第421話・諏訪の天下普請。


永禄十五年(1572)八月 諏訪国府普請場 金丸玄番


 諏訪の新しい時代を築く槌音が響いている。


 諏訪湖畔に千を超える兵と多くの民が連日詰め掛けての大普請が行なわれているのだ。しかも兵の多くが他国からの援軍だ。諏訪の兵は総勢でも五百兵しかいない。某はその総隊長を務めている。

その他の元兵だった者は、それぞれの得手にあわせての様々な仕事に就いている。


 とにかく、この三・四ヶ月で諏訪は大きく変わったのだ。


大幅な兵の削減と内政方の充実。

武家と社家との分離と座の廃止。

多数有った城塞の破棄と国府の普請。

諏訪頼忠殿が社家の総代に就き、某は国府軍の総隊長の職に就いたが肝心の国主様の姿はまだ無い。



 伊那井伊家の麾下となる打診の為に、不安な気持ちを抱いて諏訪頼忠殿と旧知の伊那大島城の山県昌景殿を訪ねたのは三月末の事だった。


 そこで山県殿と相談して、飯田城の井伊様に問い合わせて貰うもなかなか返事が貰えなかった。

いよいよ不安になる心に耐えながらも、ただ待つしかない焦燥の日々を大島城で過ごした。


「殿がお会いになるそうだ。飯田城に参られよ」

と、返事があったのは十日も過ぎた頃だった。



 飯田城の広間で頼忠殿と並んで座す某の前に座したのは、見目麗しい女性と偉丈夫だった。女性は井伊家御当主の井伊乙葉様、偉丈夫は井伊家総大将の井伊虎繁様だ。


「久しいのう。金子殿」


「やゃ、・・・秋山殿で御座るか? 」


「今の名は井伊虎繁。こちらが我が伴侶で井伊家当主・井伊乙葉だ」


「・・・・・・」

「・・・・・・」


 まさか井伊様が元武田家の秋山殿であろうとは、全く想像もしていなかった。頭の中が真っ白になった。頼忠殿も目を見開いている・・・


「長く待たせて済まなかった。諏訪の事を各所に問い合わせておったのだ」


「・・・各所とは? 」


「武田家・柳生家・北畠家に斉藤家に京都守護所だ」


「・・・武田家は滅んだのでは・・・それに京都守護所とは?? 」


「金子殿、武田家は滅んではおりませぬ。滅んだのは大名家の武田家で甲斐には武田於松様と太郎様が居ります。それに・・・」

 某の言葉を否定されたのは、ご当主の井伊乙葉様だ。


「・・・確かに、左様で御座りました・・・」


 武家としての武田家は残っている。柳生家の家臣としてだが・・・


「金子殿、諏訪殿。関東遠州三河で侵略を繰り返していたのは武田家だけだった。それがこの春に滅び、遂に関東の戦国の世は終ったのだ。お解りか? 」


「戦国が終った・・・」

「・・・・・・」


 衝撃だった。たしかに侵略を繰り返していたのは武田家だけだったかも知れぬ・・・高坂家・真田家・木曽家が分離して、遠州で敗戦して井伊家、北畠・柳生家が進出、それで大名家としての武田家は滅びた・・・


「平和の世には統一した規範に従わなければならぬ。それが今は京都守護所だ。だからそこに伺いを立てた」


「・・・」

「・・・で何と? 」


「諏訪は武田家が領していた。金子殿は遠州から引き上げるときに執政から諏訪を纏めるように命じられた。そうだな」


「左様。急ぎ諏訪を纏めるように、執政の穴山殿に命じられました」


「それで諏訪上原城に入り兵を纏めた、それは良い。だが大祝家の諏訪殿がどさくさに紛れて諏訪国を取り仕切ろうとしているのは良くない。諏訪勝頼様より後継を託されたわけでは無かろう。諏訪殿は武家を捨て社家に専一されよ」


