009 出会いと別れと私

その若者はぺこりとお辞儀をして頭を下げて、ジムを去っていきました。


「元気でな」


階段を降り、ビルの外から街中へと消えていく背中に向かって、私は声を掛けました。


「よかったですね。プロテストには合格できて」


いつの間にか私のすぐ後ろで若者を見送っていたようです。


「そうだな」


私は微笑んで答えました。

若者の旅立ち。

私もかつて同じようにお世話になった人達に見送られ、はるばるこの大都会へとやってきました。

元気でな。という言葉はその時にかけられたもの。

はるかな時をこえ、その言葉は今、私の背中から彼の背中に受け継がれていったのです。

そして、遠い未来でもまた彼は同じように旅立つ背中に向かって同じ言葉をかけるに違いありません。

人から人へ。

過去から未来へ。

こうして人の思いは受け継がれていくのでしょう。

私は空を見上げます。

どこまでも広がる青い空。

このジムからはこれまでも何人もの若者が旅立っていきました。

彼らもきっと同じようにこの青い空を見ているのでしょう。

心地よい風が駆け抜けていきます。


「いちまい……。にーまい……」


そんな風に乗って聞こえる、うすら寒い声。

振り向くとそこには額に三角巾をつけ、おなかに腹巻を巻いた白装束姿の彼女がゆらめくように立っていました。



009 出会いと別れと私



「さんまぁーい……。よんまぁーい……」


声の主はグスグスと鼻をすすりながら、手に持った棒状の紙切れを風に乗せていきます。

紙切れは風に乗り、いずこかへと飛んでいきます。

……これは関わらない方がよさそうです。

お互い目くばせをして、どうするのか確認します。


「また振られたんですか?」


あっ。と思った瞬間、首から上はすでにそこには存在していませんでした。

首から下しかないソレは、かつて首から上があった場所を左手で指をさして、肩を傾けます。

さしずめ、ぼくの首から上はどこ?といった感じでしょうか。

そもそも首から上が吹っ飛んで血が吹き上がらないのもそうですが、平気で動いているのはいかがなものなのでしょうか。

そんな彼はジムの中に入り、入口に設置してある月の予定を書き込むホワイトボードに赤いペンで文字を書き始めました。


タ ス ケ テ


「いや、助かってないから! 普通の人間なら思いっきり死んでるから!」


私は思わず叫んでしまいます。

そんな私の叫びに彼はハテナの仕草で問いかけてきます。

お前、全然助けを求めてないだろ、それ!

