終章-6 時の果ての朝
日が昇る前に高師直の軍勢はやはり動き始めた。
三万の軍勢の内、まず一万が向かってくる。
宗広が正面から受け止め、勇人は五百騎で側面からそれを突いた。それで宗広が敵を押し返す。
勇人はそのまま敵の中をかき混ぜ続けた。敵は明らかに、たった五百騎が掲げる風林火山の旗に怯えていた。ぶつかる前から、逃げていく者も行く。
しかし次の一万が、別の方向から宗広の軍勢に向かってくる。
宗広は敵を押す事をやめ、軍勢を大きく、そして薄く広げる事によって二方向から来る敵に同時に対処した。
挟撃は避けられる。しかしどこか一か所でも破られれば、破綻する受け方である。
破れそうな所は、勇人がすぐさま騎馬隊で援護する事によって立て直させる。
埒が明かない、と判断したのか、敵は二万を一塊にして真っ直ぐに一方向から押してきた。
二つから一つに合流した敵。その繋ぎ目を狙って勇人は騎馬隊で突っ込んだ。そのまま敵を貫く。兵を小さくまとめた宗広がそこに続いてぶつかる事で、一塊になった敵を断ち割った。
敵と向き合う。しばらくの固着。高師直がいる、残る一万は動いていない。
敵に合わせてこちらがどう動くか。あらかじめ十を超える想定をして、宗広と打ち合わせていた。
ここまでは、である。
後は互いにどう動くかなど、何も決めていなかった。小夜のように、動き続ける戦況を常に先読みしながら、軍勢全てに適切な指示を出し続けて優勢な敵を圧倒し続けるような事は、自分には出来ない。
だからこの戦いは、はったりのような物だった。以前戦った時と同じように、自分は陸奥守に翻弄されている。高師直にそう思い込ませる事が出来ればいい。
伝令がやってくる。行朝の軍勢がいる方向からだった。見た目は伝令だが、実際にはあらかじめこの時間に来る事が決まっていた。
宗広が退き始めた。勇人は殿に付く。東で苦戦している行朝の軍勢を援護するために、この戦場を離れる。そう言う偽装だった。
高師直の軍勢から騎馬隊が追撃に出て来た。高師直自身は動いていない。
勇人はその騎馬隊を遮ろうとした。敵はあっさりと宗広への追撃を切り上げ、こちらを囲んでくる。
しばらくの間、激しいぶつかり合いになった。
数人を斬り倒した所で、一騎の騎馬武者が、近付いて来る。
その騎馬武者はぶつかってくる事はせず、勇人の前で馬の脚を止めた。
伊賀盛光だった。
この軍勢にいるのは、事前に左近によって調べてもらっていた。
「まさか、勇人ではないか」
盛光は面越しにでも気付いたようだった。
「はい、お久しぶりです。勇人です」
「最後に陸奥守様にお会いできるかと思ったが、まさかお主だったとはな。これは、どういう事だ?」
「盛光殿、以前に陸奥でした約束を、憶えていて下さいますか」
「ああ、憶えている。憶えているとも。お主がそれがしに何かを頼むときは、陸奥守様のお命のためだと思って聞いてくれ、と言う約束だったな」
「その約束を、果たして頂く時が来ました」
「今ここでそれがしに何が出来る?お主に討ち取られて死ね、と言うのであれば出来るし、共に戦って死んでやる事も出来るが」
「これから、私が北畠顕家として死にます。盛光殿には、私の首を、北畠顕家の物であると言って頂きたいのです」
戦場では常に陵王の面を付けていたおかげで、足利の武士達の中で最近の小夜の顔を知る者はほとんどいない。奥州軍から寝返った盛光が首を検分する事を申し出れば、自然と通るだろう。
「何だと」
「これ以後、北畠顕家が世に出る事はありません。盛光殿が偽りを述べたと責められる事は、ありません」
「いや、それは良いのだが、しかしお主ここに死にに来たのか」
「はい」
「そうか」
盛光は俯いた。
「盛光殿」
「斯波家長殿を死なせ、陸奥守様と共に戦う事も出来ず、今また、お主をここで死なせる。どこで何を間違えたのかな、それがしは」
顔を上げないまま、盛光はそう呟いた。
「何も間違われてはいませんよ。ただそう言う巡り合わせだった、と言うだけの事でしょう。人は自分が巡り合った物の中で、最善を尽くす事しか出来ません」
