011 これまでとこれからと私
朝、ジムに出社をして、すべきこと。
それはまず窓を開放して、空気を入れ替えます。
心地よい風がジムの中に行き渡ります。
「今日もいい風ですね。心が澄み渡るようです」
私の背中越しに掃除機ロボのヒカルがジムの床をちりとっていきます。
「おはよー、おじさん」
マネージャーが出社してきました。
「おはよー、ヒカル。今日もお掃除よろしくね」
「おはようございます、こちらこそ今日もよろしくお願いします」
彼女はヒカルと挨拶を交わし、ジムの事務室に入っていきました。
私はタイマーをセットします。
ジムで使うタイマーは3分がラウンド、合間のインターバルが30秒の間隔でブザーが鳴ります。
この辺りはジムによって各個違っており、場所によって2分40秒だったり、インターバルも40秒だったりと違ったりしています。
また当ジムではラスト30秒になった時も、わかるようにブザーが鳴ります。
試合においてはラウンド終了15秒前になると、カン、カンと柏木が打たれます。
ラウンド3分、180秒。
長いようで短い、この時間。
ボクサーはこの180秒に人生をかけて、リングに上がるのです。
「待たせたな、ヒカル!」
「はいっ! 待ってましたっ!」
突然、ジムの窓ガラスを割って侵入者が現れます。
「いくぞっ、最後の仕上げだ! ブースト、オン!」
侵入者はヒカルの上にスケボーに乗るかのように飛び乗ります。
「
二人は光の中に突っ込み、なんか子供番組のヒーローがまといそうなこう、ハデな恰好で現れます。
「「ファイナル・ブースト、承認!」」
侵入者とヒカルの声が重なりあって、ジムの床、壁、窓、天井をところせましと駆け巡ります。
彼らが駆け巡ったあとにはキラキラと星のようなきらめきが瞬いています。
どういう原理から知りませんが、割れた窓ガラスも修復されていました。
一通り走り回ったあとに、彼らはリングに降り立ちます。
「
そして、肩にヒカルとともに謎のかっこいいポーズと言葉を吐き出しました。
「今日もみなさん、お元気ですね」
我らが期待の選手の登場です。
「見てください、この筋肉。今日もいい練習ができそうです」
パンツ一丁でマッスルポーズ。
……これでも期待の選手なんです。
「なんか、解説疲れてない?」
事務室から顔を出して、にやにやと笑っています。
私はこのジムの会長です。トップの人間なのです。
「実るほど、
「どういう意味だ」
意味は知っていますが、あえて突っ込みます。
「知ってるでしょ。上に立つほど謙虚であれ、ってね」
私は謙虚です。おそらく日本、いや世界を見渡しても私ほど謙虚な人間はいません。
「会長、ジャマ」
「そこにいたらBOXERを呼び出せません。どいてください、会長さん」
どかされます。
どきますよ、ええ。どきますとも。
私の心の中で涙が止まりません。
これは悲しくて泣いているのではありません。
練習熱心なトレーナーと選手に感動のあまり、涙が止まらないのです。
「はい、これ」
事務室から出てきて、私に手渡します。
渡されたものは松ぼっくり。
「なんだ、これ」
「励ましのエール」
絶対嘘だ。絶っっっ対に嘘だ。
「いやだわ、人を疑うなんて」
どう考えても励ましのエールを送っている顔じゃありません。
「いくぞ、ヒカル! BOXERシュートだ!」
「
ヒカルがフリスビーとしてリングの上に放たれ、円を描いた後、軌跡がその中に文字を描きます。
Brain Organism eXpansion Electronic-control Robotics
それぞれ大文字で表示されているアルファベットが移動して、BOXERと大きく連結表示されました。
円陣から光が放たれ、メキメキとリングを壊しながら、両手にグローブを嵌めた銀色に黒の差し色のロボットがせり上がってきました。
「まだこのネタ、使うのね」
もぐもぐとお菓子をもぐもぐしながら。
「ちなみにバレってメキシコ語で了解って意味よ」
……それを言うならスペイン語では?
