第24話 答えを出す師弟

 僕は熱を出してしばらく寝込んだ。

 その間にバルタザールの処分が決まった。脱獄幇助と洗脳、殺人の強要。それだけでも大概だが、なにより重かったのは親殺しだ。義理であろうと名字をともにする父を毒殺したのだから、決して許されることではない。十年前の重罪人たちと一緒に処刑されることとなった。

 結局レッフラー公の関与は立証されなくて、お咎めなしとなったらしい。心底嫌になる。


 十六週“さざめき”が終わる頃には、僕の体調はほぼ元通りになっていた。といっても、毒を飲んだ後の、だけど。飲み込んだ毒は時間経過とともに抜けていくだろうという話で、無理しなければ大丈夫らしい。エッダが占術師長になった今、僕の出番はもうないだろうから安心だ。

 ベッドの上での生活にもそろそろお別れして、家に戻る。

 だが、その前に。

 はっきりとしたノックが病室に響いた。


「どうぞ」

「失礼いたします」


 騎士に伴われて入ってきたのは、ドゥイリオだ。彼は深くうつむいたまま、背中を押されてのろのろと近付いてきた。背丈も髪の毛も少し伸びたように見えた。


「そこ座って」


 彼は僕に言われた通り、すぐ傍の丸椅子に腰かけた。膝を掴んだ両手に力がこもっているのが見て取れる。表情は見えないが、なんとなく想像できた。


 彼の日記は、バルタザールによって改竄されていたと証明された。クヴァの装丁は剥がされて、もともとの文章も復元されている。

 僕はカーミラからそれを貰って、すべて読んだ。

 最初の方はほとんど変わっていなかったけれど、途中から疑念と迷いが生まれたことがはっきり綴られていた。空白にされていた部分には、“あの人”への疑いや、僕の記録の写し、盗み聞きした情報などがびっしりと書き込まれていた。そしてそこに非常に冷静な、論理的な考察が加えられていたのである。改竄しきれなくて、白く塗りつぶすしかなかったのが納得できてしまうほどの情報量だった。

 僕は驚嘆した。復讐心を抱え、洗脳を受け、毒を隠しながら、思考を止めずに真実を追究していたなんて。彼の細い体のどこにそんな強さが秘められていたのか、僕には分からなかった。

 同時に僕は、彼の抱えていた葛藤に喜びを感じたことを隠せない。彼の迷いはそのまま、僕への信頼であったから。

 罪深いと思いながら僕は泣いた。泣きながら考えた。真面目で素直で優しい彼に、何を言うべきか。


 日記で見た強くて冷静な彼と、今目の前でかすかに震えている彼。二つの像が上手く結びつけられなくて混乱しそうになったのを、ぐっと押し殺す。


「いつかの質問に答えるよ」


 僕が宿題にした、難しい問題。


「奪われたなら奪い返せ。それが正しいのかどうか」


 ドゥイリオは黙っているけれど、耳はきちんとこちらへ傾けていた。それぐらいのことは顔を見なくても分かる。

 ずっと考え続けていた、その答えを告げる。


「僕は、正しいと思う」


 それは意外な答えだったのか、彼はピクリと肩を揺らした。


「特に物品の場合はそうだろう。何か所有物を奪われたなら、それを奪い返すのは当然のことだ。もともと自分の物なんだから」

「……」

「命を奪い返すのは不可能だけれど、奪った人物に相応の報いを受けさせるのは必要なことだろう。そうしなくては、奪われる人は一方的に奪われるだけで、ずっと前を向けない」


 奪った側にとっても、何も無いのは耐えがたい。


「考えるべきは“相応の報い”の中身と、その終わり方だ。国の刑罰で、刑期が終わればそれでいいのか。それとも自分自身が直接罰を下して、まったく同じ苦しみを与えなければ終われないのか。そこはたぶん、人によってそれぞれで、正解はないのだと思う」


 十年前の僕の失態は誰にも裁かれなかった。追及して糾弾した者は当然いたし、僕だって罰を受けるつもりだった。けれど内紛の慌ただしさに溶けるようにして、いつの間にかその声は消えていたのだ。それが僕には耐えられなくて、逃げるように職を辞した。

 そのツケを払う時がようやく来たのだ。


「君にはその権利がある。僕自身も、奪い返される覚悟は出来ているよ。僕はそれだけのことをしてきた」


 彼は容赦なき断罪者。彼に裁かれるならば、どんな罰だって正解だ。あのまま毒殺されていても、腹を刺されていても、僕は甘んじて受け入れただろう。何の未練も恨みもない。当然の幕引きだ。

