第60話

 ウォルムは四肢を投げ出した。石畳から伝わる冷気が籠った熱を癒してくれる。息を吐きだすと、それまで抑え込んでいた疲労が一挙に噴き出す。二度目の三十五階層への到達であるが、ドワーフと遭遇した一度目よりもその道のりは険しく過酷と言えた。


「完全に魔力が底を突いたな」


 思い返せば、ドワーフによる魔物の誘引と殲滅により、ウォルムに掛かる負担が軽減されていたのだろう。その上、面倒な大部屋の魔物すら葬ってくれている。知らず知らずの内に、お膳立てされていたのだ。疲労から来る数分間の無気力の末に、ウォルムは背を起こす。


 流石に、このまま寝る訳にはいかない。道中で無数の魔物を相手取って来た武具はあらゆる場所が汚れ、傷んでいる。手入れをしなければ劣化の一途を辿るであろう。


 こびり付いた魔物由来の汚れを念入りに拭き取り、錆防止の油を薄く塗っていく。この加減を見誤れば油は保護膜から打って変わって、埃や汚れを引き寄せる元となってしまう。丹精に作業を続け、一仕事を終えたウォルムは煙草に火をつけようとするが、魔力が空になっていることを気付かされる。当たり前となっていたが、魔力無しの身はなんと不便なことだろうか。


「久しぶりに、使うしかないな」


 ウィラート不在時に世話になっていた火打ち石の存在が頭を過る。すっかり魔法袋の肥やしになっていた。本格的な焚火ではない。要は火が付けばいいのだ。汚れと油を吸い取った布材は適切な着火剤を兼ねた燃料と言えた。麻布を短刀で解して火口を作り、布地の中央部に小さな穴を設ける。そうして片方の火打石に麻布を被せ、穴の開いた箇所から表面を露出させた。


 そうして二つの火打石を擦り上げるように交差させる。鈍い音と共に、火花が散る。幸いにして数度の繰り返しにより油を吸った麻布に火種は燃え移った。ウォルムは弱弱しい火を宝物のように両手で包み、息を吹きかけ十分に火を育む。


 燃焼材が充填されていないこの世界の煙草は、何とも燃え付きにくいが、無事に火は燃え移りウォルムは肺腑に一杯に吸い込んだ。吹き出された紫煙は行く当ても決めぬまま、虚空をゆらゆらと漂い消えていく。


「ふっ、っ、は、はぁ、慎ましいな」


 普段発現させる蒼炎の規模を考えれば、なんと矮小であろうか。そんな火でも今のウォルムにとっては欠かせない灯火であった。とは言え、用が済めば無駄な火だ。手の平で炎上を続ける麻布を握りしめれば、緩火は霧散していく。燃え残りと灰を打ち捨てたウォルムは、虚脱感に身を任せた。


 束の間の休息を楽しむウォルムであったが、手にした煙草を投げ捨て斧槍を掴み立ち上がる。微かな足音をウォルムは聞き逃さなかった。耳を澄ませるが、足音は何とも騒がしくわざとらしい。まるでこれから入室すると言わんばかりである。一部の探索者は、マナーの一環として普段殺している足音をかち鳴らす。


 この人を拒む三十五階層でも行なっているとすれば随分と律儀な奴だろう。人は時に見栄を張らなければならない。全身を包む疲労がウォルムに抗議の声を上げるが、無視を決め込む。ゆっくりと扉が開き覗き出た顔は、迷宮の深層だというのに、なんと鮮やかな色を持つのだろうか。


「やぁ、また会ったね」


 メリルの挨拶と共に、残るパーティメンバーが休憩室に姿を現した。


「今度はお前らか?」


 ドワーフに続き三魔撃とは、随分と賑やかな連中ばかりが続く。


「随分と人聞きが悪いことを言うね」


 憤慨するメリルに、ウォルムは素直に謝罪した。


「少しばかり、擦れていた。ファウストの件は感謝している」


「最初から、そう言ってくれればいいのに」


 機嫌を持ち直したメリルは真っすぐにウォルムへと接近を果たす。似ても似つかない姿ではあるが、この探索者はドワーフの一種なのではと勘ぐってしまう遠慮の無さと距離感であった。


「それで、用件はなんだ。交流でも深めに来たのか」


「まあ、遠からずと言ったところだね」


 勿体ぶった言い方であった。ウォルムはそんなメリル達を労う。


「それはご苦労なことだ」


「ほんとだよ。ギルドでの軟禁明けで暫く大人しくしているのかと思ったら、直ぐに迷宮に潜り出す。その上、単独で三十五階層まで到達しているし。僕も忙しないと良く言われるけど、君はそれ以上だね」


