第39話

 迷宮都市ベルガナ――大陸でも有数の大迷宮があり、そこから齎される資源や遺物によって繁栄を約束された地であった。しかし眩しく輝く光があれば、そこには必ず濃い影が存在する。古くからその都市は、流れた血が乾く暇もない程に支配者が移り変わり、血生臭い闘争が今も尚続いていた。


 リベリトア商業連邦との国境を巡る戦いを皮切りに、ウォルムは多くの国家を相手に、それぞれの兵科と様々な地形で戦闘を繰り広げた。その経験が、このベルガナ周辺で勃発したであろう戦いを読み取らせる。形式の異なる無数の陣地跡や多様な防御施設は、簒奪者達が押し寄せては支配者が移り変わっていった証拠であり、歴史でもあった。


「まだ都市にすら入っていないというのに、人通りが多い」


 服装も年齢もバラバラであり、数多の荷馬車や手押し車が引かれ、軽装の旅人、作物を牛に満載した農民、冒険者も混じっている。これだけ多種多様な人や物の往来は、豊かな経済が根付いている証拠であった。迷宮という名の資源の生産地は、大きな消費が発生する地でもある。一発逆転、成り上がりを夢見る者達にとっては、迷宮というものは格好の舞台であろう。尤も、夢破れて破産した者や、迷宮に血肉や魂を飲まれてしまう者が後を絶たないという事も、ウォルムは情報を得て知っている。


 船旅は知識面に於いてもウォルムに良好な影響を与えていた。何せ、商船に乗り込み長距離を移動できる人間達に貧困層はまず居ない。情報収集に苦労するこの世界では、複数の社会的な繋がりを持つ人間の情報は貴重だ。共に強大な怪物襲撃の危機を乗り越え、その後長い船旅を強要されて暇を持て余した彼らの口は軽くなり、ウォルムはその話に熱心に耳を傾けた。そのお陰で、事前にベルガナに住む者、環境、情勢等を知り得たのは僥倖と言える。


 都市に近付くにつれて警邏の兵が増えていく。彼らは足の先から頭の天辺まで手入れの行き届いた防具を身に着け、通行者に鋭い視線を走らせている。


「通行路で荷車を止めるな。ここは農村のあぜ道ではないんだぞ。端に寄せろ」


「すみません、聞き分けの無いやつで……言う事を聞くんだ。バラシて肉にしちまうぞ」


 車軸のトラブルか、牛に反抗期でもやってきたのかはウォルムが知る由もないが、警邏の兵に叱咤された農夫が平謝りし、慌てて牛の鼻輪を掴んで道端に寄せていく。


「二度目だぞ。いい加減にしろ。ここがどれだけの人と物が行き来すると思っている。それを塞ぐのは悪質な妨害と取られても文句は言えんぞ」


「すいません、次からは言う事を聞かせますんで、ご勘弁を」


「とにかく、この生意気な牛に舐められるなよ。罰金や牛共々鞭打ちにされるのは嫌だろう」


 警邏の兵の隙の無い立ち姿からは、経験と訓練によって身に着けられた自信が見て取れた。よく鍛えられた兵である彼らの存在が、犯罪への抑止力となるのだろう。


 迷宮都市ベルガナは、ガルムド群島諸国でも大陸側最大の貴族、ボルジア侯爵家が治めている。そんなボルジア侯爵が有する即応可能な常備兵は、都市だけでも三千。更には国境に張り付いた兵も含めれば、四万に達する兵を抱え込んでいた。平時でそれだけの兵を養い、それに揺るぎもしない資金力は計り知れないものがある。


 とは言え、あまりにも過剰な兵力ではと疑問を抱えていたウォルムも、船内で見せられた地図で納得したものであった。何せボルジア侯爵領はメイリス共和国、アレイナード森林同盟と領地が直に接する危険地帯だ。小競り合いでも数千の兵が睨み合い、本格的な衝突が始まれば十数万の兵が動員される。


 龍すら殺してみせた三大国が全面戦争となれば、この地に赤き海が広がるのは想像に難しくない。しかし幸いな事にこの数十年、緩やかな緊張状態が続きながらも戦争は勃発していない。そうウォルムが心配する程の事ではなかった。


 物珍しげに街並みを見つめるウォルムの様は、まさしく上京してきた田舎者そのものであろう。せめてもの抵抗にと、視線を悟られないように首から上を据え置き、眼だけで風景を拾っていく。そうして漸く外縁部にたどり着いたウォルムだったが、そこはまだ迷宮都市ではなかった。


 ベルガナは大迷宮を中心に城壁が張り巡らされており、その発展に合わせて城壁や施設が継ぎ足しされてきた。人々が暮らす家々もまた、人口の増大に合わせて広がりを見せ、遂には城壁の外にまで家屋が建てられるに至っていた。今では城壁内よりも壁外の方が、建物の数が多いという始末であった。


「さて、着いたのはいいが、はは、右も左もわからない」


 初めて訪れる都市の土地勘があるはずもないウォルムは、人の流れが多い方に、そして遠巻きに見える城壁を頼りに進んでいく。城外の建物ですら並の都市を上回る規模だ。


 時折ベルガナに来たばかりであろうおのぼりさんが、人の波に飲まれて人間に酔ったのか、道端で呆けている様も見て取れた。親近感が湧くウォルムであったが、彼らとは明確な差がある。ウォルムはかつての世界で、時に乗車率百八十パーセントの荒波を越えてきた。そんな元企業戦士には、この程度の人などさざなみに等しく、寧ろ、懐かしさすら込み上げてくる。


 歩幅と速度を合わせて、実に自然に人々の隙間を縫って歩く。そうして人の波に乗ったウォルムが辿り着いた先は、城門であった。堀こそないが二つの門塔と外門、内門を有する作りであった。投石や弓用の狭間が設置され、城壁通路上にも兵の姿が散らつく。


「そうじゃないだろう……いけない悪癖だな。いや、職業病か」


 気づけば複数の要素を吟味しながら、目の前の防御施設の評価を始めてしまっていた。今のウォルムは単なる敗残兵に過ぎない。既に兵士ですらないのだ。それが目測による城壁高さの確認、死角の有無、足掛かりとするなら何処から仕寄るか、考え込んでしまっている。まるでこれでは偵察や密偵ではないか――苦々しく顔を顰め、ウォルムは意識を切り替えた。


十人ほどの兵士が、人々を呼び止めている。遠巻きに窺い、何が行われているかをウォルムは掴む。城壁内に入る為の通行税を徴収しているのだ。例外として何も渡さずとも通行を許可されている者がいたが、侯爵家の印が刻まれた通行手形と思われる物を有していた。中の住人や店舗を持つ者達に違いない。


「城門を関所代わりに使っているのか。壁外の規模も頷けるな。通行税を嫌った奴や払えない奴が住み始めた、そんなところか」


 文化や暗黙の了解などで面倒を起こすなどウォルムは御免であった。城壁内に潜り込む前に、現地でも情報収集が必須か。そうなると現地人向けの酒場や食事処が必要となる。何せ、ツテのない者にとっては、数少ない情報源となる場所であった。


 ウォルムは城門までの道のりを思い返すが、記憶の抜け落ちはない。大通りを離れたウォルムは視覚に加え、聴覚と嗅覚を動員して周囲の散策を始めた。まるで犬の様だが、ウォルムが戦場で培ってきた感覚であり、その実績は信じるに値する。


 実際、そう掛からずに大衆向けの酒場が見つかり、聴覚と嗅覚はその意義を示した。

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