 口々に言い、自称妹たちは近づいてきて俺の腕や服を引っ張った。

「片付かないから早く朝ご飯食べちゃって、お兄ちゃん」

「お腹空いてないの? じゃあゲームして遊ぼ、こないだの続きね!」

「えー、今日はあたしの買い物に付き合ってくれる約束だよね、お兄ちゃん」

「知らない知らない! 誰だ君たちは! 俺に妹なんていない!」

 気味が悪くて振り払えば、女の子たちは顔を見合わせて同時に首をかしげた。

「どうしてどんなこと言うの?」

「妹がほしいんでしょ」

「かなえてあげたのに」

 女の子たちはぱっと俺を向く。その、表情が抜け落ちた真顔が、コメディから一転ホラーになる。

「頼んでないし! 大体ここ俺ん家じゃねえし! 帰るわ! さよなら!」

 俺は女の子たちを押しのけて部屋を出た。知らない間取りの中、玄関を目指す。

「悪い夢だ夢。覚めろ覚めろ覚めろ!」

 階段を降りながら両手で顔をばしばし叩いてみたが、一向に夢から覚める気配はない。どうなってるんだ。どんだけ熟睡してるんだよ俺。早く起きろ。夢から覚めてくれ。

 玄関扉が開かないなんてことはなく、鍵を外すと普通に開いた。少し安心して扉を潜ると、

「あ、お帰りお兄ちゃん! どこ行ってたの?」

「おやつ作っておいたよ、パンケーキ」

「ね、ゲームしよ! 昨日の続き!」

「うわあああああああああああ!!」

 玄関を出た先もまた玄関で、さっきと同じ女の子が三人いた。叫んだ俺は後退りして扉を閉める。鍵を閉めて鍵をかけ、弾んだ呼吸を鎮める。

 おかしい。これは夢だ。現実の俺は寝ていて、奇妙な夢を見ている。そうだ。

「覚めろ!!」

 玄関扉に思い切り頭突きをする。痛い。痛いが覚めない。

「なんでだよ! 夢だってわかってるのに! 覚めろよ!」

 背後からとたとたと軽い足音が近付いてきて、俺はぎくりと固まった。何度か深呼吸をしてから振り返ると、案の定、三人の女の子がいる。

「こっちくんな、消えろ! 夢だろ、おかしいだろ!」

 女の子たちは顔を見合わせ、くすくすと笑った。

「覚めない夢と現実って何が違うの?」

「どうしてここが夢だと思うの?」

「向こうが夢なんじゃないの?」

 女の子たちの笑い声が徐々に大きくなる。喋っているのに笑い声が聞こえるってどういうことだ。わけがわからない。

 玄関が駄目でも、窓なら出られるかもしれない。俺は笑い続ける女の子たちからなるべく距離を取って、リビングへ走った。カーテンを開ける。掃き出し窓を開ける。飛び出す。その先はさっきと同じ、リビングだった。

「なんでだ!!」

 夢から覚めない。家から出られない。俺は俺だが、俺じゃない。

 今度はキッチンの方から女の子たちが現れた。笑い声は続いている。頭がおかしくなりそうだ。

「大声出してどうしたの、お兄ちゃん」

「おやつにパンケーキ焼いたの、食べる?」

「今日はどこか行くの? 暇ならゲームしよ」

「うるさいうるさいうるさい!!」

 俺は喚き散らしながらリビングにあった金属バットを手に取った。

「俺に! 妹は!」

 キッチンへ走る。一番手前にいた、きょとんとしている女の子の頭めがけて思い切り振り下ろし―――

「いない!!」




「……っ!!」

 俺は飛び起きた。全力疾走した後のように息が弾んでいる。全身が寝汗でびっしょりと濡れており、震える両手を見れば、ちゃんと俺の手だった。

「ゆ……夢、か……」

 天井もカーテンも布団も家具も、知っている。俺の部屋だ。よかった、現実だ。

 俺は肺が空になるまで息を吐き出し、カーテンを開けた。窓が一面曇っていて外が見えない。おかしいな、結露するような季節じゃないんだけど。

 たまたま夜の気温が低かったんだろう。きっとそうだ。そうに違いない。

 結露を拭おうと手を伸ばした瞬間、前触れもなく扉が開く。

「あーっ、やっと起きた!」

「んもう、朝ご飯冷めちゃうじゃない」

「お兄ちゃんの寝坊助!」


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