ボクシングジム会長こと、私です。

西川悠希

001 ボクシングと経営と私

朝は毎日6時起き。

家族と朝食を済ませ、日課でもある趣味のガーデニングで育てている植物の世話を済ませてから、バイクに乗って職場に向かう。

駅から徒歩5分ほどにあるビルの二階。

前面の通りは住宅街に向かうバス通りで人の往来はにぎやかな好立地。

向かいには大きな広場があり、季節のイベントやスポーツを楽しむ人々。

それらを横目にビルの駐輪場にバイクを止め、軽やかな足取りでビルの二階に向かいます。

大空を一望できる解放感あふれる踊り場があり、その先にはボクシングジムの入り口。

そこが“私”の職場。


はじめまして、みなさん。

私がボクシングジム会長こと、私です。


001 ボクシングと経営と私


「ぬぁーにが、私です。よ」


ジムに入るなり、いきなり無粋な茶々を入れてきたのは、このジムのマネージャーを務めている秋「おっと人物名を出すのはNGで」


「こら、地の文にいきなりセリフをかぶせるんじゃない。これは一応、みなさんに読んでいただいているものなんだ。びっくりするだろ」


「だからといって、人物名は出しちゃダメでしょ。このご時世いろいろうるさいの、わかる?」


「じゃあ、なんと紹介すればいいんだ。お前も私と同じように“私”でいくか?」


いろいろ、という部分に触れるのが面倒なので、私は話をそらします。


「そうそう。この小説はフィクションであり、一切の人物、団体、出来事とは関係ないんですからね。だから私も架空の存在」


えっへんと自慢げに胸を張る。

セリフを無視されているようなので、私はもう一度繰り返します。


「じゃあ、どうすればいい? お前もこのジムのマネージャーこと“私”でいくか?」


「駄目よ、キャラがかぶるじゃない。今の時代、キャラの差別化を図ることは大事。ましてや私たちは文章でしか、みなさんに伝えることができないんですからね」


どうも世代間の違いなのか、理解の出来ない事を言ってきます。

だが文章でしか伝えられないのはその通り。

ここは大人の側が大局に立って話を進めるのが、世の中の道理というものではないでしょうか。


「しかし、お前も女性なんだから「私」が普通なら一人称じゃないか」


「ボクっ娘とか知らないの? 萌えるでしょ」


「女が自分のことをボクとかいうか! そんな人間どこにいる」


「わかってないわねぇ。これはフィクション。一切の人物、団「わかったって!」」


ああいえばこう言う。

いまどきの若い者は。

口には出したくない言葉ですが、なぜこんなにも不毛なやりとりをしなければならないのか。


「そりゅあ、ジム経営のためでしょうが」


地の文に対しても平気で突っ込んでくるのか……。


「自分だって今、人のセリフにむりやり自分のセリフをかぶせたじゃない」


「あれはお前が同じ事を繰り返そうとしたからだろ。二度も三度も同じことを繰り返すのは読んでいただいている皆さんに失礼じゃないか」


「だって大事なことだからね」


またもえっへんと胸を張る。

正直、色々言いたいことはありますが、年長者としてここは抑えるのが、大人の貫禄というものではないでしょうか。

一事が万事。

仔細な事にこだわってはいけません。

大事なところは、そこではないのです。


「で、一人称はどうするんだ? 正直、地の文で遠回しに説明するのも疲れるぞ」


「“天使ちゃん”なんかどう?」


「バカじゃねえの!」


おっといけない。

ここは冷静に冷静に。

私はリングの上でもその冷静クレバーなボクシングに定評のあった男。

一回りも年齢の違う、年下の小娘に憤るなどあってはいけません。


「おはようございまーす」


挨拶とともに入ってきたのは、このジムでトレーナーを務めている「“僕”でいいんじゃないですか」


「当たり前のように地の文を補足するな」


「だって会長に付き合ってるといつまでたっても話が進まないし。話が停滞しているときに新しい登場人物を入れて新展開というのはよく使われる手法ですよ」


「そうそう。とりあえず恋のライバル登場とか意地悪教師現る!とかよくあるよねー。それにー、でもー、おじさんにー、彼女呼ばわりはー、なんかー、違うってゆーかー」


なぜ急にしゃべり方を変えるのか。


「なんてゆっかー、ノリ?みたいな?」


「古くないですかね、そのしゃべり方。十年以上前に出てきたやつですよね」


私は頭を抱える。

この二人は仮にも、このボクシングジムのマネージャーとトレーナーなのである。

会社で言えば、社長と社員である。

社長が黒といえば、たとえ白であろうと社員も黒と答えるのが会社組織というもの。

それが、この二人は真逆である。

むしろ黒いものを黒と私が主張すれば、それを白く塗りつぶすことまでやりかねない。


「これも経営のためですよ、会長」


「なんでこれが経営のためなんだ」


「この小説の企画意図として、“ボクシングジムの見えない部分を見える化し、よりボクシングを身近な存在に感じてもらう。”“月1連載で全12話”“1話5000文字程度”という3つのコンセプトがあります。……あるじゃないですか」


