第2話


「ぼくは将来、お医者様になりたい」

「無茶言うな」




 次の人生に用意されていたのは、この世界では特別裕福でもなく、貧乏でもない、ごく平均的な農家の長男という立場だった。

 与えられた名はクリウス。家名はオルドカームだ。前世の日本語で無理矢理に訳するなら、古田ふるた勝利かつとしみたいな意味を持つ名前になる。まあ、無理に訳する必要なんて、全くないけど。

 とにかく、ないと思っていた新しい人生に、ぼくは生まれた瞬間から嬉しさのあまり泣いた。

 声帯が発達していないから、どんな歓喜の言葉も、意味の解らない泣き声にしかならなかったけど。


 そのときにぼくは悟った。赤ん坊が産まれてくるときの産声てやつは、喜びの声だ。

 呼吸をするためのもの、なんてお医者様は言うかもしれないけど。

 でもぼくは、なまじ前世の記憶を持ったぼくは、歓喜の雄叫び説をぜひ推したい。



「どうしてダメなの?」

「金がかかる。とんでもない額の金だ」



 さて。ところでなんでまた、ぼくには前世の記憶が残っているのだろう。


 前の人生の最後の数年間に読んだ、いわゆる転生物の話では、それは普通だった。さも当たり前のように取り扱われて、なんの言及もない。

 新しい人生に、少しは憧れがあったのは確かだけど、『こんなことありえない』と心中冷ややかな思いをして読んでいたものだ。

 でも現実には、転生は真実だった。記憶を受け継いだのも本当だ。

 両親にそれとなく、まだいまよりずっと幼かった頃に訊いたものだ。『輪廻転生てあるの』と。

 すると決まって母が言う。『あなたがいい子にしていたらあるかもね』



「今年に大学校の入学試験があるから、受けてみたいんだ。受かれば、そんなにお金もかからずお医者様になれるかもしれない」

「受かるはずがない」



 とはいえ、この世界においては、前世の記憶なんて役に立たない。所詮は最終学歴が大学なのだから。しかも一応卒業こそしたものの、ほとんど遊んでいた大学生だ。生きる上で必要な知識なんて一つも持っていなかった。

 ただ、幼少期から通っているこの世界の地元の学校では、もちろん成績優秀だよ。


 この世界、先史文明が大災害ブラックエンドで滅んでから創られたものだけど、結構文化レベルは高い。

 前世の記憶で知力チート? 内政TUEE? ないない。

 元一介の大学生程度の頭脳では、世界はおろか、住んでいる村の発展にだって寄与できないよ。



「奨学生になれば、学費もある程度免除される。そのくらいの金額なら、自分で仕事をして払う。父さんと母さんに迷惑は掛けないから、試験だけでも受けさせてくれない?」

「だめだ。俺の息子が、そんな大層なものに受かるはずがない。黙って、うちを継げ」



 この世界の子どもが通う学校は、六歳から十四歳までの小学校と、十五歳から二一歳までが通うことのできる大学校とがある。どちらも義務教育ではない。

 ぼくは家の手伝いをしながら、週に二回、隣村の小学校に通って、この世界について勉強した。

 これには父も文句は言わなかった。

 自分も通ったのだろうし――なにより、学費がゼロだったからだろう。

 でもまあ、隣村の小学校に通う、なんて字面では簡単だけど、結構ハードなことだった。

 前世のテレビ番組で、東南アジアだかアフリカだかのドキュメンタリー番組で、『二時間掛けてジャングルの中を歩いて学校に通う』みたいなのを観たことがあるけど、まんまその通りだった。

 しかも、出るんだよ。ファンタジー世界では定番の魔物モンスターが。

 通学する子ども二十人に対して、大人四人が前後について護ってくれたけど、奴らは護衛の穴を狙ってくる。

 一番よく見かけて、一番よく襲い掛かってきたのは、前世でいうところの猪みたいな魔物だった。前世でも猪なんて間近で見たことがほとんどなかったぼくには、最初震え上がるほど大きく驚異に感じたね。



