第2話
激戦から一刻、五体満足の者は休む間もなく戦場で動き続けていた。敵が残した物資と遺品漁りは、士気の向上としてハイセルク帝国では認められている。
自分が斬り殺した相手の懐を漁るのはウォルムも気が引けたが、気後れすれば残る物は何もない。小隊長と呼ばれていた男の遺体からは収穫が大きい。
銀貨・銅貨の入った小袋、固焼きしたビスケット、目玉は脛から膝までを防護する膝当て。胴部はサイズが合わずウォルムには身に付けられなかった。
「失礼しますね」
効くかどうかも不明だが、ウォルムは死者に手を合わせる。死後も握り締めていたツーハンドソードを指を無理やり開きこじ開ける。
まるで死者の念が詰まっている様だが、従軍僧侶が居るので魔障による魔物化の心配が無いため、ウォルムはまだ気楽だった。
剣も悪くない品だったが、ウォルムは既にそれよりも質の良いロングソードを所有している。暫し思考の海に沈んだ末、声を張り上げた。
「誰か剣が欲しい奴は居ないか? 立派なやつだ。何かと交換したい」
偉大な物々交換の時間だ。これだけ遺棄物があればウォルムのニーズに合う者が一人や二人は居るはずであった。
小物であればウォルムも持ち歩いたろうが、ツーハンドソードは嵩張る。
《魔法袋》を持たないウォルムにとっては無用の長物だ。もう一度声を張り上げる前に一人の兵士が反応した。
「盾が随分とボロボロだな」
攻撃を受け続けたウォルムの盾は、酷く傷付き、一部は貫通している。次も使用すれば戦闘中に破損する恐れが強かった。それに引き換え、男の持つ盾は派手な装飾もなくシンプルで堅牢な作りだった。
「持たせてくれ」
「ああ、いいとも、俺も見たい」
一時的に物を交換したウォルムは材質や補強に目を向ける。持つと見た目よりも軽く、叩けば頼もしい音が返ってくる。
男もツーハンドソードを気に入っていた。ウォルムと兵士は顔を見合わせ頷いた。
お互い満足の行く交換となった。ウォルムは盾にスリングを通すと、背中に背負い物色を続ける。
「なんだ。まだ息があるぞ」
ウォルムの視界の端で戦利品を漁っていた分隊の仲間が、虫の息となったリベリトア兵を見つけた。
生きていれば纏めて奴隷送り、身代金を払える様な貴族や金持ちならば解放される。
「た、助け、てくれ」
腹部からは臓物と血が溢れ、肩口にも深い裂傷が刻まれている。回復魔法を使ったとしても血が流れすぎ、助かりそうも無い。
リベリトア兵の助命を乞うか細い声が、繰り返しウォルムの耳に届く。
「こりゃダメだな」
発見してしまった兵士は面倒臭そうに立ち上がると、腰のロングソードを引き抜き、地に伏せているリベリトア兵の喉元へ突き立てた。
ウォルムは止める事も出来たが、止めなかった。
リベリトア兵の腹腔からは臓腑が溢れ漏れ、延命したところで、苦しみが続く上に、資源の浪費となるからだ。理性では理解できたもののウォルムは不快感に無意識に眉を歪めて、成り行きを見届ける。
「あ、っう゛ぅ」
雑な奴だとウォルムは内心舌打ちを打つ。急所から外れ、即死出来なかった兵士は、口から血反吐を吐き出し呻くと、自身に刺さる剣を確かめる様に握り締めた。
「下手くそ、退いてろ」
声の主はウォルムが所属する分隊の長だった。息苦しむ敵兵を見兼ねたのであろう。友兵を手で退かすと、肩に担いでいた戦鎚を持ち上げ振り下ろした。
頭蓋骨の割れる、鈍い音が響く。今度こそ兵士は息絶えた。ウォルムは遺体から視線を外す。分隊長は死体を一瞥すると、横に控えていた兵士に吐き捨てた。
「ティバード、俺が死にそうな時に、お前にトドメは頼まんぞ」
顔を歪ませた髭面の男は鼻を鳴らした。ウォルムの上官であるデュエイ分隊長だ。全身の戦傷が戦歴の長さを物語る。
背は平均的でウォルムよりも少し小さい程度であったが、丸太の様な腕と分厚い胸板は頼もしく、何よりスキル《強撃》を持つ。
かつての世界と異なり、この世界の人間の個体差は激しい。魔法持ちも希少だが、スキル持ちもまた希少で強力な存在であった。
男の腕をへし折る女、動物よりも俊敏な斥候、斬撃を素手で弾く武僧まで存在する。デュエイ分隊長もそんな一人だ。彼の戦鎚は敵を防具ごと叩き潰す。敵では会いたくない人種と言うのがウォルムの率直な感想だった。
騒動が収まり、事切れた死体をウォルムは一瞥する。そんな文化は無い。信仰を持っていたかも不明だが、ウォルムは静かに手を合わせる。
罪悪感を薄れさせる偽善的な行為だ。理性が批判的な意見をチラつかせるがウォルムは無視をした。
