9月31日
あたしはなぜだか昏倒して保健室に担ぎ込まれた。じきに起き上がって一応普通っぽい受け答えができたので釈放され、部屋に戻り、一部始終を綴った。
ゾンビの用件は本当にただ
ルームメイトが寝息を立て始めたのでバスケットトランクに荷物を詰めた。壊れた磁器のバレリーナ。サツキさんの絵と白群の粉末が入った香水壜。プレーヤーとヘッドフォン、数枚のミニディスク。美鈴おばさまが送ってくれた、おばあちゃまお気に入りのレモンビスケット。忌まわしくも麗しい、あいつが放ったシルクのガウン(今はもう冷え切っている)。それから、ずっと触れずにしまっておいた、あたしを縛め、同時に高みへ解き放ってくれる恩寵のトウシューズ。もちろん、この日記帳と万年筆も後から仲間に加えてあげるのだ。そうそう、電灯も忘れずに……。
* * *
A棟エントランスの階段下へ。この場所にまつわる怪談を思い出した(階段の怪談って、つまらない駄洒落!)。視線を浴びると緊張や不快感で何も食べられなくなってしまう女の子が食料を抱えてここに身を潜め、深夜になるとガツガツ下品な音を立て、あれやこれや貪りまくっては残骸を散らかすという。まだ見たことはないけれど、会ったら意気投合できるだろうか、それとも縄張り争いが勃発して流血戦になるかしら。今のあたしなら勝てそうな気がする。そうしたらサッシュでスリップノットを作って螺旋階段の支柱に吊るしてあげよう。糧食は没収だ。
暴虐な妄想が沈静したところで床の上げ蓋の把手を引いて中に入り、内側からそっと閉めた。ランタン型のライトを点けても視界はぼんやりしていた。埃っぽい。
ともかくも、小休止。体育座りでバスケットを開け、ビスケットを出した(あら、語呂がいい!)。ボリボリ、ボリボリ……ああ、紅茶が欲しい。
さて、と。あたしは手をはたいて錆縹のガウンをまとい、トウシューズのリボンを握ると、腹這いに近い体勢で狭い通路を移動した。鏡の内側を目指せ。あの大鏡の裏に辿り着けばすっくと背筋を伸ばして立ち、ポワントで自在に優美なポーズを決められる。その前に化粧だ。髪をまとめ、刀根先輩に教わったメイクを施そう。いつかあいつが表から覗き込むときが来たら、その虚像に成り代わって鼻先に指を突きつけ、おごそかに呪詛の言葉を吐いてやる。眩暈がするほど濃厚な物狂おしい香りを放つ無数の白百合と共に、バレリーナ人形の死骸を背後の祭壇に飾って。奈落の女王として、威厳を込めて。
「鏡に姿が映らないなら人間ではない。そなたはもはや真正の吸血鬼やもしれぬ……」
diario【fine】
*カクヨム連載のための書き下ろし(2020年10月~2021年2月)。
**縦書き版はRomancer『ディアーリオ』にて無料でお読みいただけます。
https://romancer.voyager.co.jp/?p=175325&post_type=rmcposts
ディアーリオ 深川夏眠 @fukagawanatsumi
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