「でももう、願書は出しちゃった。不合格なら、きっぱり諦めて農家をやるよ。父さんの言うことも聞く。だから、お願い」

「願書なんて、出すだけで金がかかるだろ。誰がいったい、そんなこと――」

「勿論、ぼくが貯めたお金で」



 猪なんだから草食っててよ! なんて思うけど、奴らはより栄養価の高い肉も食う。しかも力が弱くて捕まえやすい、柔らかい子どもの肉が好物だ。

 前世の記憶で武力チート? 俺TUEE? むりむり。

 体重20~30キログラムの身体で、どうやって、見るからに100キロオーバーの野生の猪を倒すなんてできるのさ。

 大の大人四人が必死になって威嚇して、ときには怪我なんかもして、ようやく追い払える魔物を、六歳のぼくがなんとかするのは物理的に不可能だった。

 ――まあ、今ではなんとでもなるんだけど。



「貯めた金、て――小遣いなんて渡していないぞ?」

「もちろん、隣村まで行ったときに、自分で仕事をして稼いだんだ」



 話が逸れてしまった。

 とにかく、険しい道を通って、小学校に行っていた。

 そこで知ったのは、この世界には魔法が存在する! ということだ。

 ファンタジーの定番である魔法。とはいえ、ほんの少しだけ違うところがあった。

 まずぼくたちが日常で使うのは、便宜上『魔法』て言ってるけど、厳密には違う。『魔術』あるいは『可学カガク』というのが正しいらしい。その辺の線引きの話をすると長くなるから、またの機会にしておこう。

 とにかく。魔法が使えるのだ。誰でも、というわけではないけれど。

 ぼくだって、やや苦手だけど使える。得意なのは光を操る魔法だ。

 ひとによって使える使えない、得意不得意な魔法の分野――属性? とでも言った方が解りやすいか――は分かれている。

 ぼくは光が得意。闇は苦手。火、水、風、は普通。地は使えない。



「自分で仕事だって? いったい、どうやって、何をして稼いだのだ」

「先生から剣を教えてもらって、猪やら熊を倒したよ」



 ――ちなみに先ほどから続いている問答は、ぼくと父のものだ。

 将来みんなの役に立つため、医学を勉強したいぼくと。

 学費なんて払えないから、黙って家業である農家を継いで欲しい父。

 前世の父親は放任主義で、生きていけるならなにをやっても良い、というひとだった。その言い付けは守られなかったが。

 ぼくだって、今の父を助けたい気持ちはある。前の父は、ぼくが自殺をしたときには既に他界していたけど、それにしても、天寿を全うせずに自ら命を絶つなんて、親不孝にもほどがある。

 前世で出来なかった分の親孝行をしたい、とは思っているんだ。

 それがお医者様になる、ということだ。

 もしなれないのなら、大学校に落ちたのなら、きっぱりと諦めて、農家を継いで親孝行をする。それは紛れもなく、ぼくにとっての本当の気持ちだった。



「あなた、意地ばかりはってないの。クリウスは天才よ。私たちの息子なんだから。受けてみるだけ良いじゃない」



 ここで助け船。ぼくの今の母だ。

 オルドカーム家は決してかかあ天下ではない。稼ぎ頭は父なのだから当然。

 でもこうして時折、鶴の一声みたいに意見をしてくれる。主にぼくのために。



「――それは解ってる。クリウスは天才だ。でも真面目で人が好すぎる。誰か善くない連中に騙されて、大変な借金でもこさえないか、心配なんだ」

「父さん。そんなことは絶対にない。ぼくだって人を見る目はあるはずなんだ」



 というか、前世で酷い目に遭ったのだから、同じ轍は踏まないてだけなんだけど。



「ほら、あなた。覚悟を決めなさいな。クリウスは、もう覚悟してるんだから」

「ぐぬぬぬぬ」



 結局、父の口から直接の回答を、その日に得ることは出来なかった。

 でも、次の日には、母から了承の返事があった。

 あの守銭奴の父から、遂にお許しが出て。

 ぼくは一先ず、大学校を受験できることになった。

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