なぜわざわざ確認を求めた。


「やっぱり世間的なボクシングのイメージとしては“野蛮”“暴力”“犯罪”がつきまとうじゃないですか」


「いや、犯罪は付きまとわないだろ……」


業界に身を置く立場としては、そこは明確に否定しておきたい。


「実例を挙げてよろしいのかしら?」


どこから持ってきたのかクイッと位置を直した眼鏡から一筋の光が放たれた。

ああ、これは逆らうと絶対に面倒くさいことになる流れだ。


「すみません。大変、申し訳ありませんでした。私が間違っていたことをお詫び申し上げます」


「素直でよろしい。その態度に免じて、今回はお許しさしあげてもよろしくてよ」


くそ、調子に乗りやがって。


「でもしょうがないですよねー。リングの上で殴りあうんですもん。悪いことをしたってなると、みんなやっぱりー。って思っちゃいますし」


「でもほんの一部だけだ。ああいうのは新聞やテレビが面白おかしく書き立てるのが悪い」


「いいじゃないですか。人間、注目されてるうちが華です。悪いことをしても取り上げてもらえなくなったら、それこそおしまいです」


「おしまいじゃねえよ! 悪いことをした時点でおしまいだろ」


「そうよ、おじさん。何人なんぴとたりとも罪は犯してはなりませんことよ」


「会長。悪いことはいいません。罪は早く償うべきですよ」


「なんで俺が犯罪したことになってるんだ! 俺は何も悪いことはしてないぞ!」


「生きることは罪なんですよ」


「ふざけるな!」


「そしてまた、女を泣かせることも罪」


こいつらの中で俺の存在がどうなっているのか問い詰めたい。


「おっかさんが泣いてるぞ。 かわいい奥さんと子供だっているんだろ」


どこから取り出したのか、携帯ライトの明かりで私の顔を照らす。

ひょっとして刑事ドラマの尋問シーンを再現してるつもりなんだろうか。


「あなた、やめて、もういいのよ! 私、お金さえあればそれでいいから!」


こいつ、今、最後にさらっとロクでもない言葉を吐きやがったぞ。


「俺も最近、懐が苦しくてな。ちょっと今夜の酒代でも都合してくれるんなら、……な?」


今度は悪徳刑事設定が入ったのか。

しかし、私は大人。

こんな小芝居に対して、いちいち怒りを露わにするほど心は狭くありません。

ご覧下さい、私の大人の対応を。


「わかったわかった。続きは今度な。そろそろ会員の人たちも来ることだし、支度をはじめようか」


「会長、僕はあなたを尊敬してますよ、とても」


唐突に何を言い出すのか、この男は。

自分のジムのトレーナーにこんな事は言いたくないが、あまりにも胡散臭過ぎる。


「そうそう。さんざん俺は偉大だ。って会員の人相手に自慢してるじゃない」


「人聞きの悪い言い方はするな! 会員さんだって本気で受け取ってるわけないだろ」


「会長はー、いつも女の人相手ばかりしてー、全然プロの面倒みないんじゃー」


老練のトレーナー風な言い回し。誰のつもりだ。


「ま、裏を返せば、エクササイズ目的の人でもちゃんと会長は面倒みてくれる。ってことですけどね」


「そこは本当、おじさんのいいところよね」


「おじさんって言うな。とはいえ、それが俺がこのジムを設立した当初からの方針でもあるからな」


「プロはトレーナーが見て、一般の会員の人は会長が指導することですか」


私は襟を正す。

実際にはジャージだが、気持ち的な意味で。

ここは大事なことだから、しっかりとみなさんに伝えたい部分なのです。


「やっぱり何事もやるからには、まずは楽しくやるべきじゃない。ああだこうだ上から目線で指導するよりも、まずは楽しく運動して、もしプロになるならそのうえでなってほしい。それが私の願いであり、このジムの方針なんですよ」