「なんだ、ウォルム、またやってるのか」
「癖みたいなものなんです」
「ふーん、そうか、まあ、悪い感じはしないな」
ウォルムの返答に、デュエイ分隊長は短く返事を返す。興味を失ったのか、髭面の上官は話を切り上げた。死体から目ぼしい物は無くなった頃、分隊に集合が掛かる。
「俺の分隊は一帯の死体の処理を命じられた。幸い、今回は捕虜が多い。好きに使っていいそうだ。ちゃんと見張れよ」
集合した分隊の横には座り込んだ捕虜達が集められていた。ウォルムは端から端まで視線を走らせる。数で言えば20人弱といったところであった。
致命傷を負った者はいない。頭部や腕部に打撲や裂傷が目立つ者もいるが、作業には支障はないとウォルムは判断する。
4人の捕虜の監視を命じられ、ウォルムは彼らの状態を確認する。脱走などもってのほかだが、作業中に死傷させてしまっては、人的資産の無駄な消費に他ならない。
見たところは大きな怪我はない。顔を腫らしているか、大きなコブがある程度である。要領良く降伏したのだとウォルムは推察した。
彼ら4人の首はお互いに縄で結ばれ、脅威になるような物も身に着けては居ない。《スキル》や《魔法》持ちの場合は、危険ではあるが、素手で打開ができる技量を持っているならば、捕虜に取られてはいないだろう。厄介な能力持ちは、逃げ切るか殺されるかの二択だ。
捕虜に、死体に残された防具や衣服を剥ぎ取りさせる。血に誘われた虫や鳥が喜々として群がってくる。ウォルムはうんざりしながらも槍や手で追い払う。
その度に捕虜は驚きに肩を震わせ、作業を続ける。戦闘により心身が磨耗したに違いないとウォルムは哀れんだ。
別の分隊が捕虜を使い掘った墓穴に次々と死体が放り込まれていく。何人目かも分からない遺体を運び上げる際に、ウォルムの目は釘付けになった。
「……死んだのか」
そこにあったのは、同じ分隊に所属し、隣村から来た青年
歯ごと下顎を砕かれ、舌が口から飛び出ていた。苦悶に満ちた表情で両眼は開かれている。彼はこれが初戦であった。
戦闘処女を乗り越えられぬまま、遠い大地で骸を晒す事となったのだ。自身との差はなんだ。前世の記憶持ちか、運の無さか、殺し合いの適性の差か、ウォルムは考え込むが答えは得られない。
どのくらい無言で見下ろしていたか、痺れを切らした捕虜が体を僅かに動かしたのを、ウォルムの両眼は素早く捉えた。言葉も交わさず、無表情で彼らを見つめる。
「お、俺はやってない」
「俺もだ。怖くて槍なんか刺せなかった」
まるで弁明する様に捕虜達が口を開く。ウォルムは彼らの行動に驚かされた。まるで私怨で彼らは殺されると言わんばかりの怯えようだ。
あり得ない。思うところは何もないと言えば嘘になるが、これは戦争なのだ。そう戦争なのだ。所属する共同体が選んだ意思に従い彼らは働いただけだ。
彼らが好き好んで殺人を犯した訳ではない。戦争で敵を倒しただけなのだ。それはウォルム自身にも当てはまる。
そこに私情を持ち込み、捕虜である彼らを殺せば、兵士ではなく、ただの殺人者にジョブチェンジしてしまう。兵士としての仕事、責務に従うのみ。
その一線だけは譲れない。殺していいのは兵士としての時だけだ。そうでなければ高倉頼蔵として、ウォルムとして、人としての根本が崩れる。
自己保身の為に僅かな躊躇で人を殺める自身は異常者なのか、人を殺せなかったと主張する彼らの方が、よほど文化的で人間らしいかもしれない。そんな考えが頭を過ったウォルムは、思考の海から帰還を果たす。
かつて戦友だったモノの目蓋を指で閉じ、舌を口腔に押し込む。
「運べ」
三文字で意図を察した四人はそれまでと同様に運び始めたが、他の遺体よりも丁重に扱っていた。まるで揮発性や爆発性の危険物を取り扱うようであった。
集められた死体は、敵味方区別なく折り重なる様に積み上げられていく。
従軍僧侶が聖水を振り撒き、戦地跡に出没し易いグールやスケルトンの類の魔物が発生することを防ぐ目的で、祈りの言葉を紡ぎ続けている。
死体だけで1500体を超えていた。今晩を越えられない重傷者も出てくるだろうと考えるとウォルムは憂鬱になる。
ハイセルク帝国の死者は300人程度だそうだから、リベリトア商業連邦の被害の大きさが窺えた。
死体の処理を終え、日が沈み掛け、炊事の煙が一斉に上がり始める。
個人の携帯食もあるが、あくまで緊急時だ。配給が続く限りはウォルムは手を付けたくはなかった。それに今日は戦利品が多い。
