ゴミクズと私

安崎依代@『比翼は連理を望まない』発売!

ゴミクズと私

 自他ともに社畜レディを認める私だけど、この度久し振りにまとまった休みが取れた。


 というよりも、超大型連休の方から私の所に押しかけてきた。いわゆる、世間で今大流行中のあれのせいで会社そのものが休業せざるを得ない状況、というやつだ。


 休みに入って最初の一週間はとにかく寝倒して過ごした。すると体がメチャクチャ軽くなって、ようやく『ああ、自分疲れてたんだな』と理解することができた。風邪かなとか思ってただるさも微熱っぽさも咳もくしゃみも嘘みたいに消えて、筋肉痛とか関節痛とか歯痛とか耳鳴りまで消えた。どれだけ体を酷使してたんだろう、私。ごめんね、私の体。


 体の疲労が取れると、今度は色んなことに意欲が湧いてきた。お腹が空いたから久し振りに自炊して、キッチリ時間をかけてお風呂に入って、肌の保湿やらムダ毛の処理やらまでしてしまった。


「……よし!」


 そして引き籠り生活も1カ月に達しようという今日。


「掃除、しよう!!」


 と思い至って、今に至る。


 私の視界には『ここが腐海の底だったか』と錯覚させるような状態の部屋が広がっている。もちろん、言うまでもなく私が住んでいる部屋だ。むしろどうして今まで片付ける気が起きなかったのかと、自分で自分をビンタしてやりたいレベルの荒れっぷりだ。


「あれだよ、あれ。全て疲労のせい」


 私は食糧品買い出しの時に一緒に買っておいた大容量ゴミ袋を広げ、とりあえず玄関から部屋の中を見回した。……うん、見事なゴミ屋敷だ。記念写真を撮りたいくらい。


「はい、バカなこと言ってないでソージしましょーねぇー」


 一瞬遠い目になったけど、ここで悟りを開いたってしょうがない。


 私は手始めに足元に転がっていた底がはがれたスリッパをつまみ上げるとポイッとゴミ袋の中に放り込んだ。不思議なもので、ひとつ片付けると次々と手が動く。これもいらない、あれもいらない、と片っ端からゴミ袋に突っ込んでいたら、何となく廊下が片付き始めた。


「うっわぁー……なっつかし」


 2LDKという独り暮らしには贅沢な間取りは、今や生活に必要最低限な空間を残して物で……いや、ゴミで埋められている。


 その山を崩していけば、脳ミソの記憶容量のほとんどを仕事に取られた社畜脳でも『懐かしい』と感じる物に行き当たるわけで。


「これ、流行ってたよなぁ。あっと言う間に見なくなったけど」


 私の指が摘まみ上げたのは、ゆるキャラがついたキーホルダーだった。多分、ペットボトル飲料のおまけについていたような食玩。どうしてなのか、ひとところから大量に発掘された。


「私、はまってたっけ?」


 もうキャラクターの名前も言えなくなったキーホルダー達は、綺麗な物もあれば擦れてくたびれた物もあった。コレクションの一部をきちんと使っていたらしい。


「はい、処分」


 次に山から発掘されたのは、フチが欠けたマグカップだった。ペア物だったようだが、もうひとつは完全に砕けていて破片状態で山の中に埋まっていた。


「うっわ、あぶな!」


 私の趣味じゃないし、使わないし、何より危ないから処分。どうして私はこんな物をゴミ箱に入れずに放置していたのだろう。自分で自分が理解できない。


「あとでちゃんと掃除機かけよ」


 次に発掘されたのは、干からびた観葉植物。100均に売っているようなミニ鉢の植物は、どうやら雪崩れてきた雑誌の隙間に埋もれていたらしい。


「うーん、水やって光に当ててあげたら、復活するかな?」


 生きているならば無下に捨てることもできない。観葉植物は救出。雑誌は束ねて資源回収行き。


 明らかに私の体よりもサイズが大きな衣類。処分。


 あまり使われた形跡がない、これまた私の足よりも大きなスリッパ。処分。


 使われた形跡のある歯ブラシ。処分。


 明らかに私には必要のない電動カミソリ。処分。


 黙々と、黙々と、私は『ゴミ』の山を片付ける。ゴミ袋を広げて、ひたすら機械的に目の前の物を詰め込む。袋が一杯になったら口を結んで、新しい袋を広げて、また中身を詰めて。


 7つも8つもゴミ袋の口を縛ったら、ようやくリビングの床が見えてきた。いつも私が使っている椅子の向かいに置かれていたお揃いのもう一脚の椅子も、テレビボードの傍らに置かれた写真立ても、たくさんのアルバムが詰められたローチェストも、再会を喜ぶかのように私の目の前に姿を現す。


 私は作り上げたゴミ袋の山を黙々とゴミ収取所に運んで、今度は掃除機のスイッチを入れる。掃除機をかけ終わったら、今度は雑巾を絞って床の水拭き。トイレとお風呂と台所周りも徹底的に汚れを落として、窓ガラスも拭き上げる。


