第36話

 拭えぬ違和感は確信へと変わる。《鬼火》は監視塔こそ吹き飛ばしたが城内への延焼は鈍かった。接続する集落を気遣い無意識に手を緩めてしまったせいではない。限りある資材でやりくりした防壁や兵舎は、焼き固めた粘土により耐火処理が施されている。加えて引火し易い資機材が極端に少なかった。一朝一夕で実現できるものではない。日常的に兵へと防火意識を植え付け、延焼を起こす要素を取り除き隔離したのだろう。


「ラトゥ様よりの命令だ。民兵は消火に専念しろ」


「村人を裏手から山に逃がせ!!」


「常備は襲撃者に専念だ!! 数は多くないぞ!!」


 雑兵の一人一人に関しても動きは悪くない。寧ろ、《鬼火》による先手を取られたというのに立て直しつつある。眼下に倒れる槍兵に至っては、三度穂先を交えた上で、致命の攻撃を避けられる寸前であった。直槍同士であればまだ勝負は付いていなかった。ウォルムは抱える危惧を口にする。


「あの民兵に謀られたか」


 捕虜にした民兵曰く砦の指揮官は愚鈍な老将ラトゥ。かつての世界風に言い換えれば出世コースから外れた窓際族であった。エスキシュ砦は戦略上の要所ではなく無名の将の指揮下にある。元近衛であるジュスタンの情報も裏付けとなった。だが、蓋を開けたらどうだ。あの民兵は大した役者だった。


「あれが無名だってのか」


 愚鈍と呼ばれる将は熱風が渦巻く《鬼火》の中へと飛び込みはしない。極め付けは火球を捩じ伏せた《強撃》だ。蒼炎を振り払い地面をも砕く破壊力、火球だけでは殺し切れない。攻め手を練るウォルムであったが、老将の不審な動きに身構えた。金砕棒を突き出す構え、魔法やスキルによる攻撃への警戒に移る。


「聞けぇ、帝国の騎士よ。我が名はラトゥ。この砦を預る守将なり、いざ尋常に刃を交えん!!」


「……はぁ?」


 耳を疑う。あいつは何と言った。眼前の老人は指揮系統の頂点でありエスキシュ砦の守将だ。それも今は殺し合いの最中なのだ。どうして丁寧に自己紹介などできる。探り合いを兼ねた名刺交換の場ではないんだぞ。兵士として、個人としてのウォルムも混乱気味であった。例外と言えば顔面に張り付く鬼の面ぐらいなもの。時代錯誤の名乗りに対しお前も対抗しろとばかりに震える。振り払うように奥歯をかち鳴らした。


「集中しろ、振り回されるな。門二つ開けるには、混乱が足りない」


 隊と言うには矮小だが、ジュスタン率いる斬り込み隊が城門の奪取に励んでいるのだ。英雄譚のような古風な戦いなど今の北部諸国には存在しない。それらは遥か昔、良識と余裕がある時代のものだ。返答を避けたウォルムは斧槍を構えた。無言もまた答えと受け取ったのか、守将ラトゥは傍に控える兵に告げる。


「儂の相手だ。お前たちは城門を守れ」


「しかし、相手は《鬼火》使い。幾らラトゥ様と言えど」


 無茶苦茶な言動に反して周りが良く見えている。ウォルムはかく乱と陽動役であることを見抜いていた。ラトゥは真っ直ぐ帝国騎士を見据えて兵の言葉に取り合わない。


「ロドリーグ、無駄だ。門の敵を討ち払った後に助勢すればよい」


 面倒な守将から子飼いの二人が離れた。熱風を伴い間合いを詰めれば背後から討ち果たせるか。門への増援を絶とうとしたウォルムだが地面が弾ける音に視線を正した。


「余所見とは、随分と誘ってくれるわ!!」


「飛び込んでくるかっ」


 白髪を靡かせ老将が一挙に踏み込む。まるで城壁が迫るような圧迫感。戦場での力自慢は上半身ばかり鍛えて脚部を疎かにする。だが、迫る巨体に似合わぬ加速は鍛え抜かれた下半身によるものであった。


「儂を見ろォおおおおおっッオ」


 長大な腕とウォルムの頭身にも達する金砕棒は、斧槍と同等の間合いを有する。下手な突き返しは弾き砕かれかねない。横薙ぎを見極め前傾姿勢だった上体を逸らし、後方への摺り足と併用する。直後、胸部の寸前を金棒の先端が通過する。