分隊単位で炊事は行われ、デュエイ分隊は2名の死者を出しながらも、優秀な戦果を収めたとして、食料品に加えてワインとエールが支給された。
無から酒は生まれない。恐らくは敵本陣に大量に残された物資の一部だとウォルムは睨んだ。
リベリトア商業連邦は弱兵が多いが、経済力に優れている。国土は海に面し、鉱山や迷宮を抱え、物流の要となる河川も巨大湖から国土を横断する形で流れている。実に不公平な相手だ、とウォルムは辟易した。
余計な雑念から目を背け、目の前の食事にウォルムは意識を向ける。
今日は固焼きしたパン二つ、塩漬けのニシンとタラ、ザワークラウトまで付いていた。
極め付けは、鮮度の良い馬の死体や足の折れた軍馬を木で吊るしながら血抜きした汚染されていない馬肉だ。筋肉質だが最前線で得られるタンパク質の中では最上級であり、ウォルムを含めて嫌がる兵など存在しない。
大鍋には馬肉とジャガイモが煮込まれ、何処から採取してきたのか野草まで含まれていた。
馬肉からは旨味が溢れ、噛んだ際も固い肉質が歯応えとなっている。ジャガイモも煮崩れを起こさず、食べ応えがある。
ウォルムは一心不乱に食事を口に放り込んで行く。
兵士の何人かは、慣れない死臭と戦闘により、口を押さえ、食事が進まない。初戦では仕方ないだろう。ウォルムのかつての苦々しい記憶が頭を駆ける。
ウォルムも通った道だった。死臭が漂う中で肉を食べるのは嫌悪感を感じていたが、戦歴を重ねるほど、感覚が鈍くなるのを自覚していた。
人として幸せな事かは分からないが、今は目の前の食事に集中できれば、ウォルムはそれで良かった。
「ウォルム。聞いたぞ。敵兵を9人倒したそうだな。俺は15人仕留めたから俺の勝ちだが、見込みがあるぞ」
ウォルムは酒臭さの正体を振り返ることなく理解した。酒瓶を二つ抱えたデュエイ分隊長がウォルムの首に腕を回したのだ。
「いや、デュエイ分隊長には勝てませんよ」
本心であった。ウォルムは不本意ながらも戦や殺しの才があるのを仲間に認められつつあるが、デュエイ分隊長は別格であった。
「さぁ、飲め」
気分良さそうに壮年の上官がカップにワインをなみなみと注ぎ込んだ。
苦笑したウォルムがカップを上げると、デュエイ分隊長は半分残ったボトルをカップにぶつけて一気に飲み干した。
凄まじい飲みっぷりにウォルムは感心するが、他の分隊員の分が無くならないか心配となる。酒の総量を確認すべく周囲に目を向けると、他の分隊員も酒を抱えていた。
「ウォルム、不思議そうな顔をしてるな」
右に座っていたホゼがビール樽を抱えて微笑んでいる。肌が色黒の為、目を凝らさなければ暗闇に紛れ顔が見辛い。
ホゼはウォルムが入隊した時からペアを組んでいる兵士だ。情報通で物資の確保の手際も良く頼りになる存在だった。
髪は巻癖のある癖毛だ。陽気な見た目とは裏腹に、なかなか辛辣な一面も持つ。
「よくそれだけ酒があったな、と思って」
「敵の指揮官の一人を捕虜にした時に“魔法袋”も鹵獲したらしい。その中には戦勝用の酒がたんまり入ってたんだとさ」
魔法袋はこの世界での流通の主役であり、兵站を支える要だ。腰袋程度の大きさで大型の背嚢から倉庫クラスの物資が収まる物もある。ウォルムも是非ともお目にかかりたい品であったが、如何せん、入手難易度が高過ぎる。
主な入手ルートは二つ、迷宮や遺跡から産出される遺物である魔法袋。そして世界樹を有するアレイナード森林同盟から少数作り出される魔法袋だ。
アレイナードが生産方法を秘匿している為、軍の他には貴族や大商人くらいしか所有していない。遺跡や迷宮から出土する天然ものの方が、容量が多いと言われている。
ホゼ曰く、例外を挙げれば迷宮や遺跡で獲得する機会の多い冒険者くらいだそうだ。
「そんな訳で、俺たちが美味しく祝杯を上げている訳だな。リベリトアの成金共には感謝だよ」
先程飲み干したワインの代わりに今度はビールが注がれる。氷も冷蔵庫も無いため、常温のビールであったが特有の甘みと酸味、最後に来る苦味は悪くないとウォルムは飲み進める。
合間にニシンの塩漬けを口にする。塩漬けの為、かなり塩気が利いているが、戦闘により流れ出た汗で塩辛くは感じない。
ビールと合わせて食べれば、寧ろ丁度良いと言えた。人を殺め、遺体が眠る側で戦友と祝杯を上げる。
価値観も法則までも異なる世界に、戸惑い苦悩しながらも順応していくのが分かった。それでもウォルムが生きていくにはそれしかなかった。
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