 僕の人生はそれでよかった。けれど。


「……ここからはさ、僕のわがままなんだけど……」


 ドゥイリオの人生は、そこで終わらない。続くのだ。


「僕は、君を人殺しにしたくない。刺されそうになった時に、そう思った。君に、奪う側に立ってほしくない。それはきっと、君の灯りを濁らせることになる」


 灯りを失った彼がどんな道を進むのか。それを思ったら胸が苦しくなった。

 失った人物の末路を見た後だったから、余計に。


「僕は君の持っている灯りが好きだよ。本当に美しい、温かな光だから。それを汚すことになってしまうなら、僕は自分で毒を飲む」

「っ、やめてください!」


 ようやく彼は顔を上げた。彼の目は腫れぼったい瞼の向こうでぐらぐらと揺れていたけれど、すっきりとした青色に戻っていた。洗脳はきちんと取り払われたらしい。


「なんで……どうして、俺を責めないんですか。俺は師しょ……いえ、あなたを、殺そうとして……ずっと、ずっと騙して……」

「責められるわけがないだろ」


 僕の声はわずかに硬くなった。みっともなく震えそうになるのを息で抑える。


「君から家族を奪ったのは僕だ。……僕は君の狙いに気が付かなかったけど、もし気が付いていたとしても何も言わなかったと思う」

「……」

「……ごめん、ドゥイリオ」


 言った瞬間、喉がひりつくように痛み、頭の奥がぎしりと軋んだ。

 許されないとは分かっている。許されたいとも思っていない。けれど、謝らないでいることも許されないような気がした。


「ごめん」


 彼はゆるゆると頭を振りながら、押し潰されるように腰を折って、膝に額を付けた。くぐもった声が涙を孕んで言葉を紡ぐ。


「……覚えているんです。あの夜、僕は母に連れられて、裏口から逃げて……でも、後ろから追いかけてきた男に、斬られて……アイツらは、笑ってました。笑っていたのが、怖くて、逃げたんです。母が、抱えていた、まだ、生まれたばかりだった弟を……お、置き去りに、して……俺だけ……」


 ドゥイリオは途切れ途切れに、せめて弟を助けたかった、と続けた。


「お、俺は、ずっと、恨んでました。母と、弟を、見捨てた自分が、嫌いで、でも、そのことを考えるのが、つらくて……だから、俺のせいじゃないって、逃げて……だから、師匠のせいだ、って言われて、そうなんだって……他にもたくさん、死んだのは、全部、師匠のせいだって……だから、師匠を……それは、正義なんだって……」

「……」

「でも、なんか、だんだん分からなくなってきて……ま、魔法、教わるの、楽しかったし……麓の町の人は、みんな、師匠を良い人だって言うし……俺のことも……俺は、良い子じゃないのに……」


 僕は何も言えなかった。何を言ったらいいのかなど分からないし、何を言う資格も無いように思えて、ただ目元を固く引き締めながら、震える声を聞いていた。


「おかしい、って、気が付いて、それで“あの人”を問い詰めに行って、それで、あんな……あんな……」

「……」

「ごめんなさい。ごめんなさい、師匠。俺、もう、どうしたらいいのか分からないんです。洗脳されてたから罪にはならないって言われても、最初に、師匠に毒を盛ったのは、俺の意思です。あの頃は、まだ、洗脳なんかされていなかった。だから、あれは、間違いなく俺の罪で……弟を、置いて行ったことも……仕方なかったとか言われても……俺は、俺を許せない……」


 己の罪を一番重く受け止めているのは自分だけ。その気持ちはよく分かった。僕もそうだから。許されたいと思いながら、許されたくない。裁かれるのが怖いのに、裁かれないのが不満。そういう矛盾を僕らは抱えている。

 けれど、分かる、とは口が裂けても言えない。僕は奪った側で、彼は奪われた側。それはあまりにも大きすぎる違いだ。

 ドゥイリオは少しだけ頭を上げた。膝についた手の甲に、ぽたぽたと涙が零れ落ちる。


「どう、したら、いいですか……俺は、この先……どう、生きていけば……」


 ただ息をするだけなら簡単だ。食べて、寝て、排泄をして、それだけをしていれば息は繋げる。しかしそれは“生きている”のだろうか。


「難しい質問だ」


 僕だってその答えを知りたい。ドゥイリオの倍以上生きてきたはずなのに、まったく答えらしい答えが思いつかなかった。似たような疑問を抱いた時、僕はろくに考えもせず逃げ出したから、分かるわけがなくて当然だった。

 一方で、彼が温かな光を持つ理由はよく分かった。僕ともバルタザールとも違う、彼だけの美しい光。その源を。

 口先だけでも、死にたい、と言うのは簡単なのに。


(こんなわがままを、通してもらえるかな。……僕も、もう逃げないから)


 この光を、僕は消したくない――許されるならば傍で見ていたい。守りたい。

 僕は苦笑しながら、ドゥイリオが断らないであろう言葉をわざと選んだ。


「少し、考える時間をくれる? 必ず答えるからさ」

「はい……」


 頷いてしまってから、彼はハッとしたように僕を見た。


「あの、ごめんなさい、師匠。俺はもう、あなたの弟子では――」

「君を破門にしたつもりはない」

「でも……」

「ねぇ、ドゥイリオ。君さえ嫌でなければ、もう少しだけ、僕の弟子でいてくれないかな。まだ教えていないことがたくさんあるんだ。さっきの質問にも答えなくちゃいけないし。……どうだろう」


 ドゥイリオはじっとうつむいて、涙に濡れた顔を乱暴に擦った。それから胸いっぱいに空気を吸い込んだ。赤く腫れた目が僕を真っ直ぐに見る。

 それから、僕は答えを受け取った。

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