第53話

「ぐずぐずするなッ、さっさと行け」


「ま、待ってくれ、これだけでも――」


「例外はない!! 荷車ごと家財道具は諦めろ。それともここに俺達と残るか!?」


 己の財産を諦め切れぬ住民は懇願するが、有無を言わさず兵士は背中を突き飛ばす。同盟国の民に対する態度としては酷く高圧的だろう。だが、必要な処置であった。事態を考えれば武器で脅さぬだけ穏便とも言える。敵勢に追い付かれれば乱取りの末に荷ごと命を失う。町民に背負える荷物以外は捨てさせろ、とフリウグは麾下の兵に強く命じていた。それも全てはクレイスト王国軍による湖面からの奇襲を受けた影響であった。


 フリウグ中隊が現在待機する場所は、ラガ岬と軍港都市アンクシオを結ぶ交通路上にあり、平時は宿場町として機能を果たす。クレイスト王国軍との開戦に伴い宿場は兵舎として半ば接収されていたが、未だ多くの住人が残っていた。そこに敗走してきたマイヤード兵が雪崩れ込み、一時は無秩序状態と化していたのだ。


「槍や盾どころか、剣すら持ってない奴まで居ます」


「一先ず装備も、所属もどうでもいい。とにかく生き残った下士官ごとに分隊単位に纏めろ。そうでなければ指示も碌に出せない」


 フリウグを含む将兵は混乱を宥め、絡まった人々を解すのはダンデューグで手慣れている。住民を内陸へと誘導、負傷兵を牧羊犬代わりに送り出した。今も退避が続くが当初ほどの乱れはなく、川の流れのように粛々と、宿場の外へと流れていく。


「中隊長殿、ラガ岬より伝令の兵が来ました!!」


「頃合いだと思った。こちらに呼び寄せろ」


 敗残兵から断片的に情報を得ていたが、全貌を把握するには程遠い。駆け付けた伝令兵は捲し立てるように情報を吐き出していく。フリウグを中心に、宿場町は奇妙なまでに静まり返る。顔を強張らせながら反応を待つ若いマイヤード兵は、口頭で読み上げた命令に対する返事を待っていた。


「確かに受け取った。我が中隊は命令に従いラガ岬後方に第二線を形成する。よくぞ、届けてくれた」


 冴えない顔の若者にフリウグは簡潔に応えた。その顔色は晴れるどころかますます曇る。


「……私はただの伝令です。ただこの命令はあまりに――」


 国民性か、どうにもマイヤード人というのはまどろっこしい。平時であれば配慮と言う名の美徳になるのだろうが、戦時のハイセルク兵にそぐうものではない。フリウグは単刀直入に内心を吐露した。


「惨いか? そうだな、我が中隊でクレイスト軍主力を一時でも防ぐなど、無謀という他ない」


 伝令兵の顔が赤く青くと二転三転する。司令部に対する非難とも取れる言動、最悪部隊ごとの離反すらあり得るだろう。だが、咀嚼した情報と命令文から、フリウグはユストゥス旅団長の苦悩を感じ取っていた。それもマイヤードの女公が態々帝国の名と連名で寄こしてきたのだ。どれだけ危機的な状況か、分からぬほどフリウグも愚かではない。


「少しばかり意地が悪くなったか。早くラガ岬へと引き返せ、司令部への返答は急務だろう。安心しろ、敵主力は通さん。仮令、命を燃やそうとも」


 希少な通信魔道具は六口の要所にしか配置されていない。たかだか軽装歩兵中隊には過ぎたものなのだ。だからこそ伝令兵は何時の世も重宝されている。彼には無事にラガ岬まで辿り着いて貰わなければならないのだ。


「ご武運を!!」


 苦悩の末に伝令兵は走り去っていく。実戦と訓練を重ねれば良き兵士となるだろう。尤も、彼の将来を案じていられるほど悠長な状況ではない。フリウグは宿場町の大通りに集う兵達に投げ掛ける。


「聞いての通り、援軍が到着するまで宿場町を死守する。一挙に抜かれれば内陸への道が開く。そうなれば軍港都市の陥落は確実、マイヤード滅亡と等しい。クレイストとリベリトアに挟まれ、帝国は苦悶の果てに今度こそ圧壊する。此処が我らの戦場だ。ただの隣国と思うな。セルタの失陥は、ハイセルクの失陥だ」


「……意図と意義は分かりますがね、現実問題あまりにも無理難題では?」


 訓示を受け、古参の下士官が苦言を漏らした。無数の修羅場の果てに、此処まで生き抜いてきた古強者だ。ただの命惜しさではないのは、長い付き合いでフリウグは理解している。


「中隊と敗残の奴らを合わせれば、六百人にはなりますが、こいつら武器を捨ててきちまった。棒切れでも持たせるので?」


 呆れ顔で下士官が示す先には、バツが悪そうに佇むマイヤード兵達が居た。敗走時に手放す物と言えば戦友と武器は定番であった。前線とは異なり宿場町に予備の武器など蓄えていない。そもそも負け癖が付いた兵はそれ以前の問題だ。心構えから正さなければならなかった。