「まあ、止まっていられない身の上だ」


「つまり、何かを求めて迷宮へ来たわけだ。そしてまだそれを手にしていない。ひょっとしてそれは三十五階層では得られぬものかい」


 随分と踏み込んだ質問であった。答える気のないウォルムは即答を避ける。


「どうだろうな」


「もう、君はじれったいなぁ」


 からからと笑っていたメリルは、ウォルムを覗き込むように見据える。その顔は実に真剣であった。どうあってもはぐらかせる気はないらしい。


「探索者が求める物は様々だよね。溢れんばかりの財産、万人に賞賛される名誉、己の限界を超えた力。僕はどれでも肯定する。理由に貴賎なんてないと思ってる。この迷宮で皆、何かを得るため等しく足掻き、手を伸ばし、命を掛けているんだ。それに優劣を付けるなんて、つまらないよ。……それで、ウォルム。君は迷宮で何を求める。願うものは?」


「……奇特な奴だな。それを俺に聞いて何になる」


「それは――」


 張り詰めた空気は一瞬にして崩れた。真剣な顔つきのメリルが額を押さえ、ウォルムでさえも露骨に顔を顰める。野太い声に、特徴的な喋り方。騒がしさは入室時の配慮ではなく、性分から来るものだ。


「なんじゃ、お前ら揉め事か?」


「そりゃいい見せ物じゃ」


「おう、見届けてやるからやれ、やれ!! 武器は無しだぞ」


 騒音と共に現れたのは森林同盟から派遣されたドワーフの隊であった。彼らに慎ましく、静かに生きろというのも無理があり、ゴブリンに学術を教え込むほどに困難であろう。唯一の例外と言えば、ウォルムやメリルに、申し訳ないとばかりに獣耳を下げる獣人ぐらいなものであった。


「もう空気ぐらい読んでくれないかな。楽しいお喋りの途中だよ」


 ご立腹のメリルはドワーフを恨めし気に睨む。


「はぁ、なんじゃ、つまらん」


「仕方がないのう。飯にでもするか」


「酒じゃ、酒をはよう出せ」


 ウォルムに対する興味が失せたドワーフは、驚くべき変わり身の早さで意識を食事へと切り替えた。早いものでは既に腰を落ち着かせ、堅焼きパンをそのまま食い千切っている。


「これだからドワーフは……興が削がれたね。場所を変えよう、食事ぐらいは馳走するさ。ウォルムの答えが知りたい」



 ◆



 大通りから一本外れた通りに、その店は存在していた。ウォルムが知るような大衆酒場とは異なり、石造りの頑強な建材を利用。店内を覗けばその特性というのも理解できる。分厚い外壁と内壁で区切られた部屋は、密談や商談と言った重要な場を設ける場所を意図して作られていた。


 斧槍を壁際に立てかけ、ウォルムは席に着く。距離を空けようとするウォルムと正反対に、メリルは前のめりで、語り始めた。


「招かれてくれて嬉しいよ。まずは全員で世間話や生い立ちでも話して親睦を深めたいところだけど、君には率直に話した方が早そうだ」


 一呼吸置いたメリルは言葉を続ける。


「僕は、城壁都市の出身だ。生活するには困らず、貧困とも縁がなかった。とは言え、継ぐ家も無く、稼ぐ手段も限られる。迷宮に潜り出したのは生活費を稼ぐためだった。面白味の無い人間だろ」


 よくある話であろう。半強制の有無、それぞれの事情はあるものの、ウォルムは戦場で、メリルは迷宮で生活の糧を得ただけの違いだった。


「そんな僕でも階層を深めて、今の仲間と出会ううちに欲が出てきた。探求心とも言うのかな。好奇心かもしれない。僕達は制覇者を本気で目指している。富や名声に何の興味もないと言えば、嘘になるけど、根源は迷宮の底、それが今の僕の夢さ。……笑うかい?」


 苦笑を浮かべるメリルではあったが、その眼は笑っていない。横に控えるパーティーメンバーも同様であった。


「いや、笑わない。夢や希望、目標も無しじゃ、人は生きているとは言い難いだろう。そうでなければ、死んでいるか、生きているかも分からなくなる」


 息をしているだけで生きていると言い張るのは、人としてはあまりに救いがないだろう。一年も酒に溺れ堕落の日々を過ごしたウォルムは、人の夢を笑い飛ばすことなどできなかった。


「重みがあるね。……僕達はウォルムの募集を見て、声を掛けたんだ。多くのパーティが様子見や二の足を踏んでいる。でも時間が経てば君の価値を認めざるを得ない。不謹慎かもしれないけど、僕は幸運だった。何せ、ファウストが代価を払い、その実力を表に引きずり出してくれた。僕は君をパーティに迎えたいと思っている。でもそのまえに、君の根源が知りたい。ウォルム、迷宮で何を求めて、何を願う」


