第50話

 魔物という嵐が通り抜けた樹木は薙ぎ倒され、地面は鉤爪により無数の傷跡が刻まれている。アヤネはこの破壊が一体の魔物により、成された事に驚愕するばかりであった。同時に、その魔物すら苦しめる人間がいることに畏怖を覚える。


 恐らくは、いや、間違いなくあの人の仕業だろうとアヤネの護衛と世話を焼く兵士を思い浮かべた。クレイスト兵やリハーゼンの騎士を蒼炎で焼き殺し、自身を誘拐したウォルムと呼ばれる兵士。


 不規則に続く地響きと魔物の咆哮が止んだ時、一瞬の静寂が訪れた。直後、アヤネはハイセルク兵達が慌ただしく動き回り、怒号が荷馬車へと近づいて来るのを感じ取った。


「運べ、死なせるな!!」


 荷馬車の幌が開き、担ぎ込まれたのは、半身をすり潰された鬼火使いだった。何故そこまで戦えるのか、痛々しく身を潰し、死に飛び込めるのかアヤネには分からない。


「クローラーを仕留めたが、ウォルム守護長が重傷だ。焼き殺すまで暴走竜から手を離さなかった」


「何という無茶を、衣服と鎧を脱がせ、早く」


 ハイセルク兵の中でも温厚で、アヤネやマイアに対しても親切に接してくれるモーリッツが口調を荒げている。


「アヤネ殿、治療をお願いします」


 アヤネはたじろいだ。捕虜であるはずの自分達に頭を下げたからだ。


「アヤネ様は手足を、私は内臓と頭部を診ます」


 アヤネが頷くとマイアが触診を始めた。驚くべき事にウォルムは朦朧ながらも意識を保っていた。


「痛みますか?」


「ぁ゛、ぁ? 痛む」


「肋骨が粉砕骨折してます。肺には刺さってはいないですが、左腕は脱臼と上腕骨が折れてます。皮膚も一部欠損してます」


「は、ぁあ、っう。治せるのか?」


「痛いでしょうが、治せます」


 アヤネはもっと深刻な負傷兵ですら癒した事がある。重傷には間違いないが治せない怪我ではない。皮肉にも戦場に出て、矢継ぎ早に運ばれて来る重傷者に治療を施し続けたことが、アヤネの技能を高めていた。


 マイアが水属性魔法で傷口に入り込んだ汚れを取り除いた。一部の砂利や木片が体内の奥にまで食い込んでいる。アヤネは外れた肩を掴み、一気に押し込む。


 ウォルムは悲鳴も上げずに耐えた。痛みを感じていない訳では無い。歯を食い縛っており、呼吸は荒く、目も見開いている。


「前に治療した時も、酷い怪我を負っていましたね」


 あの時は悲惨だった。Ⅲ度の熱傷を負った患者が運び込まれ続け、その中にはウォルムも居た。まさか偽装したハイセルク兵だとはアヤネは想像もしていなかった。そんなアヤネが何気無く口にした言葉に、傷だらけの男が反応する。


「ああ、そう、だな。あの、時は陣地を、魔法で吹き飛ばされた。痛み、目覚めたら、瀕死で、周りは、なかま……仲間の、死体、だらけだ、った」


 その言葉を聞いてアヤネは後悔した。厄介な鬼火使いを吹き飛ばしたと祝杯を上げるクレイスト兵は大勢居た。その攻撃にはアヤネの幼馴染み二人も含まれている。


「……ごめんなさい」


 アヤネから漏れ出た謝罪に、ウォルムは不思議そうに首を傾けた。


「? なんで、謝る。戦争だ、から、な。おれ、も、大勢ころ、した焼いた、し、アヤネやマイ、アを人質に、と、った。お、おさな馴染みだって、殺すきだった。高校生、相手に」


 アヤネは自分を謀り拐い、幼馴染みを焼き払おうとしたウォルムを冷徹無比の戦争狂だと思っていた。


 それが自分と変わらない血の通った人間だったと気付く。いや、薄々気付いてはいた。目の前の兵士は一線を引いた距離感を保っていたが、それでもアヤネは短い間で細かい気遣いを感じ取れた。


 『不衛生では治療に悪影響が出る。湯浴みこそできないが、身体くらいは湯で流した方がいい』そうぶっきらぼうに言ったウォルムは、毎晩せっせと魔法で湯を沸かし、水瓶と桶でアヤネとマイアに身体を清めさせてくれた。


 食事でさえ果実酒が飲めないと分かると、代わりの品を手配してくれた。暗殺されそうになった時もそうだった。意気消沈していたアヤネに治療を中断させ、詰め寄る将官に頭を下げていた。


 先程までの戦闘も護衛対象である自分達を守る為に、危険な手段を取ったのではないかとアヤネは睨んでいる。今まで懐柔が目的だとマイアと共に警戒していたアヤネだっだが、この兵士の本質は根が真面目なところにあると考えるに至った。それこそ善悪の境で揺れ動きながら、戦争も殺しも真面目過ぎるほどに取り組んでしまうのだろうと。


「そんなこと――」


 口を開き掛けたアヤネは違和感を感じ、押し黙った。会話の、言葉の何かが引っ掛かる。違和感の正体を掴む前に現実へと呼び戻された。


「……ウォルム殿、その辺にして下さい。傷が痛みますよ。アヤネ殿もまずは治療を」


「すみません」


 治療を見守っていたモーリッツがアヤネを諭した。考える時間は後にもあると言い聞かせて、魔力を練り上げながら回復魔法の使用に集中した。

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