「一度武器すら捨てて逃げ出した身で、故郷や家族のために戦えるのか?」


 優しく諭すような言い様であったが、その実は横暴なハイセルク人の挑発的な言動。マイヤード将兵達は苦々しく顔を顰め、唇を噛み締める。中には憤怒を隠さず、フリウグを睨み殺そうとする者も居る。さめざめと泣かれるよりは余程に好ましい態度であった。


「逃げれば国が滅ぶんだろ……それにハイセルクの余所者が戦うのに、俺達が逃げられるか」


 敗残兵の中で最も上位の士官が集団の意を代弁した。この期に及んでは怒りでも膨らませてやらなければ使いようもない。中々の感触にフリウグは確認を進めていく。


「意気込みは十分か」


「ですが、素手では心許ないですよ」


 遺憾ながらも、茶々を入れる部下を否定する材料をフリウグは持ち合わせていない。


「うむ、それはそうだな」


 何か策を講じる必要があった。フリウグはフラフラと動き回りながら宿場町を見渡していく。加えて国境部での退き口で対峙したクレイスト兵を思い浮かべた。


 奴らは信賞必罰と略奪により戦意を高める。また、騎士を最上位とした組織構造は個人の権限が大きくなる分、一度指揮官が思い込むと視野が偏狭になりがちであった。それらを加味し、幾つかの案を浮かべ、一つの手を打つことを決めた。


「よろしい、ならばいっそ防具も捨てよう」


 然程大きな声ではなかったが、彼らは直ぐに言葉の意味を理解をした。戦場という社交場で、裸になれと宣言されたマイヤード兵達の動揺ぶりは見事なもの。


「な、なにを……?」


「中隊長どの!!?」


「我らに死ねと言うのか」


 あれほど意気消沈していた彼らが、随分と賑やかになったではないか。意見を撤回しないフリウグを見兼ねた部下が苦言を漏らす。


「フリウグ中隊長、真面目な貴方は何処に行ったんですか」


 嗚呼、嘆かわしいと部下は大げさに首を振った。


「自棄になった訳ではないが、不思議と楽しくなってきたのは否定しない。同胞諸君、芝居を見たくないか? とびきりな喜劇がいい」


 困惑を浮かべる面々にフリウグは説明していく。残された時間はそう多くない。開幕までに役者決めと舞台の準備を済ませなければならないのだ。



 ◆



「突き進めぇ、軍港都市に我らの旗を掲げるのだ!!」


 クレイスト王国軍、その名誉ある先鋒を任せられたのは、リハーゼン騎士団の騎士ライアードであった。八百の兵と共に授かった命令は実に単純だった。相対する敵軍を打ち破り、後続を引き入れる場所を確保しろ。作戦に従い街道沿いで生じた三度の衝突は、何れも適切な陣形と魔導兵の支援による正面突破で、一方的な勝利を収めた。


 敵は碌な準備も心構えもできていなかった。それほど湖面からの奇襲は効果的であったのだ。神速を以ってマイヤード軍を各個撃破し、その戦力を有効に活用させないまま全てを終わらせる。それがクレイスト王国軍の狙いだ。


 連戦連勝を重ねた一団は、一つの町へと踏み込もうとする。取り逃がした敗残兵による宿場町での抵抗が予想されたが、急造陣地どころか敵影すらない。何らかの罠か。少数の兵を突入させ反応を窺うのが常道であったが、時に時間こそ魔法銀にも勝る価値を持つのもまた事実。


「ボスコ、隊を率いて町へと先行しろ」


 ライアードは偵察と制圧を兼ねた一手を打った。七十名弱の兵員による威力偵察だ。時間と損失の折り合いを考えれば妥当であろう。


「承知しました。それで物資の方は――」


「懐に収まるまでは許可する」


「ははぁっ」


 面を下げていたが、背中越しにも笑みを浮かべたのは伝わってくる。ライアードはポスコが特段下賤とは言わない。乱取りは戦の慣わしだ。純軍事的には、略奪の手間と荷物が増えることにより、行進速度の低下を招く。だが、士気の向上の面では無視はできぬ。民草には目先の報酬が必要なのだ。


 事実、町を前にして待機を命じられた将兵は、羨望の眼差しを彼らに向ける。ポスコ隊は街道の戦いでも揺るがぬ戦意を見せた隊だ。これで他の隊にも分かりやすく信賞必罰が伝わるだろう。程なくして町中で、悲鳴が上がった。町民達が背や脇に荷物を抱え、遅まきながらも脱兎の如く逃走を始める。その中でも取りわけ目立つのは、荷を満載した荷車であった。


「宿場の主人か? あれだけ積み込めば地面に囚われるのも自明だろうに」


「うわぁ、っあ、お前ら早く押せ」


「やばい、来るぞ、来るぞぉおお!?」


 過積重により車輪が土に埋まり、ただでさえ重鈍な荷車は小走り以下の速度しか出ない。わざわざ略奪品が纏め上げてられている。極上の獲物に兵士達が群がっていく。その中にはポスコの姿もあった。目敏く部下に指示まで飛ばしている。