 飛び出た無数の鋲が空気を攪拌し、暴力的な音を奏でた。宛ら敵を威圧する楽器のよう。通り過ぎていく棍頭は踏み込みの合図であった。悠長な時間はない。一撃で首を落とす。短期決戦を志したウォルムであったが、穂先が喉元に到達する前に、引き戻された柄が身体の正中線を覆い隠す。


「防ぐか」


 魔力を帯びた鋼鉄同士が互いを拒む。金棒の表面に斧頭を添わせ、膝へと側刃を振り落とす。関節部と靱帯を抉り取る一撃であったが、巨体が文字通り後ろへと飛んだ。重力を感じさせぬ挙動であったが、着地を見逃すほどウォルムは甘くなかった。引きに合わせて振られた金棒を避け刺突をする。分厚い魔力膜、それも胸当て越しで肉こそ取れなかったが衝撃までは減退できない。


「ぬぅ、ぐぅう゛っ」


 苦痛に声を漏らす老将目掛け、ウォルムは鬼火を膨らませた。視界を蒼が包む。ラトゥは《強撃》で蒼炎を振り払ったが晴れた先に帝国騎士は居なかった。


「そこ、かぁああっ」


 側面からの気配を察し金棒を突き入れようとするラトゥに対し、ウォルムは斧槍による最大の一撃で応えた。膂力差は角度と先手を以って潰す。一度目と同様に魔力が鬩ぎ合う。だが、今度は斧槍が金砕棒を押し切った。両肘が上がった胸元目掛けて斧頭を叩きつける。《強撃》が魔力膜を抉り胸当てに横一文字を刻む。


「浅い、かっ」


 傷口からは血が滲むが再展開された魔力膜が出血を抑え込む。構え直した斧槍を最上段から薪割りのように叩き落とす。天に掲げられた金砕棒と激突を果たす。体勢を立て直しつつあるラトゥと正面から付き合う気などウォルムにはなかった。


 インパクトの瞬間に柄を回転させ斧頭を真横にぶち当て、柄を滑らせる。指の数本でも頂く算段であったが、肘を起点に金砕棒が弾かれ鉄甲を引っ掻くだけに終わる。


「どうした、エスキシュ砦の守将。年相応に息切れか」


 上段で構え直された金砕棒を前に、ウォルムは斧槍の間合いを取り直す。挑発にも関わらず景気の良い掛け声は先ほどから鳴りを潜めている。勝てぬと臆し心が折れたかと期待したが間違いと悟った。


「……近いのに届かない。ふぅぅっ、考えろ。目隠しでの視界阻害、虚を掴まされた。ふぅ、っう、空間と角度。足りん。足りんなぁ」


 呆けたように譫言を呟くラトゥは不気味そのもの。煮詰まっていた頭が血が抜けて静まったか。節操なしの面が興奮で震える。


「大した浮気性だな」


 ウォルムは蒼炎を吐き出した。これ以上考える暇は与えない。一直線に伸びる蒼炎を避けたラトゥは下段の構えのまま帝国騎士へと直走る。身体に巻き付けるような独特な構えは、その大木のような身体を以って金砕棒を覆い隠す。一撃の出所を掴ませない反面、隙が多い構えだ。ハイリスクハイリターンな戦法としては悪くない。だがウォルムは力押しに付き合う気などない。熱風と蒼炎を以って削り《強撃》で仕留める。あと二歩、間合いを測るウォルムであったが、ラトゥの行動に眼を瞠った。


「振りやがったッ!?」


 金砕棒で打ち合うにはあと四歩は足りない。だと言うのに、ラトゥは全身全霊を以って振り上げた。風を切る轟音が変質して漸くウォルムは意図に気付く。大地を打ち砕く一撃を披露されたにも関わらずウォルムは失念していた。金砕棒は再び地面に突き刺さると多量の土を巻き込み、虚空へと押し出す。


「これが、狙いか」


 熱風と炎が幾らか勢いを減退させるが礫混ざりの土塊は止まらない。眼を潰される――悪寒に顔を伏せれば僅かに遅れて全身に礫がぶつかる。からからと土塊と礫で叩かれた鬼の面は、ウォルムの失敗を責め立てた。


「それどころじゃ――」


 視界の端に丸太のような足が映る。側面に回られた上に振りかぶっている。ウォルムは片足を軸に反転しながら、熱風に後押しされ《強撃》を放つ。衝突を果たした斧槍と金砕棒を覆う魔力が溶け合うように弾けた。残るは純粋な膂力差、その結果はウォルムの両肘が跳ね上がり、金砕棒もまた地面へと突き刺さる。