 全部の工程を終えたら、もう外が暗くなり始めていた。照明のスイッチを入れると、気まぐれな春の風が窓から入り込んでフワリとレースのカーテンが揺れた。


 ……久しぶりに、見た。自分の部屋のカーテンが揺れている所を。


 ぼんやりと白い幻影が躍る様をひとしきり眺めてから、私はまだ掃除の手を付けていない一角を見つめた。


 テレビボードと、ローチェスト。


 そこにたくさんの『ゴミ』が詰まっていることを、私はきちんと分かっている。


「……片付けるって、決めたでしょ?」


 誰も聞かせる相手なんていないのに、小さく呟いてから動き出す。最後の一枚になったゴミ袋を片手に。


 テレビボードに飾られた写真の中では、私が嬉しそうに笑っていた。その隣にいる人物も、同じ温度で笑っている。


 手始めに私は、その写真を写真立てごとゴミ袋の中に落とした。ひとつ捨てるとなぜか、どれもこれも捨てられる。写真立ての周りを飾るように置かれたプリザーブドフラワーも、可愛らしく並べられていたハーバリウムも、彼のお気に入りだった食玩達も、彼が私のために用意してくれた綺麗な指輪も。


「なんだ、簡単じゃん」


 勢いに乗った私はローチェストの中に入っていた重たいアルバムも引き抜いてはゴミ袋の中に突っ込んだ。重量のあるアルバムが上から降ってきたことで、中に詰められていた小物がどんどん砕けて壊れていく。私が捨てられなかった『ゴミ』達が、どんどんどんどん消えていく。


「あっは」


 なんて、なんて簡単なんだろう。どうして今まで、こんな簡単なことができなかったんだろう。


 あいつは、彼は、もうずっと前に、今の私よりもずっと簡単に、自分が大切にしていた何もかもと一緒に、この部屋ごと私を捨てていったのに。


「……っは」


 ローチェストの中を空にして、重たくなったゴミ袋を引きずりながら私はベランダに出た。まだ片付けの手が行き届いていないベランダには、干からびた土と枯れ草が植わったプランターが無造作に置かれている。いつから干してあるのかも分からないボロクズみたいな雑巾が物干し竿に引っかかっていた。


 私はベランダの手すりから身を乗り出して下を見遣る。3階にある私の部屋の真下は、ちょうどゴミ収集所。私が積み上げたゴミ袋の山のせいでこんもりと膨れて見える。


 私は今手の中にある重いゴミ袋の口をきつく縛ると、遠心力を使ってフワリとゴミ袋を宙に放った。そのままベランダの手すりを越えた超重量級のゴミ袋は真っ逆さまに収集所に向かって落ちていく。


 バスンッ、と。はるか階下に『ゴミ』が落ちる音がした。その結末を私は、結局自分の目で確かめることができなかった。


 少し振り返って、下を覗き込む。そんな簡単な動作を取れないまましばらくベランダに立ち尽くして、結局後ろを振り返ることなく部屋の中に戻る。


 綺麗に片付いた部屋。ゴミが片付いた分、ガランとしていた。自分の部屋なのに、毎日帰ってくる場所であるのに、なぜかその景色を『懐かしい』と思った。


「……あぁ、そっか」


 ベランダの窓に背中を向けてたたずんで、部屋の中を眺め回して。


 私はやっと、どうして自分がこの数年間部屋を片付けようとしなかったのかを理解した。


「私はここに、帰ってきたくなかったのか」


 かつてこの部屋には、幸せがたくさん詰まっていて。世界で一番帰りたい場所で、私はいつだって、どこにいたって、一秒でも早くここに帰ってきたかった。


 幸せと、温もりと、優しさに満ちた『おうち時間』。何にも代えがたい至福の時間。


 それがもう、ここにはない。全部全部ゴミになった。私に何にも代えがたい幸せをくれた彼にとって、私が何よりも大切に思っていた宝物は、とても簡単に捨てられるゴミに過ぎなかった。それを私は、彼がいなくなったあの日に思い知ったんだ。


 それを突き付けられたくなかったから、私はこの部屋をゴミで一杯にして。私自身もそこに埋もれるゴミになりたくて。


「……何が『おうち時間』よ」


 私は、ゆっくりその場にしゃがみ込んだ。春の風に揺れるカーテンを見なくて済むように、きつく膝を抱えて顔を伏せる。


「何が『ステイホーム』よ。新型ほにゃららのバカヤロウ」


 自分が社畜と化したのは、この部屋を見たくないからだった。


 になんて、戻りたくなかった。ずっと、クタクタに使い古されたゴミクズでいたかった。一生、この悲しみに真っ正面から向き合えないくらい、精神が休まらなければ良かった。


 そうすれば、きっと、私は。


「早く私を仕事に戻してよ……!! 私をゴミクズに戻してよ……っ!!」


 叫んでも、みんなが自宅に引き籠る中じゃ、私の声なんて届かない。


 詰めるゴミがなくなった剥き出しの部屋の中で。


 部屋の中に唯一残されたゴミクズになった私は、ゴミの山の中から発掘してしまった自分の心を抱えて、久し振りに大きな声を上げて、涙が枯れるまで泣き尽くした。




【END】

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