ジムの事務室の扉が思いっきり力任せに閉められました。ついでにひびが入りました。
そんな中、バキバキとジムの天井を突き破りながら、BOXERがその全貌を現しました。
ああ、また大家さんに怒られる……。
「とうっ!」
ヒカルにスケボー乗りして、地平線の彼方のBOXERに向かっていきます。
この狭いジムに地平線もへったくれもないと思うのですが、映像的な表現の一つとして受け止めてください。
BOXERの頭部から光が放たれ、二人はそこに吸い込まれていきます。
眼光から鋭い光が放たれ、ガッシーンとポーズを決めました。
「自分も行きます!」
窓ガラスをタックルでぶち破って、ジムの道路を挟んだ向かい側の広場に降り立ちます。
「BOXERマッスル!」
マッスルポーズを決めると、空から雷が彼の身体に降り注ぎます。
そして、彼が両こぶしを地面に打ち付けると電撃が文字となって、地面を駆け巡ります。
Brain Organism eXpansion Electronic-control Robotics
小文字のアルファベットが焼き消えて、大文字のBOXERと残った文字から閃光が放たれ、彼の身体を包みます。
するとどうでしょう。
彼の身体がみるみる巨大化し、そこからかつて見た黄色のロボット。
体型からは筋肉の隆起が見て取れるボディ。そして腰の部分には黒いビキニパンツのBOXERシリーズ5号機が現れました。
「いくぞ、ハンマー・ミットだ!」
「はい!」
鎖でつながれた鉄球のようなミットを振り回し、二人?二機?はミット打ちを始めました。
ちなみにジムの向かいの広場は公共物です。
鉄球ミットが突き刺さって穴が開き、二機のロボットの足跡が縦横無尽につけられていきます。
ああ、市役所や管理事務所の人達になんて頭を下げればいいのだろうか。
「鉄球ミットだから騒音も凄いしねぇ。近隣住民からも苦情待ったなしだわ」
バキバキとジムの事務室の扉をこじ開けながら、チョコアイスを口にくわえて登場です。
もはや、何もいう事はありません。
「冷凍庫のアイス、今度また買ってきておいてね。これでラスト一本だから」
繰り返しになりますが、私はこのジムの会長です。経営者です。
「まあいいじゃない。どうせ次回には元通りになっているんだから」
「いいわけあるか!」
私は抗議します。猛然と抗議します。
「世の中、クソ真面目に生きたっていいことないんだからさ。エンヤコラソイヤドット楽しく生きれればいいじゃない」
フッと笑いながら、口にする言葉じゃないだろ。
「なんでそんなすさんだ口ぶりなんだ」
「おじさんは生きてて楽しいの?」
ちょっと待て。
「あなたは今、幸せですか?」
どごーん、ばきーん。と鉄球ミット打ちの轟音が響きます。
ついでに季節柄、こわれかけのジムに吹きすさぶ風が冷たいです。
「彼らはいいわよね。すっごく楽しそう。青春を熱く燃やす、二人のオ・ト・コ」
妙になまめかしい言い方をするな。
「なんだなんだ。何かイヤなことでもあったのか」
ここは人生相談に打って出ましょう。彼女にもやはり悩みはあるのでしょう。
「私、いつまでこんなジムでマネージャーなんてやってるのかしら」
……ちょっと直球すぎませんかね。
「選手も会員もトレーナーもみんな自分のことばかり。会長のことなんてほったらかし」
おい、やめろ。
「がんばってー。応援してますー。みんな口ばかり。勝てる選手は応援しても、頑張ってても負ける選手には無関心」
私はノーコメントです。
「ちょっと勝っただけで天狗になって、身の程知らずなことやって。注意されたら鼻曲げて」
聞こえない。私には、何も聞こえない。
「選手の仕事~、それは勝つこと~。勝てばすべては許される~」
食べ終わったアイスの棒をマイクに歌いだしました。
「会長は~、ジムの経営~、試合を組んで~」
選手の試合、組むのってほんと大変なんですよ。
「せっかく組んだ試合も~、自分の都合でキャンセルだ~」
私は耳をふさぎます。
「お客さん、せっかく買ったチケットが~、無駄になったとお怒りに~」
試合とは興行。チケットを買ってくれるお客さんありきです。
「あ~あ~、頭を下げるのは~、ジムの会長、興行スタッフだ~」
イヤな思い出ばかりが脳裏によぎります。
「相手の選手も~、何か月も前からがんばって~、なのに面目まるつぶれ~」
心情のこもった歌い上げ。
「スポンサー~、何のために金出した~」
半壊のジムに吹く、世間の冷たい風。
「カネよ、カネ~。ああカネよ、カネ~。カネ、カネ、カネ~」
良い笑顔です。
「ああ~、悲しみの~ボクシング慕情~」
満足げに歌い切り、ご清聴ありがとうございました。と言わんばかりに、頭を深々と下げました。
私はパチ、パチ、パチ、と途切れがちに拍手をします。
「で、どうすんの」
いや、どうすると言われてもですね。
「おじさんも経営者であるならば、目の前の現実を直視すべきでしょ」
ビッとジムの中を指さします。
「壊れたリング、破れた天井! 吹きすさぶ世間の冷たい風! 一向に増えない会員生!」
最後はともかく壊れたリングと天井はお前らの仕業だろうに。
「一向に増えない会員生!」
図星を突かれるとつらい。
「一向に増えない会員生!」
「そんな何回も言われんでもわかっとるわ!」
私は反撃します。さすがに言われっぱなしはかないません。
「会長の仕事ってなんなの。おじさん」
まるで刑事の詰問です。ワタシ、会長、キミ、マネージャー。
「聞こえてないと思ってる?」
おお、ニッコリ笑顔で
向けているのはさっきまで食べていたアイスの棒ですが、どう考えても木の棒とは思えない金属のような輝きを放っていました。
ひゅうっとその棒をジムの壁に投げました。
轟音と共にジムの壁を貫いて、大きな穴を開けました。
「答えなさい」
「か、会長の仕事とは……ジムの経営を行うことです」
「オーケー。ジムの経営とは?」
「たくさんの会員の方に入会していただき、月の会費を払っていただくことです」
背中に回した手の指の間から、またもアイスの棒が出てきました。
しかも今度は四本に増えました。
「それだけ?」
「も、もちろん。強い選手を作り上げ、このボクシング業界のために粉骨砕身、この身を尽くす所存でございます」
お代官様にひれ伏すような心持ちで、私はご説明する次第でございます。
さらにもう片方の手からも、アイスの棒が飛び出してきました。
「その為には何が必要? 会長が会長による会長の為の会長たる為に」
振り上げた拳には、四本のアイスの棒の刃のきらめき。
「そっ、それはもうマネージャー様とトレーナー様のご助力があってのことでございます!」
私は深く深く、頭を下げます。
世の中は理不尽なことばかり。
「まあいいでしょう」
拳から突き出たアイスの棒はシュッと拳の中に仕舞われます。
ネコの爪か、お前の拳は。
「ほんと大変よね。ジム経営って。みんなから好き勝手言われて」
なんか懐かしいぞ、そのセリフ。
「まあ次回、最終回だからね。この辺で伏線を回収しておかないと」
え、それ伏線だったの?