そして、何かを思いついたのか、ポンと手の平を叩いて、ジムの事務室に入っていきました。

彼はいったいジムの事務室に入って何をするというのでしょうか。

そして、出てきました。


「いやぁ~、たまげましたよ。いきなりふっとばすんですもん」


新しい顔をつけてきたようです。


「どうです、僕のニュー・フェイス!」


グッと親指を立てて、すごくいい笑顔です。

ジムの事務室のどこに新しい顔があったのかは知りませんが、きっと考えてはいけないのでしょう。


「いいわね。男はすぐに新しい顔に取り換えられて」


いや、男だろうが女だろうが顔は一生に一つしかないと思うぞ。


「さよなら、僕のオールド・フェイス。そして、こんにちわ、僕のニュー・フェイス!」


たぶん空の彼方に吹き飛んだ顔に向かって言っているのでしょう。


「ちなみに吹き飛んだのは表の顔。さて今つけているのは何の顔でしょう?」


「はいはい、アサガオアサガオ」


私は適当に答えます。彼はさすが会長!とよくわからない独り言を口にしています。

語り掛けていますが、相手に聞く気がないならそれは独り言なのです。

オープニングの別れのシーンは珍しくいい感じだったのに、どうしてこうなってしまうのでしょうか。


「ごまぁーい……。ろくまぁーい……」


そして、こっちはこっちで何があったのか。

ご丁寧に幽霊メイクをして紙切れを風に乗せています。


「ななまぁーい……。はちまぁーい……」


お岩さんか、お前は。

とはいえ、私もいままでこの小説の主人公を務めてきた男。

もはやこの程度の茶番では動じません。


「きゅうまーい……」


これまでの九話の積み重ねからくる大人の余裕。

どっしり構えて、どう話を広げていくのかじっくりお手並み拝見といきましょう。


「…………」


彼女と私の視線が交差する中、ジムの事務室ではチンチン、チンチンとレンジの音がしています。

また何か余計なことをしているのか、あいつは。


「はーい、みなさーん。新しい顔よー。出来立てホヤホヤよー」


いつの間にやら割烹着に身を包んでいる彼は、ジムの事務室から何やら新しい自分の顔をカーゴトレイに乗せて持ってきました。


「左から、この笑顔があんこ、泣き顔がジャム、怒り顔が麻婆豆腐、悩み顔がじゃがバター、キメ顔がにんにく味噌野菜」


いちいち表情までつけてご丁寧な。

というかお前は顔はなんなんだ。パンなのか。いや、パンにしては後半はおかしいだろ。


「……じゅう


彼女は白装束の下に着ていた腹巻の中から拳銃を取り出し、次々とできたての彼の顔を打ち抜いていきました。

並べられていた彼の顔が砕け散り、中身がジムの床、壁、天井に散乱していきます。


「ああっ、僕の大切な顔になんてことをするんですかー!」


「大丈夫よ。どうせおじさんが掃除するのだから問題ないわ」


あわてふためく男と目の前の状況に満足げな女。


「お前らは俺をなんだと思っているんだ」


私は心の底から二人に問いかけます。


「僕の敬愛するボクシングジムの会長です」


「とても大切な私のボクシングジムの会長よ」


絶対嘘だ。


「まあいいじゃないですか。悩んだって何も始まりませんよ」


「おじさんも大変ね」


私の悩みの大半はこの二人が占めていると思うんですが、皆さんはいかが思われますか。

私は諦めの境地のまま、掃除用具のロッカーからホウキとチリトリを出して、飛び散った彼の顔の残骸をちりとっていきます。

色とりどりの顔の中身が私の嗅覚を刺激してきます。

ああ、もうこの小説は私にこんなことをやらせていったい何がやりたいんでしょうか。


「そら、ボクシングジムの会長のご苦労を描きたいわけですよ」


「もっとちゃんとした苦労を描いてくれよ、これぞボクシングジムの会長ってやつをさ!」


私は心から叫びました。


「ほう」


彼女は腹巻の中からキラリと光る黒縁眼鏡を取り出し、スッと装着しました。


「よろしいのかしら?」


クイッと眼鏡を上げた彼女の微笑み。

三角頭巾に腹巻をした白装束、そして黒縁眼鏡。

腹巻にはいつでも取り出せるように拳銃が収められています。

ある意味、すごい迫力のある絵面です。


「この有無を言わさない感じは、まさにこの小説って感じですね」


ウムウムとうなづいていますが、戦犯はお前だろうに。


「だって、当たり前に描いたって面白くないでしょう。ボクシングジム会長の日常なんて」


うわ、言っちゃったよ、こいつ。


「ただでさえおじさん、ジムの外に出たがらないものねー」


「そ、それはほら、話の都合だってあるだろ? 俺だって気を使ってるんだよ、話づくりのためにさ」


「たぶん皆さんが読みたいものはジム同士の血で血を洗う仁義なき興行バトルなんですよ」


「妙な当て字をするんじゃない、おかしな誤解をされるだろ!」


「そうそう、有望な選手に勝ったら相手のジムの門下生が落とし前つけにきたりとかさ」


「試合前の相手の選手に差し入れと称して毒入りオレ「ストーップ!!」」


私はあわてて口をふさぎます。

もがもがともがっていますが、それ以上言わせるわけにはいけません。


「いいじゃない、別に。言わせてあげなさいよ」


「よくねえよ! マジでよくねえよ!」


私はよくないことを強調します。なぜならよくないことだからです。

暴れる彼を私はさらに力を込めて押さえつけます。

と、その拍子に彼の顔がボコっと彼の身体から抜けてしまいました。


「「「あ」」」


一瞬、時が止まります。

しかし、私はいち早く正気に戻ります。

これ以上、危険な発言をさせるわけにはいきません。

今回はここで一旦、ご退場願いましょう。


「そーれ、とってこーいっ!」


私は彼の顔を大空高く投げ飛ばします。

足からヒザ、腰、肩から手指の先までしっかりと全身の力を使って、彼の顔を空の彼方へと送り出しました。

首から下だけになった彼の身体は四つん這いになり、飼い主にフリスビーを取ってこいと言われた忠犬のごとくビルの外から町の中へと駆け出していきました。


「もう戻ってくるなよー」


私は心の底から笑顔で彼を送り出しました。


「せっかく初期のトンでもギャグ路線に立ち返ろうとしてたのに」


「トンでもすぎるわ! 今のお前だってどういうカッコだ、それは!」


「何のことかしら?」


振り返って彼女の姿を見ると、いつの間にかパーカーとジーンズ姿になっています。

ほんと、こいつら何でもアリだな。


「……で? 無いの、仁義なき興行バトル


「無いわ! 今の日本のボクシング界は協会とコミッションできちんと棲み分けができているんだよ。いくら大手のジムだってそんな好き勝手は通らない」


「ほんとにぃ?」


「ホントだって。今はどこのジムも選手とは契約を交わしているんだよ。確かに問題はあることは認めるが、その問題が是正できるように組織が構成されているんだよ」


「協会とコミッション?」


「そうだ。興行をするにあたってはコミッションの認定が必要なんだ。うちのプロも毎年、しっかりコミッションに届け出をしてるんだぞ。興行のプロモーターや俺たち会長のライセンス管理もコミッションなんだ。会報だってお前も見たことあるだろ」