 幾ら筋力に優れようとも、振り被り無しでは金砕棒も無用の長物。指を滑らせ柄を短く持ちラトゥを狙う。そうして先手を得るはずのウォルムであったが、眼下から迫り上がる異物を捉えた。緩慢に動くしかないはずの金砕棒が視界に膨らむ。顎を引きながら半身になったウォルムの頬を鋲が掠める。


 何が生じたのか理解した。地面に埋まった棍頭を蹴り上げ足りぬ助走を都合したのだ。蒼炎を渦巻き、炎の波から一度、二度と牽制の刺突を繰り出す。小刻みに動く金砕棒が穂先を阻んだ。


「なんで、こんな奴がっ」


 ウォルムは改めてラトゥを睨む。短い呼吸音と吐息は疲労を示唆している。胸当に刻んだ傷も優位を示す印であった。それなのに相対する威圧感は薄れていない。上中下と不規則に突きを交え、引き際に側刃を当て四肢を削る。だが、有効打は寸前で防がれていた。


「はぁ、っ、突き、引き、削るッ」


 刺突に合わせ金砕棒が突き出された。質量差に押された穂先の軌道が逸れ柄を沿うように金砕棒が迫る。ウォルムは反射的に斧頭を鋲にぶつけ軸を狂わせる。鋲に押し出される斧頭に合わせて手首を入れ替え、石突きによる強打が老骨を襲う。渾身の一撃とはならなかった。自ら肩を突き出したラトゥは頭部への打撃を避けると同時に威力を減退させた。


「小技を覚えたな」


 賞賛と忌々しさが同時に込み上げてくる。刃を交えたばかりの頃は付け入る隙はあった。それが今はどうだ。一手を交えるたびに、傷を代償に戦技を覚え自らの糧としていた。それも付け焼き刃の類ではない。即座に実践できるだけの技量は、積み重ねられた基礎訓練の厚さか。


「戦いの中での成長など、青少年の特権だぞ」


 ウォルムは小さく呪詛を吐いた。墓場に半ば足を入れた老体が成すなど悪夢であった。今となっては一撃で首を獲るのも難しい。四肢の端と共に魔力膜を削り、衰弱させなければならない。金砕棒による鉄の暴風雨が《鬼火》を掻き乱し、斧槍が幹を削り取る。数十もの攻防を経た。あと何撃で大木は倒れるだろうか。鉄と火の嵐、そんな饗宴は外部からの掛け声により弱まりを見せた。


「ウォルム付き合うなァああ、こいつらは異常だ!!」


「近衛の首だぞッ」


「追えェっ!!」


 切羽詰まった声の主はジュスタンであった。ラトゥ子飼の兵に追い回され、追撃を鬼の形相でいなしていた。


「貴様ァああ、その鎧、王都を預かる近衛か!!」


 旧フェリウス王国近衛兵を前に、ラトゥは閉じして久しい大声を張り上げた。鬼の面と同じ浮気性な老人と逢引などウォルムも御免被る。


「道は開いたぞ。《鬼火》を止めろォ」


 魔力の供給を断ち、《鬼火》が急速に萎む。遠方から馬蹄が大地を削る音が近付く。ウォルムは忘れ物をしていたとばかりにくるりと踵を返し、城門へと向かう。点在する死体はジュスタン達の仕業であった。


「待て、行くな。逃がぁさんぞぉおおお!!」


 怒り狂ったのはラトゥを含む将兵であった。武器を掲げたまま猛追を始める。


「ウォルム!! 早く、ウォルム、早く助けろ!!」


 切羽詰まった声でジュスタンは救いを求める。ラトゥとの距離を離したウォルムと異なり、五人もの兵に追い立てられ、文字通り尻を突かれようとしている。狙いもそこそこの火球を撃ち込んだ。虚仮威しの炎であったが、《鬼火》を知る者に与える心理的影響は大きかった。防御姿勢を取ったヤルクク兵に対し、ジュスタンは爆風の後押しを受け走り抜ける。


「こっちだ!!」


 嫌がる馬の群れを操り、城内へと現れたのはダグラスであった。血みどろとなった斬り込み隊が競うように馬に乗り込み二つ目の城門を潜る。


「逃げるなぁ、逃げるなぁ、ぁああ゛ああ!?」


「しつこいジジイめっ」


 同伴の誘いを拒否するためにラトゥに火球を撃ち込めば、《強撃》で打ち伏せぶんぶんと金砕棒を振り回す。あの様子ではあと五十年は生きそうであった。焦りと乗馬の拙さでもたつくウォルムであったが、悪寒に手綱を離す。馬とウォルムの間に金砕棒が突き刺さり、驚いた馬はあらぬ方向へと暴走を始めた。