「モロチンよ。最初から一年間、やると決めていたのだから、抜かりはないわ」
絶対嘘だ。絶対今決めて、適当に伏線に仕立て上げたとしか思えない。
「この回を今、ここまで書いてる時点で、まだサブタイトルも決まってないし。何がいいと思う?」
怒りと悲しみ? 慕情と叙情? せっかくだから情緒あふれるものにしたいわね。と思案にふけこみ始めました。
011 これまでとこれからと私
みなさん、この一年いろいろありましたね。
我々の一年はここまで書いてきた通りでしたが、みなさんの一年はいかがでしたか?
思えばこの一年、自己紹介に始まり、コーヒーをたしなみつつよくわからない探偵ごっこ。
トレーニングをしているかと思いきやリングをプールにしてシンクロごっこ。
なぜか社会人時代のスーツでミット打ちして、ボクサーの職業についての話。
……ん、ちょっと服装はどうかと思うが、真面目な話もあるじゃないか。
続いては……なんだったか。
「なぜかマスクをしないと外出できない世の中になって、秘密裏に決戦兵器として開発していた電子制御脳波生体機、Brain Organism eXpansion Electronic-control Robotics。BOXERでそこの広場で大決戦したでしょ」
「あれもおかしかったよな。だいたいマスクをしないと外出できないとか。お前ら、どんだけ花粉症なんだよって」
「そうよねー。そんな世の中が訪れるなんてありえないわよねー」
全くだ。そんな世の中が訪れたなら、この俺の髪の毛を全て植毛したってかまわない。ま、ありえないけどな!
「その次はよくわからん夢を見て、その次は……えーと、あれ? 何をしたんだっけ。ビーチでバカンスをしてたのは覚えているんだが、その先が何も思い出せんな。どうだったっけな」
「ま、いいじゃない、次、次。もういい文字数まで稼げたんだから、とっとと振り返ってお開きしましょ」
それもそうだな。
「確か次はプロテストの話をしたっけな」
「合格したらすぐやめたけどね」
「そこはしょうがないだろ。最初から受けさせるという約束だったんだから」
「だからって、受かりました。やめまーすじゃ、ジムの経営あがったりじゃない、経営者さん?」
頼む、そこは言わないでくれ。
「次はヒカルくん誕生編ね。ついに誕生したわがジムのマスコット!」
「ヒカルが来て、このジムもにぎやかになったよ」
ありがとうな、ヒカル。
「んで、今回の一向に増えない会員生と。大変よね、ジムの会長さんは」
頼む、しみじみと語らないでくれ。
「スポーツジムがこれだけ乱立してたら、そりゃ増えないわよね。人口は減る、競争相手は増える、ですもん」
「なんでそう、お前はイヤな現実を突き付けてくるんだ」
「私、このジムのマネージャー、管理するのが仕事なんですけどお」
何も言い返せません。
「One for all, All for one」
なんやて?
「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」
「つまり、どういうことだ」
「一人は皆のため、皆は一人のため」
「いい言葉じゃないか」
「おじさんに今、もっとも欠けているものじゃなくて?」
「俺は自分勝手な人間じゃないぞ」
そこは抗議するぞ、さすがに。
「ええ、そうね。でも、まだ足りない。おじさんはこのジムをもっと盛り上げなくちゃいけない。会員だけでなく、選手だけでもなく」
「……何のために?」
「この宇宙全体の平和のためよ」
「広すぎるだろ!」
「では次回、最終回をお楽しみに~」
どこかに向かって手を振り始めました。
まあ、次回がラストだと思えば、私も自然と笑顔になります。
では皆さん、次回、最終回でお会いしましょう。
続く
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