「ああ、アレね。おじさんが読んでるの見たことないけど」


「俺は見なくてもだいたいわかってる。当然だろ」


私とてサラリーマンとして社会組織に属していたもの。普段から情報収集は怠りません。


「確かにあの会報、予算なんかの貸借対照表もあるし、そう言われてみると確かにそうね」


「そうだろそうだろ」


「別におじさんがすごいわけじゃないでしょ」


少しは目上の人間を敬ったらどうなのか。


「じゃあ冒頭のやめていった彼もプロテストはコミッションがやったってこと?」


「そういうことだ。意外にみんな、当たり前にやってるが、この業界、ちゃんと組織立ってやってるんだぞ。しっかり弁護士の人もいるし」


うまく話が繋がったことに私は笑みが隠せません。


「じゃあコミッションあれば協会なんていらないんじゃない?」


「そんなことはない。コミッションがあるから協会が必要なんだ」


「でもおじさん、いつも協会なんかいらんがぐぐっ」


まったくこの子は、何を言おうとしてるのでしょうかね。


「んーっっ、んんんーっっ!」


「いいか? 世の中はやっぱり話し合いができなきゃ動かない。政治だって議会があって初めて動く。コミッションだって話し相手が必要だろ? コミッションが食べていくためには俺たちジム経営者の集まりの協会が必要だし、俺たちが食べていくためにもコミッションというのは必要なんだよ。どちらが欠けてもダメなんだ」


全く最近の若いもんは落ち着きがなくていけません。

ここは年長者たるもの、しっかり言い聞かせなくてはいけません。


「んんー……っ」


彼女は理解できたのか。やや落ち着きを取り戻しつつあります。

私は彼女の口元から手を放します。

まずは相手の話を聞き、それから自分の話をする。

相手の意見を聞けて、初めて自分の意見を言える。

世の中、自分の意見ばかりいうようではいけないのです。


「ふー……」


彼女はゆっくりと呼吸をし、心を落ち着かせているようです。

そして、キッと私を射抜くような視線で見上げます。

私は大人の貫禄でしっかりと受け止めます。


「……ま、いいわ。ここは大人の顔を立ててあげましょうか」


そうだ、それでいい。おじさんは君を信じていたぞ。


「でも選手もトレーナーもそれを理解してる人って少なくない? 自分達が組織の一員だって。しっかり教え込んだ方がいいんじゃないの」


「それは言わないでくれよ。そんな難しい話が理解できると思うか?」


「ま、確かに大人の事情だものね。選手は自分が勝つことだけ考えてればいい。トレーナーは選手を勝たせることだけを考える」


「そう、その通り! 選手やトレーナーはそれでいい。でも会長は経営者だからな。試合の結果に一喜一憂はできない。選手のその後も考えないといけないしな」


「会長は大変だぁ」


「少しは俺の苦労がわかったか」


私は胸を張ります。


「興行だって大変なんだぞ。みんな自分の選手を勝たせるのに必死だからな。みんな勝てる相手と組ませたい」


「ほんとぉ?」


「なんでそこで疑問を持つ。勝って強い選手ができればジムに活気が生まれ、会員も集まり商売繁盛ウハウハだ!」


「結局、金なんだ」


「当然。興行だってお金がかかる。試合組むのもタダじゃない。キャンセルなんかしようものなら、相手のファイトマネーもこっち負担。遊びでやってるんじゃないからな」


ふっと大きな影が私たちを覆いました。


「かいちょーーーーーっっ!」


見上げると黄色のロボットが降ってきました。

ジムの手前に降り立ったそれは激しい衝撃とともに、ジムの窓、壁に亀裂を生じさせます。

窓に差し出されるロボットの手の上には、さっきまで首から下と上が分離していた男が立っていました。

そして、窓を割って入ってきました。


「ただいま帰ってまいりました!」


「帰ってまいりましたじゃねえよ! これどうすんだよ。修理にいくらかかると思ってるんだ」


「おあとがよろしいようで」


「よろしくねえよ!」


「自分の出番はこれで終わりですか?」


フンヌとマッスルポーズをとるロボット。


「ロボットじゃないわ。BOXERよ」


どっちでもいいっちゅーに。


「設定はちゃんと生かしていきましょうよ。せっかくあるんだから」


くそ、やっぱり真面目に話を展開する気ないんだな。


「世の中、おもしろおかしくが一番ですよ。ではまた次回ーっ」


皆さん、どうかもうしばらくお付き合いください。



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