「し・しかし、諏訪は長い事社家が取り仕切ってきた。無骨な武家の某では一国を差配出来かねまする」


「では、無骨で無い諏訪殿ならば社家の祭祀と共に、細かな民政を行い国を豊かにするあらゆる政をされているか? 」


「そ・それは・・・」


 それは全くしていない。今でも政から道普請・興産・些細な仲裁事まで某に丸投げだ・・・


「それに金子殿、其方に国主になれと言っているのでは無い。国主はそれなりの者が派遣される」


「国主が派遣される・・・」


「金子殿、諏訪殿、この守護所の意向に不服あらば兵を上げて戦国の世に戻せば良い。無論、その場合井伊家などは全力で潰すが」


「・・・承知致した」

「・・・某も従いまする」


 つまり諏訪殿が武家を捨て、新たに国主が来る。某は今のままで良いのだ。



「今まで井伊家の躍進を支えてくれた山中国の方々が諏訪へ同道してくれる。方々は普請・築城・開墾・興産・勘定・調練の指導方だ。まずは諏訪国府の普請となろうが、方々の指示は京都守護所の命と思って動くのだ。井伊家からも普請隊二百兵を送る」



飯田城からの帰路は、松岡貞利殿に率いられた井伊隊二百兵に目賀田・後藤・平井・小倉殿ら山中国の者十五名、それに多くの荷駄隊が続いて賑やかだった。

この多くの方々が今度は諏訪の発展に助力してくれるのだ。




 諏訪国の国府は目賀田殿・小倉殿によって、高島の湖岸一帯に縄張りが成された。幅一町長さ二町ほどの土地の周囲に石垣を積んで台地にするという。


石垣の高さは二間(4m)で膨大な石材と土が必要だ。それは半里東の山から運ぶ。まずは石垣の基礎固めと東山までの道を広く整備してゆく。


「総隊長、柳生家・北畠家から百兵ずつの援軍が来ました! 」

「おお。それは忝い! 」


 井伊隊二百が野営している諏訪湖岸に、柳生隊・北畠隊も野営陣地を設営している。


「それにしても諏訪様方は・・・」

「ああ・・・」


 伊那から戻った頼忠殿は井伊様との約定通り、社家専一(武家放棄)を宣言して高島城を解放して上社に入った。

 ところが城塞破棄に反対、不満を持った国人衆が対岸の岡谷城に集結し一揆の旗を上げると、頼忠殿は郎党を集めて大社を離れて入城したのだ。


 まったく、肝の据わらぬ御仁だ。

 だが大社の大祝家が加わった一揆衆は勢いを増し、当初百名足らずだったのが二百をあっという間に越えて三百も軽く越えていた。

 こうなると某も対応策を取るべきかと悩み、調練の師範・目賀田殿に相談した。


「目賀田師範、岡谷城に兵を出すべきかな? 」

「放っておきなされ」


「しかし、諏訪の兵は動揺しております」

「金丸殿、我等は京都守護所・即ち天下の意向に従っているので御座る。目先の事しか考えぬ愚か者など捨て置けば宜しかろう」


「天下の意向か・・・」

 その目賀田殿の言葉通り、周辺国から次々と応援部隊が駆け付けて来た。


「真田家、百兵でお手伝いに参りました! 」

「斉藤家より、普請応援の二百兵参りました! 」


 これで五家の応援部隊が来てくれた。普請を手伝ってくれる兵は我が隊を入れて一千兵だ。岩や土を運び積み上げる土木普請だけで無く、城塞を解体して材木を運ぶ隊、新たな木材を加工している隊もある。

普請場周辺には食い物や飲み物・日用品を売る掘っ立て小屋が所狭しと並んで、まるで毎日祭りの様だ。


 岡谷城に籠もった者らは、この陣容を知って大きく動揺しているらしい。



「北条家、三百兵で応援に参った! 」

「上杉家三百兵。普請手伝いに参った。遅くなり申した! 」


 さらに二家、しかも越後と関東の大国からだ。まさか両家から応援が入るとは思っていなかった。これで応援隊が七家一千三百になった。


 しばらくして岡谷城の一揆衆が姿を消したと言う報告があった。

また諏訪大社・四社から『当社は武力を持たず帝と国主に従うことに叛意は無い』という念押しがあった。


 目賀田殿が言われた『天下の意向』という言葉の意味よ。


 しかし、いまだ分らぬ諏訪の国主とはどなたであろうか・・・

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戦国の超弱小国人は何を目指す kagerin @k-saburou

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