「押し手も逃すな、金品を絶対に隠し持っているぞ」


 迫る危機に直面しても荷車の押し手達の動きは何とも鈍い。荷を捨て小道に散れば、一人二人は助かる命があるだろう。それでも思考を捨て愚直に荷車を押し続ける。主人の人望によるものか、その頑迷さにある種の感心すらライアードは覚えそうであった。


「くそ、逃げ散りやがって」


「無駄に刺して汚すな、探すのが面倒になるぞ」


 ライアードは、はたと違和感を覚えた。鎧兜で身が重い兵士とは言え、あれだけの数の町民が逃げ惑っているというのに、未だ一人も斬り捨てられていない。それに押し手達の荷車への異様なまでの執着。まるで荷車を絶対に捨てるなと命令されているかのようであった。掲げられた刃が無防備な荷車に届こうとする。


「ポスコ隊を呼び戻せ!!」


「はぁっ?」


 ライアードの怒声を受け、側に控えていた兵は彼らが何かしでかしたか、と間抜けな声をあげる。間もなくして宿場町に聞き慣れぬ号令、そして絶叫と血が流れた。


「掛かれぇぇっ!!」


「うっ、ぎぃやぁああ」


「待ち伏せだ、集まれ集まっ――げぅェ、ええ」


 宿場町への突入時には警戒していた兵達も、町民との影踏み遊びに夢中となり離散していた。彼らを間抜けと責められもしない。それだけ引き込みと斬り込みの間が絶妙であった。


「あの荷車が基点か」


 それを成したのはあの荷車であった。視線の誘導と反撃の間を一度に担ったのだ。それも布を被せた荷からは武装した兵が躍り出る始末。虚を突かれたが、それでも伏撃による損失は許容の内であった。剣を引き抜いたライアードは声を張り上げる。


「攻め掛かれ、ポスコ隊が伏撃を暴いたぞ!! 褒美を手にしたくば、敵を討ち取れ!!」


 物は言いようであった。ポスコ隊の無様な散り様も全将兵に伝わった訳ではない。彼らの命は有効に活用させて貰う。敵軍も宿場町の大通りで陣形を組み上げた。此処からは力と力の押し合い。魔力膜を漲らせたライアードの号令に従い、駆け足で軍勢は進んでいく。


 魔法の撃ち合いによって、隊列はごっそりと咀嚼されながら間合いが縮まる。いよいよ槍の穂と穂が衝突する。その刹那であった。宿場に轟音が響く。聞き慣れた攻撃魔法が齎す破壊音であったが、それは終わるどころか音を変えながら連鎖していた。宿場町の街道沿いに並び立つ宿場が次々と土埃を巻き上げ倒壊していく。


「家屋が、崩れていくっ」


 ライアードは驚きながらも事態を把握した。ただの魔道兵の攻撃で、一挙に建物が崩壊する訳がない。それができるのであれば、直接隊列に投射している。恐らくは攻撃魔法は駄目押し、選定した建物の大梁と支柱に斧で仕込みを入れていたのだろう。一部の兵は倒壊に巻き込まれ下敷きとなる。だが、それは副次的な効果だ。真の狙いは――。


「分断されたか」


 ライアードを含む先頭集団凡そ二百名が瓦礫の向こうへと取り残された。マイヤードの弱兵共ではない。己が町と友兵を躊躇なく利用する手腕、その洗練された集団行動に相対する敵の正体を悟った。


「ハイセルク兵め」


「此処で果てて貰うぞ、リハーゼンの騎士」


 ハイセルクの将が淡々とライアードに余命を告げる。


「ふん、狙いは私――いや、我ら全てか。強欲なハイセルク人め」


 狙いは単純、分断した上で頭たるライアードを狩りに来たのだ。ポスコ隊で策は使い切ったと見せかけたか。いや、恐らくは全軍で攻め寄せた場合は二重の罠を使い切ったであろう。加えて、隊列の後ろでは偽装兵が死体から武具を剥ぎ取る。一連の動きは壊滅したポスコ隊からの武具調達も兼ねていた。これを強欲と称さず、何と呼ぶ。


「ライアード様を守れ!!」


「早く、お下がりを」


 異なる戦場であれば、受けに回り立て直すのも手であろう。だが、この状況下では時間の浪費こそ利敵に繋がる。王道の戦ができぬからこそ、宿場町を瓦礫へと変えたのだ。クレイストの騎士にはそう確信があった。策略にはまったが、窮地にこそ活路を見出さなくては何の為の将か、何のための騎士か。ハイセルク兵に背を見せればただ死ぬだけ。


「馬鹿を申すな。さっさと瓦礫を越え、敵を討ち果たせぇえ!!」


 騎士の言葉を皮切りに両軍は穂を交える。宿場町を巡る戦いは、ハイセルク軍が演じる喜劇を以って幕を開けた。

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