私はどうだ。と言わんばかりに決意表明する。


「…楽しくやるべきじゃない? ツライほうがいいの?」


「肯定の意味で~じゃない。ってのは口調でわかりますけど、文章だと否定にとられますよ」


細かい部分をああだこうだ言いやがって……。


「まあ、~じゃない口調に関してはそういうご趣味をお持ちのようなので、それがサガとして仕方ない部分ではありますが」


手を口元に当てて、オホホと笑って、いわゆる男性が女性を装う時のしぐさをする。


「違うわ! お前らはいちいち俺を落とさないと気が済まないのか」


「オチは大事ですよ。これが世間に受け入れられるために必要な要素です」


エッヘンと胸を張る。


「そして、1話の文字数5000文字を達成するためには必要なことなのよ」


正直、それはこっちの事情であって、読んでいただく読者の方々に関係ないんじゃないのかと言いたい。


「そんなに文字数文字数言うなら、お前らの呼び名を地の文で省略してるのはいいのか。さっき書いた“胸を張る”だって、トレーナーは~マネージャーは~ってつけた方が文字数稼げるだろ」


「そこは読んでる側が空気を読めばいいでしょ」


それはいくらなんでも乱暴すぎやしないか。


「意外と人は1から10まで懇切丁寧に説明されると興味がなくなるものですからね。多少、ミステリアスな部分があった方が人は惹かれるんです。……モザイクがあったほうが何回見ても飽きませんよね?」


「他にもっとマシな例えがあるだろ!」


「おじさんだって現役時代はそういうミステリアスな部分で売ってたわけでしょ」


「サラリーマンでボクサーとか、普通の人から見たらやっぱり理解しがたいですからね。両立させてたのはやっぱりすごいですよ」


「……まあ、それほどでもあるがな」


ほめられるとやはり気分がいいものだ。私は思わず鼻が高くなる。


「とはいえ、おじさんはまずいだろ。会長と呼びなさい、会長と」


「固有名詞じゃないんだから気にしなくてもいいんじゃないですかね、そこは。二人とも会長、会長と呼んでたらどっちのセリフなのかわからなくなるし」


「いいや、そこはダメだ。上下関係はきちんとしなさい。少なくともジムの中ではな」


「めんどくさ」


露骨に不満を露わにする。


「お前は仮にもジムのマネージャーだろ」


「ふーん、そうなんだ」


こいつ、髪をいじり始めたぞ。明らかに聞いてない。

社会人として恥ずかしくないのか。


「私ー、別にー、選手の試合組むわけじゃないしー、対外的にはマネージャーとか言ってるけどー、ライセンスもないただの電話番だしー」


うわ、ふてくされはじめやがった。


「だいたいー、なんでー、私がいつもジムのカギをー、開けてるのかなー? みたいなー?」


「いやいや、いつも感謝してるんだよ? ほんとだから」


いかん、この流れはまずい。ご機嫌を取らなければ。

私は事務室の冷蔵庫の冷凍室から、いつか食べようと思っていたチョコアイスを取り出し、“天使ちゃん”に捧げる。


「ほら、チョコアイスですよー。おいちいおいちいチョコアイスですよー」


「ふん、そうやっていつもいつも甘いものでごまかされようったってそうはいかないんですからね」


言いながらも、“天使ちゃん”はチョコアイスを満面の笑みで頬張るのだった。


「ふう」


私は思わず大きく息をついた。

ジムの経営というのはいろいろと気苦労が多くて大変なのです。


「ていうかマジで“天使ちゃん”でいくつもりですか」


「いくわけねえだろ!」


「女という生き物なんて、天使とはほど遠い存在なのにね」


それを女であるお前が言うのか……。

そもそも“天使ちゃん”と呼べといったのはお前だろうに。


「いい大人が冗談を真に受けるなんて、恥ずかしくないの」


正直、殴りたい。

いや、殴らないけども。


「だがこの気持ち、読んでいただいている皆様にはおわかりいただきたい」


「いやいや、勝手に地の文を補足するなって!」


「殴りたいとかいう本音を真っ先に口にするなんて、なんて大人げないのかしら」


口にはしてないが、逆らってもおもちゃにされるだけと私は悟っています。

そもそも小説でいえば地の文は基本、登場人物にはわからないもの。

なんで二人して、そのルールを守ろうとしないのか。


「人間、あきらめが肝心ですからね」


「ほんとジム経営って大変よね。みんなから好き勝手言われて」


そこは本当に、本当に読んでいただいている皆様におわかりいただけるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。


「というわけで、このジムでトレーナーを務める“僕”」


「マネージャーこと“天使ちゃん”」


「そして、ボクシングジム会長こと“私”」


「「「われら3人が、これからボクシングを身近に感じてもらうべく、ボクシングジムの見えない部分を見える化していきたいと思います!」」」


ボクシングジムの経営って本当に大変なんですよ。本当に。



001 ボクシングと経営と私 終

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