【後幕】畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬 其の七
「みし……はせ……?」
「漢字ではこうだ」
雁那がペンを取り、自分の
「……ごめん知らない。日本史得意じゃなくて」
「いや、それが当然だ。
《粛慎》の名は、日本の歴史書に幾度か登場する程度。
それも確たる内容ではない。子孫である我らの伝承すら曖昧なのだ」
「
じゃあアイヌみたいな感じ?」
「少数民族という点では同じだな。
かつてオホーツク海沿岸には多様な少数民族が存在した。
ニヴフ、ウィルタ、ウリチ、そしてアイヌ。我らもその一つだ。
彼らは凍結する海を渡り、交易を重ね、互いの文化に影響を与えた。
熊を崇める習慣は、粛慎由来だという説もある」
「へえぇ」
「粛慎の男は並外れて大きく、女は小さい。
男は毒や飛び道具に頼らぬ狩猟で熊にも優る肉体を造り、技を磨く。
女は狩りと戦い以外の全てを担い、男の補佐に徹する。
特異な姿と戦闘力から、我らは神や鬼と呼ばれ、
「つまり
「共通点は多いが、最大の違いは活動範囲だな。
魚々島が海に特化したのに対し、粛慎は海と山に挑み続けた。
「だから両方の匂いがするんだ」
雁那の講釈が、しばし途切れた。
「……他部族に畏れられた粛慎だが、実際は温厚な平和主義だったという。
伝承によれば、彼らは部族間の争いを収める《調停者》を務めた。
圧倒的な武力による抑止で、多民族社会の安全弁を担ったのだ」
「だが時代が進むに連れ、《調停者》は役割を果たせなくなった。
争いが戦争に、武器が兵器に代わると、もはや個の武では止められない。
「だが……そんな時流にあらがい、故郷を捨てた者たちがいた。
彼らは個の力で兵器を凌駕するべく、より過酷な環境を求めた。
定住を拒み、北方の島嶼を渡ることで自らを鍛え上げたのだ。
その旅の果てに……彼らが行きついたのが、ロシアだった」
たつきはグラスを傾け、口の中のジャムを呑み込んだ。
彼女は知らないが、この組み合わせは《ロシアンティー》と呼ばれる。もっともその名は日本独自のもので、ロシアでは一般的な形式であり、特別な呼称もない。
「じゃあ、今はロシア人なの?」
「そこら辺は複雑でな。なんせシベリア経由だ」
「ふうん?」
雁那の口ぶりを察してか、たつきもそれ以上は
「とにかく……
粛慎は日本の民で、日の本に還るのが悲願だった。
荒楠と私は、ある意味では亡命者だ。
同胞の多くは、いまだロシア国内に取り残されている」
「つまり、ロシアから逃げて来たってこと?
残りの人も後から日本に来るの?」
「それが望ましいが、現実には不可能だろうな。
ロシアは強権主義だ。粛慎は《首輪付き》で自由に動けない。
我らが今ここにいられるのも、稀有な幸運あってのことだ」
「この地に根を張り、故郷を取り戻すのが我らの望みだ。
日本国籍は必要ない。野に生きる《道々の
《神風天覧試合》に出たのは、新参の《輩》として名を売るため。
「……以上が、我ら最寄の民の背景だ」
「なんか、映画の解説動画見た気分」
どこかピントのずれた感想に、雁那は冷笑した。想像が及ばないのは当然だし、語るつもりもない。これはただの撒き餌なのだから。
雁那が身の上を語った理由は、言うまでもなく友情や感傷からではない。
求めよ、さらば与えられん。たつきから情報を引き出す呼び水として、身を切る必要があると判断したからだ。
《神風》候補者、宮山 たつきの情報はあまりに少ない。魚々島同盟や八百万も調べが及んでいない様子だ。
ならば危険を犯してでも、直接探りを入れるしかない。
荒楠が木片を削る滑らかな音に合わせて、雁那は核心に切り込んだ。
「──君は、何のために《天覧試合》に参加した?」
「えっ、わたし?」
固唾を呑む雁那の前で、たつきは自分の顔を指さした。
その指が頬に移動し、照れくさそうに搔き始める。
「それはちょっと……言えない」
ぷいと顔を背けた少女に、雁那は内心で脂汗を浮かべる。
──何故だ。こちらの
「だって、ハードル爆上がりじゃない。
そんな『一族の命運をかけて』みたいな話の後でさあ……
わたしの理由とか、すんごいしょーもないし。
《神風》とか全然関係ないし」