「やり、やがったな」


 腰に携えたロングソードを抜いたラトゥが嬉々として走り込んでくる。その後ろには多数の兵員が続いていた。消耗した身であんな集団の中に取り残されるなど悪夢であった。


「ウォルムさん、手を!!」


 狼狽するウォルムに手が差し伸ばされる。視線を上げればアヤネが腕を限界まで伸ばしていた。手を掴み馬首とアヤネの間に身体を潜り込ませる。人間二人を乗せた馬は嘶き文句を垂れる。それでも徒歩の集団を突き放すだけの馬力を発揮した。離れていくエスキシュ砦をウォルムは一瞥する。両膝を突いたラトゥは地面を繰り返し叩き涙していた。


「守将、早く手当てを!!」


「それ以上は本当に死んでしまいます」


「イっ、ぅぁ、っああアッ、己ぇ、《鬼火》使いめぇエエ!!」


 帝国騎士を呼ぶラトゥの慟哭は山を越えるまで続いた。



 ◆



 止まらぬ馬脚、一定間隔で大地を踏み締める馬蹄の音に混じってか細い声が響く。


「熱い、ですね」


 唐突なアヤネの言葉にウォルムは同意した。


「ああ、熱い、な」


 腰に回る小さな手は震えていた。何を思い口にしたのか。血と《鬼火》で火照った己の身体か、それとも炎上する砦と点在する人の篝火か。あの城内を通り抜けたのだ。ウォルムが残した所業を見なかったはずがない。兵員を焼かれた守将の怨嗟の声は今も耳に残る。切り出すに相応しい場などはない。だが、何時かは言わなくてはならなかった。


「……アヤネ、俺はマコトを殺してしまった。本当に、すまない」


 レフンで打ち明けられなかった秘密をウォルムは吐露した。散々、焼き殺してきたというのに、明かした事実で手と声が震え掛ける。早鐘のようにうち鳴る心臓を呼吸を狭め隠匿に徹する。長い沈黙の後にアヤネは口を開いた。


「ウォルムさんは、悪くありませんよ。私から聞く、べきだったのに、怖くて聞け、なかったんです」


 乱れる口調と共にウォルムのうなじに雫が落ちた。振り返ることもできずに会話の続きを待つ。


「自分に必死で、周りを、友達をちゃんと見ていなかったんです。運び込まれる人を救えばいいって……私は、クレイストに戻るべきだったのかもしれません。セルタに止まれば、戦争の抑止になると思い上がっていたんです。持て囃されても、所詮はちっぽけな人間なのに。もう、どうすればいいのか。何が正しいんでしょうね。次はユウトですか、ヨハナさんですか」


 ここまで国も人も拗れたのだ。最早平和的解決などあり得ない。中途半端な優しさも嘘もウォルムは吐けなかった。


「アヤネはよくやっている。俺には真似できないことだ……ただもし、重圧や期待、現実に耐え切れないなら北部諸国を離れた方がいい。この世界にはマイヤードやハイセルク以外にも生きる土地はあるんだ」


 どうにか絞り出した言葉に、ウォルムは過去の記憶が突き刺さる。喧嘩別れした兄と酷似した言い回し。結局は似た兄弟という訳か。


「戦争を放り出して、そこへ、ウォルムさんは付いてきてくれますか」


「っ、ぅ」


 同郷の願い、祖国の興亡、同胞への責務――少女の投げ掛けに目眩を起こすほど頭を掻き乱される。心の奥底から濁った感情の火が灯る。眼を逸らすな。ここでハイセルクを離れたら残された人々はどうなる。それに先の大戦で死んだ同胞は何のために死んだ。何の犠牲だった。あれだけ殺して殺されたのに、またお前だけ逃げるのか。お前だけ平穏に暮らすのか。自己嫌悪の末に、拮抗していた天秤が傾く。


 結局ウォルムの沈黙はアヤネに対する答えだった。答えになってしまった。背中に回る少女の両手が力を増し、首元から腰まで身体が触れ合う。


「……ふふ、ごめんなさい意地悪でしたよ、ね。冗談です。ウォルムさんが困っている人を見捨てられないのは、分かっていますよ。ただ、少しの間だけ、背中を、貸してください」


 二つの心音が混ざるように脈を打つ。だが、近いはずのその距離は遠かった。耐え難い冷たさと忍び難い暖かさが、ただただウォルムの背に伝わり続ける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る