終章-5 建速勇人(4)

 あまり多くの兵を率いて行きたくはなかったが、小夜の旗本を始めとした麾下の軍勢と師行の旗本の生き残り達が勇人に付いて来る事を望み、結局五百騎を勇人は率いる事になった。

 仕方が無かった。あまり兵が少なすぎても、不自然である。

 高師直の本隊は、三万近い数で堺浦に布陣している。

 それはあくまで本隊と言うだけで、師直が指揮する軍勢は、摂津の奥州軍を包囲するように十万を超える数が配置されていて、各地で小競り合いを続けている。

 さらに堺浦から海に逃げる事を警戒しているのか、海上には水軍まで配置されていると言う。

 そうまでして、小夜を討ち取りたいか、と勇人は苦笑する思いだった。

 戦に付いて改めて話し合う事はそれほどなかった。後は六人で軽く酒を飲みながら、様々な事を少しの間語り合っただけだ。

 随分と人は減った。しかしそれでも、ここが自分の居場所だった。

 翌朝、出陣となった。

 具足を正家が持って来てくれた物に変え、陵王の面を付け、朝雲にまたがると、風林火山の旗を掲げさせた。

 勇人が北畠顕家になると、敵から見れば南部師行が消える事になる。だから代わりに師行の旗本の中から一人を選んで、師行の影武者に立てた。

 行朝と政長は西の戦場へと向かい、勇人は宗広と共に堺浦へと進む。

 左近と楓、正家達が軍勢を見送った。

 三千程の軍勢の中心に勇人がいる事になったが、それは見せかけで、本当の大将は宗広である。

 風林火山の旗を掲げて進軍すると、少しずつだが軍勢が集まって来た。集まって来た兵達には宗広が応対し、軍勢に加えていく。

 三千が、あっという間に六千程になった。少し誤算ではあるが、高師直を騙すには悪くないかもしれなかった。

 三千が六千に増えたからと言って、それで勝てる相手では無かった。奥州軍が軍勢を集結させれば、高師直も兵を集めるだけだろう。そうなれば、無駄に死ぬ兵が増える。

 夜半に、堺浦に到着した。そこで一度軍勢を留める。


「結局、お主と言う存在は何であったのか、答えは見付かったのか、勇人」


 陣幕の中で二人きりになった時、宗広がそう訊ねて来た。


「はい。僕の中では、ですが」


「そうか」


 “その六百年先では陸奥守様が本当は女性である事は明らかになっていないのでしょうか”

 あの時、楠木正成はそう勇人に尋ねて来た。

 今になって見れば、何故正成がそう訊ねて来たのか、そしてその質問で何を悟ったのかが、勇人にも良く分かった。

 答えは最初から、自分がこの時代に来てすぐの所に見えていたのだ。

 勇人がいた未来では、北畠顕家が女性であった、等と言う歴史は異説も含めて当然残っていない。

 だから勇人には歴史が変えられなかったのではなく、この世界の歴史は、本当は最初から、勇人が知っている物とは別の物だったのだ。

 時家が奥州軍に加わったのも、その時家に楓が助けられた事が最後は師行の死に繋がった事も、斯波家長と小夜との間に同盟が成立したのも、本当は起きるはずが無かったはずの事を、自分が起こしてしまったのかも知れない。

 そして自分がいなければ、小夜は後醍醐帝と五辻宮を止める事が出来ず、この国は自分が知っている物とは全く別の歴史を辿ったのかも知れない。

 それらは全て仮定ではあった。考え始めればきりがない。そしてそれが本当に正しいのだと言う証拠も無い。

 ただ、一つだけ確かな事があった。

 これから小夜が史実通り北畠顕家として討ち死にしてその死体が敵の手に渡れば、北畠顕家が女であった、と言う勇人が知らない歴史が残ると言う事だ。

 そして高師直を相手にして北畠顕家として戦い死ねる人間は、もう自分しかいなかった。

 もしそれがどこかの誰かが最初から決めていた自分の役割だったとしても、怒りも憎しみも勇人には浮かばなかった。

 他人の意思も運命も、もう関係無い。自分は最後の最後まで小夜を守るために戦うだけだ。


「明日は夜明け前から戦になるかも知れん。早く休めよ」


 宗広はもう、それ以上その事に付いて尋ねようとはしなかった。


「宗広殿、これを」


 勇人は鬼丸国綱を宗広に差し出した。


「お返しします。敵に奪われるのは、忍びない」


「それは最後までお主が持っていよ、勇人。太刀の質一つで、戦場では命が分かれる事もある。最後まで、戦のために全力を尽くすのが真の武士だ。命ある限り、戦場では足掻き続けるのが武士だ。それに太刀など、猛者が使ってこそよ」


 宗広はそこだけ強い口調と厳しい表情を作る。

 生粋の武士らしさを見せる宗広は、久々だった。


「分かりました」


「今日はもう早く休むがよい。明日は夜明け前から戦になるじゃろうて」


 宗広は穏やかな微笑みを作ると、立ち上がった。

 その日、勇人は珍しく夢を見た。

 夢の中では、大塔宮も、楠木正成も、斯波家長も、北条時家も、南部師行も、影太郎も、上林和政も死んではいなかった。

 助け出された大塔宮が正成を説得し、身分を隠したまま二人で奥州軍に加わった事がきっかけで、驚くほど全てが上手く行っていた。

 小夜と家長に大塔宮と正成までも加えた同盟に抗する事が出来る者はおらず、後醍醐帝と五辻宮の企みは難なく砕かれ、足利尊氏も家長の説得に応じ、隠居して表舞台を引いた。

 新たに帝位に付いた六の宮を小夜と大塔宮と親房と正成が支え、家長と直義を中心にした武家の協力の元に、理想的で強固な新体制が出来上がっていた。

 数年の内に天下の情勢は落ち着き、小夜は後の事を信頼できる者達に任せると北畠顕家としては身を引いて陸奥に帰り、勇人と共に五郎の村で暮らし始めた。

 かつての事を思い出させるのはたまに中央の事に付いて報告に現れる影太郎や左近の姿だけだった。

 楓やちあめも姿を見せるが、それは報告のためではなく、それぞれ愛する者との間に作った子どもの姿を見せるためだ。

 そして勇人と小夜も。


「夢、だなあ」


 そう呟くと同時に目を覚ましていた。

 少し何かが違えば有り得たかもしれない、しかし今はとても遠い、ただの夢だ。

 そして最初から自分は、夢などを目指して進んでは来なかった。ただ、小夜に死んでほしくない。その笑い出したくなるほど単純な思いだけで、ここまで来たのだ。

 だから自分は、これでいいのだろう。

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