勇人がそう言っても、しばらく盛光は俯いたままだった。盛光殿、ともう一度声を掛ける。
「分かった。引き受けよう。他に、それがしに何か出来る事はあるか?」
「いいえ、大丈夫です。望まれるのなら、この首を差し上げますが」
「いや、取った本人が首の検分を申し出ても通るまい。それに、お主はそれがし程度が首を取って良い相手ではあるまい」
盛光はそう言うと、馬を進めて一度勇人と打ち合い、そのまま駆け去って行く。
勇人は先頭に立つと囲みを突破し、西へと駆けた。海の方角。
そこに新たな敵が二千ほど湧いて来た。水軍の船から上陸した敵が、あらかじめ伏せていたらしい。
高師直にしてみれば、渾身の策が当たった、と言う所だろう。
予想はしていた。分かっていて、敢えてそこに突っ込んだのだ。
宗広を逃がすために踏み止まった陸奥守が、策に嵌って逃げ場を失った。これで、そう見えるだろう。
騎馬隊を二つに分け、挟み撃つように二千にぶつかった。
それで敵は崩れるが、後方から追撃の騎馬隊が迫ってくる。
もう逃げなかった。二つに分けた騎馬隊を一つにまとめ、正面からぶつかり合う。
味方は次々と倒れて行く。しかし敵はその三倍以上倒していた。
済まないな、左近。心の中でそう呟いた。
高師直本人が自分の手で確実に北畠顕家を討ち取るために、前面に出て来るかも知れない。そこで師直を討ち取る事が出来れば、また状況は変わり、自分にも道が開けるかも知れない。
そのわずかな可能性を、今まで捨ててはいなかった。しかし、どうやらそれも無理なようだった。
高師直はまるでその意図を見透かしたかのように、今回は最後の最後まで徒に分厚く守られた陣の中から動こうとしない。
小夜は悲しむだろうか。楓や左近は怒るだろうか。そうだとしても、きっと皆分かってくれるだろう、とは思う。
「全員、ここまでだ。後は各自で生き延びる事を目指せ」
そう命じた。
逃げようとする者は、一人もいなかった。残っているのは、二百騎ほどだ。
いつしか、日が昇り、朝になっていた。
現代から奇妙に歪んでここまで辿り着いた自分と言う人間の時は、どうやらこの朝で終わる。そして、北畠顕家と言う人間の時もこの朝で終わる。
だが、小夜と言う人間の時が、この先も続いていくなら、それでいい。
先頭に立って敵に突っ込んで行く。十数人を斬り落とした。太刀や長刀が体を掠める。朝雲が嘶く。敵の馬が怯えていた。味方もそれに続く。
敵の騎馬隊が崩れるように離れていく。その先には徒の陣があり、そして数えきれないほどの矢が飛んで来た。
それでも止まる事無く、騎馬隊を小さくまとめ、敵へと進み続けた。味方が倒れて行く。師行の影武者も倒れ、勇人にも何本か矢が突き立った。朝雲に矢が突き立っている。
敵まで辿り着けたのは二十騎ほどだった。徒の陣に突っ込む。恐怖に歪む敵の顔がはっきりと見えた。しかし勇人も何か所か深い傷を受けた。
朝雲の足が長刀で払われた。朝雲が倒れ、勇人も投げ出される。
それでも、朝雲はまた立ち上がろうとした。
「もういい、朝雲。苦労を掛けたね」
勇人は首を振った。その言葉が通じたかのように、朝雲はもう一度座り込み、首を垂れた。
太刀を握りしめ正面を見やった。随分と血を流した気はするが、まだ。体は動く。
兵の形をした死が、目前に迫っている。
恐怖は感じなかった。陸奥守北畠顕家の最期だと信じさせるだけの戦いが出来たのか。考えているのはそれだけだ。
最初から、ここでこうして死ぬために自分がこの時代に来たのだとしても、勇人には後悔は無かった。
自分はここに来て小夜と出会い、そして出来得る限り事をして戦い、彼女を守る事が出来たのだから。
懸命に、全力で生きられた。その思いがある。
もう勇人は敵を見てはいなかった。
勇人は、空を見ていた。
どこまでも高く、果てしなく青い空を、いつまでもいつまでも見ていた。
時の果ての朝~異説太平記~ マット岸田 @mat-kishida
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