海に住みたい【ショートショート】

カブ

海に住みたい

 家へ帰ると彼女が死んでいた。

 どうやら誰かに殺されたようだった。白が基調とされた部屋には真夏の風がふいていてカーテンが横に揺れていて、潮の香りがした。玄関から離れたところに白いワンピースを着た彼女が死んでいた。首が真一文字に切られていて、血が噴出したために、壁一面には真っ赤な血が飛び散っていた。

 僕は彼女のもとへと近づいて、その死体をじっと観察した。いったい彼女にどれほどの怨みがあるのか分からないが、彼女の目はくりぬかれていた。彼女の双眼は遺体の左脇に乱暴に置かれていた。苦痛に歪んだその顔は歪みに歪んでもとの彼女の面影はなにひとつない。絶叫したことが伺えるように彼女は口をあけている。その大きく開かれた口の底には真ピンクの空洞が広がっていて、五臓六腑から阿鼻叫喚が吐き出されているようだった。

 いつまで僕は彼女の死体をじっとみつめていたことだろうか。

 三十分? 一時間? いや、もしかしたら数時間もそうしていたかもしれない。そうしてずっとすぐ隣にある海からの波音を聞くともなしに聞いていた。

 彼女とは同棲していた。この窓から海がみえる家で、三年の間同棲していたのだ。結婚していたわけではないし、付き合っていたというわけでもなかったが、時々は身体を求めあって甘い時を過ごしたりした。

お互いの過去や素性などはいっさい話題にも上らずに、ただ今のことだけを話した。それが僕にはとても心地よく、快適だった。

 彼女はずっと海に住みたいと言っていた。

 海のみえる家ではなくて、海に住みたいと言っていた。あの大海原から首を出して街を眺めながら一生過ごしたいと。

 でもそれは無理だから、せめて海の見えるこの家を買った。

 窓から彼女は海を眺めては童謡の「海」を歌っていた。まるで心が無いように冷たい声で歌うのだ。

 私は彼女がそうしていたように窓辺にたって海を眺めた。

 紺碧の空の下に大海原がある。

 大海原は豪快な波音を立てる。

 街から流れ出た汚い人間の心が海に流れこんでしまって、それに反抗して破壊するように海は唸る。


 警察には電話しなかった。

 警察に電話をすると彼女の死体は引き取られ、海に直接流すことはできなくなるだろう。

 僕は、彼女の死体を背負い込むと砂浜を歩き海へと向かった。彼女の死体は思いのほか軽かったが、砂に足をとられて足取りは重かった。

 彼女を抱きかかえたまま海へと入っていった。海水が容赦なく身体を打ち付ける。足取りを重くする。

 身体が半分まで海水に漬かるところで死体を海へと放した。死体は波にさらわれてどこまでもどこまでも遠くへ行ってしまった。

 布っきれのように浮き沈みする彼女の死体は流される。私の知らないところへといってしまう。僕は姿が見えなくなるまで、ずっと波に身体を揺らしていた。


 その日の真夜中、気配がしてふと目がさめた。

 真っ暗な闇、まるで墨汁をぶちまけられてしまったような海からなにか長い棒のようなものが空へ向かって突き出ていた。

 目をこらしたが、その正体がわからないので、窓辺に置いてあった彼女がよく使っていた双眼鏡をのぞいて、ぎょっとした。

 長い支柱のようなものは、白いほっそりとした首で、その先には目玉のくりぬかれた彼女の顔があった。


 私は、あまりのおぞましさに、胸のあたりをつかみながら後ろへとのけぞった。

 そして、彼女が口癖のようにつぶやいていた言葉を思い出していた。

「あの海に住んでみたい。静かな海で、騒がしい街を見下ろしながら……」

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海に住みたい【ショートショート】 カブ @kabu0210

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