ぽかんと口を開けた自分に、雁那は気が付いた。
「……それは、どういうことだ?」
思わず素の声が出る。謀略も動揺も頭から飛んでいた。
たつきがこちらを見て、気まずそうに毛先をいじる。
「だから、言えないってば」
「確か、『畔を倒すために参加した』と言っていたな。
それが関係するのか?」
「アーアー、聞こえない聞こえない!」
両耳をブロックするたつきに、紅茶のお代わりを注ぐ雁那。
無言で見上げる碧眼に、たつきは観念したように手を離す。
「……ぜったい、笑わない?」
「約束する」
即答する雁那に押し切られ、たつきは重い口を開いた。
「わたし、普通になりたくて試合に来たの」
雁那が二度、目を瞬かせる。
「すまない。話がさっぱり見えないんだが」
「あーもう! 簡単に言うとね。
わたしの家は大蟲町ってとこで、そこには大蟲神社があるの。
地元じゃ《蟲祓い》で有名な神社で、今もボランティアで蟲退治してる。
それがわたしたち、《蟲祓いの巫女》」
「《巫女》は毎年、村で生まれた才能あるコから選ばれる。
だいたいみんな高校生くらいで、大人になったら卒業する。
でも、わたしは特別。千年に一人の神童なんだって。
そのせいで小さい頃から神社預かりで、将来も巫女に決まってて」
学校が終われば神社に呼び出されて修行修行、夏休みも冬休みも修行修行で海も旅行も行けなくて、行けてもアフリカとか砂漠とかだし女子高生になったのに彼氏どころか男友達もいなくて集まってくるのは蟲蟲蟲だし、学校休みがちでろくに友達いなくて、たまに話しても有名すぎて距離あるし、一生こんな感じとかマジやってらんないって思ってたところにおしのんが来て、「《天覧試合》に出ないか」って誘われたわけ。
グラスの紅茶を飲み干し、少女は大きく息を吸った。
「その時、宮司さまが言ったのよ。
『畔に勝てたら、巫女を辞めていい』って。
それって普通の女の子になれるってことじゃない。
そんなの、出るしかないでしょ?
や……まあ、あんたたちと比べたらしょーもない理由だけど」
急に恥ずかしくなったのか、たつきの身上話は尻すぼみに終わった。
約束通り、雁那は笑わなかった。いや、笑えなかった。
── 一体なんだ、こいつは。
自分の知る《道々の輩》、あるいは裏社会の住人からおよそかけ離れた、甘っちょろい経歴である。人生を武に捧げた魚々島や最寄、殺しを生業とする松羽、もはや
理解不能はもう一つある。あの忍野がたつきを候補に選んだことだ。
虫退治以外、およそ人と闘ったこともなさそうな、この少女を。
「選抜試験は受けただろう。
どうやって忍野に勝った。条件通り殺したのか?」
「馬鹿言わないでよ。
するわけないでしょ、そんなコト」
スプーンを咥えたたつきが、眉根を寄せる。
「木に縛り付けて、一晩放置したの。
朝になったら負けを認めたわ。
ま、当然よね。あのままだったら餓死確実だし」
聞きたいのは「あの忍野をどうやって縛り付けたか」だが、そこまで探るのは流石に危険だ。
「だからわたし、畔に勝てたらそれでいいの。
《神風》になりたいわけでもないし。
あんた達がどうしても勝ちたいなら、負けてあげても」
言葉に詰まった雁那より先に、反応したのは荒楠だった。
たつきを見つめた仮面が、ゆっくりとかぶりをふる。
雁那は胸に詰まった感情を、細い息とともに吐き出した。
「フッ……勝ち星は欲しいが、こればかりはな」
「ごめん。やっぱそうだよね。
それじゃあ、恨みっこなしで」
「ああ、お互いにな」
どちらからともなく伸びた手が、しっかりと結ばれた。
「じゃあわたし、そろそろ帰るね」
「家まで送ってやろうか? 始発までまだ時間があるだろう」
「えっ、いいの?」
それはこちらの台詞だ、と雁那は思う。
こんなにあっさりと家の場所を入手できるとは。
「わたし、助手席乗ってみたい。荒楠さん、いい?」
「運転は私だが」
「……あんた、絶対
「
下手に探りを入れるより、友人になった方が早いのではないか。
そんな気の迷いを振り払いながら、雁那は車のキーに手を伸ばした。
神風VS 梶野カメムシ @kamemushi_kazino
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