第25話 正位置のコーヒー

 家に戻ってきて、数日後。

 ノックの音が響いたから、僕はデスクから立ち上がった。


「おはよう、ジーク」

「カーミラ」


 すっかり私服が板についたが、くるくるとカールする金色の髪の美しさは変わらない。

 ふと彼女の後ろを見ると、大きな馬車が前庭を完全に占拠していて、御者が次々に荷物を下ろしていた。


「何この荷物」

「ようやく退団が受理されて、実家とも話が付いたの。だから、今日から厄介になるわね。よろしく」

「え?」

「中まで運んでちょうだい」


 カーミラの簡潔な指示に御者がきりりと返事をする。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってカーミラ」


 彼女の手で家の中へ押し込まれながら、僕は慌てて質問を重ねた。


「厄介になるって、ここに住むってこと?」

「そうよ」

「ど、どうして? なんで突然?」

「あら、私を欲しがったのはあなたでしょう? だから差し上げようと思って」

「欲しがった、って……」

「あなたは確かに“君ごと欲しい”って言ったわ。忘れたとは言わせないわよ」


 僕ははっきりと思い出した。そうだ、確かに言った。言ったけど、


「あれは、馬の話で――」


 金色の瞳に鋭く睨まれ、僕は言葉を飲み込んだ。


「私なんかいらない、ってわけ?」

「そうは言ってないだろ」

「だから言葉足らずを直しなさいって言ったでしょう。ま、もう遅いけれど」


 勝手を知っているカーミラは御者にどんどん指示を出し、僕の寝室にいろいろな荷物を運ばせていく。


「カーミラ、本当に良いのか」

「何が?」

「だって、君はまだこんなに綺麗だ。こんな山奥じゃなくて、王都でもっと君を幸せにしてくれる人が――」


 ふいに口を塞がれたのが、何を用いてのことだったか咄嗟に飲み込めなかった。


「それ以上余計なこと言ったら、次は喉元掻き切るわよ」


 なんて物騒なことを言いながら、彼女は寝室に消えていった。お役御免を告げられた御者が、紳士な一礼をして家を出ていく。

 呆然と立ち尽くす僕の隣で、キッチンの扉が開いた。


「どうかしたんですか、師匠?」

「あー、いや……」

「カーミラ様のお声が聞こえたと思ったんですが……」

「あ、うん。なんか、今日からここに住むって」

「え?」


 ドゥイリオは青い目をぱちくりさせた。


「どうしようかな。部屋とか……やっぱりちょっと広げようか」

「……いえ、部屋は足りるのでは?」

「でも、君だってもう少し広い方がいいだろ」


 彼はゆるゆると首を振った。サッパリと切りそろえた黒髪がふわりと揺れる。


「広すぎるのは性に合いません。それに、カーミラ様は師匠のお近くにいたいのだと思いますよ」

「そうかな?」


 ドゥイリオが「そうです」とハッキリ頷き、寝室からひょいと顔を出したカーミラが「そうよ。ドゥイリオの方が女心を分かってるわね」と笑った。


「突然ごめんなさいね、ドゥイリオ。私も家事は出来るから、少し分担しましょう。あと、体術と剣術の基礎を教えてあげるわ」

「え、いいんですか」

「もちろん。学校へ入るんでしょう? 魔導師を目指すにしても、やっておいた方がいいわよ」


 ドゥイリオは当初の予定通り、来年の入学試験を受けると言った。人の口に戸は立てられない。僕を殺そうとしたことは広まっているだろうから、厳しい環境が待っていると忠告したけれど、彼の心は変わらなかった。

 たぶん、それを罰だと思うことにしたのだろう。


「ありがとうございます。よろしくお願いします、カーミラ様」

「こちらこそ、よろしく。様なんてもう付けないで」

「……気を付けます」


 これはしばらく直らないだろうな、と僕は思ったけれど、何も言わなかった。


「ドゥイリオ、コーヒーを淹れてくれる?」

「はい、師匠。すぐに!」


 彼はぱっと踵を返してキッチンに飛び込んでいった。カーミラも荷物を整理するために寝室へ戻っていく。僕も再びデスクに着いて、広げていたカードをまとめた。

 何度か切ってから、三枚めくる。

 記録を付けてカードを片付けていると、ドゥイリオが出てきた。トレイにマグカップを三つ載せている。最近の彼は一つの鍋で二人分作り、僕と一緒にコーヒーを飲むようになっていた。苦味が得意ではないらしく、砂糖をたくさん入れながらだけど、頑なにそうしている。一つはカーミラ用だろう、ハーブティーだった。


「ありがとう」

「いえ」


 お礼を言うと、ドゥイリオはごくごく自然に微笑んで頷いた。


「何を占っていたんですか、師匠?」

「僕のこれからの生活」

「どうでしたか?」


 僕は黙ってノートを差し出す。中を覗いたドゥイリオが顔をほころばせるのを見ながら、マグカップを持ち上げる。

 何の味もしないこのコーヒーが、この世で一番美味しいものである。少なくとも、僕たちにとって。


         おしまい

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逆位置のコーヒー 井ノ下功 @inosita-kou

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