 事情を説明すれば長くなるだろう。聞くよりも見せる方が早い。ウォルムは行動に出る前に呼び掛けた。


「……そうだな、百聞は一見に如かずとも言うか。今から魔力を流すが、敵意はない」


 魔力を流した眼は変貌を遂げ、ウォルムの瞳に映る世界は変わりゆく。鬼火の併用時に比べれば微弱ではあるが、刺すような痛みと熱が走る。


「その眼、魔眼か」


 それまで口を閉ざしていたハリと呼ばれる武僧が言葉を漏らした。ウォルムは肯定の意味を込めて頷く。


「俺は大暴走で祖国を失ったハイセルクの敗残兵だ。両目を戦闘の中で失い、また戦うために高位の魔物の眼を移植した」


 十分に確認は済んだであろうとウォルムは眼への魔力供給を断つ。元の眼に戻ってもその影響は残っている。痛みの波が引くまでゆっくりと眼を閉じ、そして開いた。


「この眼は遠くない将来、腐り墜ちる。魔力を流している間、眼は熱を持ち溶けようとしている。完治させるには、迷宮の最深部のみに咲くと言われる真紅草が必要だ。それが俺が求め、願うものだ」


「ウォルムが求める物は良くわかったよ」


「格好をつけたが、所詮は自己保身だ」


「僕の夢も大層なものじゃないさ。ウォルム、君はパーティに加入する気はあるかい」


 人脈を持たず、時間も限られるウォルムにとっては、迷宮都市ベルガナで名を馳せる三魔撃パーティーへの加入は最善であろう。


「ああ、共に迷宮を制覇したい」


「よし、決まりだね。それじゃ加入の祝杯でも」


「ちょっと、メリル! 細かい条件とか、まだ話してないじゃない。あんたもあんたよ。傭兵していたならもっと条件に厳しくなりなさい」


 いそいそと酒の準備を進めるメリルをマリアンテと呼ばれる探索者が制した。事はあっさりと決まったが、パーティメンバーが増えるというのは、そう簡単なことではない。それに即答したウォルムも返す言葉がなかった。


「時には勢いが大切だよ」


「その我が道を行く姿勢、あんたらドワーフ笑えないわよ」


 言葉こそまだ幾らも交わしていないが、マリアンテがパーティー内でも調整と苦労役なのは薄々ウォルムにも伝わる。


「落ち着けマリアンテ。細かい条件はこれから煮詰めるとして、まずは歓迎も大事だ」


 ハリがマリアンテを宥めるように言った。武僧としての修行の賜物か、その態度は動じずに落ち着き払っている。


「……ハリ、ウォルムの眼が気に入っただけでしょう。あんたの眼に対する嗜好は、変態的だからね」


「僕の眼が綺麗だとあんなに褒めてくれたのに、会ったばかりの男に目移りするのかい」


 メリルは悲しみに耐えられないとばかりに顔を歪めた。その動きは酷く芝居がかっており、ウォルムは状況を飲み込め切れずに、ただただ困惑する。


「そうではないぞ。メリルの吸い込まれるような両眼の魅力は薄れぬことなどない不変だ。だが、だがな、その金色だと言うのに、暗く濁ったようにしか感じないウォルムの魔眼は……堪らなく唆る」


「っう――!?」


 なんだというのだ。最早言い訳にもなっていない。伏せられたハリの視線は、確実にウォルムの眼を捉えて離さない。無骨で飾り気にない質素な服装、その修業が垣間見れる鍛え上げられた肉体から、ウォルムは彼が常識人であろうと疑っていなかった。そうだというのにハリの実態は、メリルを上回る変人であり変態であった。


「やめなさいよ、ハリ!! 逃げられちゃうじゃない」


 鳥肌が立ち、毛が逆立ったウォルムは腰を浮かせようとするが、横合からするりと伸びた腕により強制的に着席を促される。その手はメリルの物であった。若くして二つ名を持つだけあり実に俊敏だ。何処に手を置けば力が抜けるかも把握している。


「主役がどこに行くんだい。安心しなよ。ハリは男色じゃない……多分」


 ウォルムは一縷の望みをかけて、残るパーティーメンバーであり、ユナと呼ばれる射手に救いを求めた。どういう訳か虚空を見つめていた彼女は、ウォルムの声無き呼び声に気付き、旅立ちから帰還する。


「……ウォルムもお腹空いたみたいだし、始めよう」


 そうではない、そうではないとウォルムは内心で慟哭を上げた。このパーティーへの加入は本当に正しかったのかと、強烈な不安に苛まれる。ファウストと対峙したあの毅然とした態度はなんだったのか。


「そうだね。ようこそウォルム、三魔撃のパーティへ」


 肩に手が食い込んだまま、メリルは満面の笑みでウォルムを歓迎していた。だから冒険者は嫌いなのだ。ウォルムの嘆きは誰にも届く事なく消えていった。

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