【後幕】畔 蓮葉 VS 八百万 浪馬 其の六



「あー、いいお湯だった!」

 シャワーを終えたたつきがリビングに現れたのは、しばらくしてのことだった。

 タオルで拭いただけの短髪ショートから湯気を立ち昇らせ、ご満悦の表情である。着替えはパステルカラーのカーディガンにホットパンツ。湯上りの生脚には、健康的な色気が漂わなくもない。その大きな瞳は、緑に占拠された空間を興味深そうに眺めている。

「ドライヤーはいるか?」

「あ、嬉しい」

 雁那の招きに応じて、たつきはトレイラーのリビングに足を踏み入れた。

「……おじゃましまーす」

 巨躯を折り曲げ、鉢植えをいじる荒楠に一声かけてから、ソファに座る。

 ドライヤーが唸る間、荒楠は霧吹きを手に、観葉植物の葉を一枚一枚手入れしていた。雁那は同室の一角にあるシンクで、何か作業している。背の足りなさを踏み台でカバーしているのが何とも健気だ。

 短い髪を乾かすのにさほど時間はかからず、すっかり手入れを終えた頃に雁那が戻って来た。手にした盆には細長いグラスと小鉢、それに複数のジャムの瓶。グラスに入った栗色の液体は紅茶のようだが、ジャムを塗るパンやスコーンは見当たらない。

「始発まで時間があるだろう。紅茶は嫌いか?」

「それは好きだけど……そのジャムは、入れて飲むの?」

「飲みながら食べる」

 言うと、雁那は瓶を開け、荒楠の前の小鉢に黄色い粘液を垂らした。仮面をわずかに持ち上げ、巨漢が小鉢を口に運ぶ。空になった小鉢を置くと、グラスを取り上げ、一口で干した。

「ずいぶんと豪快な作法ね」

「こいつの真似をする必要はない。

 いちごとブルーベリー、それに蜂蜜。好きなのを選べ」

「じゃあ、いちご」

 赤いジャムがごってりと盛られ、スプーンが添えられる。

 戸惑いつつもグラスを取り、たつきは一口飲んだ。

 強烈なストレートティーだった。よく冷えているが、甘味の欠片もない。舌を叩くような渋みに、反射的にスプーンを掴み、ジャムを口に入れた。極上の甘みが暴れる渋みの手を取り、舌先で優雅に踊り始めた。

「あっ、これ美味しい!」

「そうだろう。私の好きな茶だ」

「ゴロゴロしたイチゴが口に残るのもいい感じ」

「茶請けでもあるからな」

「他のジャムも試していい?」

「いいとも。茶のお代わりもある。

 こちらは大阪の専門店で仕入れた品でな……」 

 少女らが和気藹々とお茶に興じる傍らで、仮面の偉丈夫は小刀を取り出し、黙然と木片を削り始める。

「う──ん、最高!

 シャワーはあるしお茶も出るし、毎回寄りたいぐらい!」

「私は構わんぞ」

「えっ、ほんとにいいの?」

「少数派の女同士。話す機会が欲しかったからな」

 身を乗り出すたつきに、微笑む雁那。その翠眼が鈍い輝きを帯びる。

 そうだ──《人的諜報ヒューミント》の場は多い方がいい。

「……だが、着替えの必要はもうないか。

 吉田 文殊の言葉に従うならな」

 《神風天覧試合》にはドレスコードが存在しない。文殊の指摘から発覚したこの事実は、たつきが巫女装束を着る必要性はないことを意味する。

「んー、あいつに反発ってわけじゃないけど。

 やっぱ着替えて来ようかなって」 

「ほほう。やはりこだわりがあるのか?」

「こだわりはないけど、ま、ね」

 微妙な口ぶりに、雁那は意図して補助線を引く。

?」

 荒楠の小刀が止まり、 たつきは頬を掻いて曖昧に笑った。

「まあ、そんなとこ」

「……なるほどな」

 笑みを返すその下で、雁那は思考を高回転させる。

 ──防具。或いは武器。それとも戦闘に必要な道具か?

 だが、洗面所で見た衣装はただの市販品だった。高級素材ですらなく、とくに袴は安物の部類だ。特別の品とは考えにくい。ならば何故──

「ね、わたしも聞いてい?」 

 唐突な言葉に、雁那は後襟を捕られたように引き戻された。

「なんだ」

「荒楠サンって、ずっとこの格好なの?」

「ああ、それか。荒楠は極度のでな。

 こちらの気温に早く馴染むよう、寝る時以外は鎧を脱がない。

 この先、夏を迎えれば、大阪はかなり暑くなるからな」

「そう言えばさっき、氷ごと丸呑みしてた!」

「アイスも好物だ」「へー、ちょっと意外」

 荒楠の手が再び動き始めた。早くも木彫りの鳥の頭が出来かけている。

「雁那って、荒楠サンの通訳なんだよね」

「ああ、そうだな」

「通訳してるトコ、見たことないけど」

「……別にサボってるわけではないぞ」

 言い訳めいた口調で、雁那が紅茶をすする。

「荒楠は元々無口なのだ。

 それに日本語の聞き取りは出来る。話せないだけでな」

「へー、そうなんだ」

 前髪をいじりながら、たつきが続ける。

「ていうか、二人とも日本人じゃないよね?

 なんで《神風》なんて、なろうとしてんの?」


 その瞬間、全ての植物が色を失った。

 荒楠の刃力が籠もる。

 リビングの床に何かが転がった。切り落とされた鳥の首だった。


 雁那は、緑の炎を湛えた双眸で、たつきを見据えた。

 少女の顔はいつも通り。空気の変化に気付いた風もない。あっけらかんと核心に触れながら、悪意も裏も読み取れない。

 刹那、皮膚の裏を這い登る感情に、雁那は慄いた。

 全てを見透かされている気がした。スマホの細工も、企みも、この国で成すべきことも、全て、全て。

 自分はとんでもない怪物を、家に招き入れてしまったのではないか──?

「あ、言いたくないなら別にいいけど」

 たつきのその一言に、緊張が霧散した。

 鉢植えが色を取り戻す。始まり同様、唐突な終わり方だった。

「……いや」

 気取られぬよう細く息を吐くと、雁那は落ちた首を拾い上げた。

 そのまま手を伸ばし、鉢植えの縁に飾り付ける。


「定義にもよるが、我らの祖は紛れもなくもとの民だ。

 最寄もよろ樺太からふとに根を下ろし、この国の歴史に名を残した。

 古代、時の天皇より官位を与えられた記録もある」 


「我ら一族の名は《粛慎みしはせ》。

 なきオホーツク文化人──その末裔だ」


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