第3話
「みんな、大袈裟なんじゃないかな」
「そんなことはない。村中全員が、お前の旅たちを慶び、悲しむのは当然だ」
大学校を受験する。
その了承を得てから十日後、ぼくは村を発つことになった。
いやはや、結構急でどたばたなものだ。でも、受験の十日前まで、父の承諾を得られなかったのだから仕方ない。
よくもまあ、我ながら、そんなギリギリまで諦めずに交渉したものだ。
で。
今日が受験のために村を出発する日なのだけど、なんでか住人の多くが集まってくれた。
村の人口はおよそ120人。ざっと見て7~80人はいる。
みんなと仲良くしておいた方が、みんなの役に立てる機会も多いだろうと思って、事あるごとに声を掛け、手伝いなんかして、親しくなっていたからか。
村の半分以上のひとが見送りに来るなんて、とてもでないが信じられない。
「――みんな、判ってるよね? ぼくは受験するだけなんだよ? 受かる受からないは別にして、受験が終われば一度は帰ってくるんだけど」
「わが小さな村から、大学校を受験しようなんて子どもが現れるだけで十数年ぶりだ。みんな、お前を激励したいのだ」
娯楽のない、王都から離れた村。
こういうときには、みんなで応援するのが通例らしい。
で、当人を送り出したあとに、飲めや歌えの宴会が催される。本人いないけど。
結婚式や葬式と同じく、こういうことでもないとみんなで集まって食事する、なんてできない。みんなのほとんどが節制に節制を重ねる辺境地の農民なのだから、仕方ないのだろうか。本人いないけど。
母曰く、『受験生が宴会して、身体に障ったらどうするのさ』だそうだ。ごもっともです。
なんにせよ、『行く』と決めてから十日という期間で、こんなたくさんの人に話が伝わり、送り出してくれるというのは、感激だ。前世にはなかった。
そもそも今のぼくにしても、なんでまたこんなに盛大に送り出されるのか、理解できていない。
――まさか、公然と酒が呑めるからなのか。そうなのか。
「お前ほど頭が良くて、剣が強くて、それでなお驕らずにいられる人間は知らない。お前ならきっと受かる」
声を掛けてくれたのは、隣の家に住む幼馴染のユーリだった。男だった。こういう世界の転生につきものな、可愛い女の子の幼馴染ではない。
同い年のくせに、筋骨隆々で、身長がぼくよりも頭ひとつ分大きい。
ぼくが小柄なのもあるけど。
「ありがとう、ユーリ」
「次に会うときは、お互い騎士団員だな!」
「いや。受験が終わったら一度帰ってくるけど……あと、ぼくは医者志望だよ」
彼はぼくらがまだ幼い頃、森に遊びに入ったときに熊に襲われた。
ぼくが倒してしまったんだけど、それ以来ずっと
曰く、いざというときに頼りになり、家族を守ることができるような、騎士になりたいのだそうだ。
「あんたがいなくなったら、うちの帳簿を誰がつけるんだい」
次に声を掛けてきたのは、村唯一の商家を切り盛りするマリアさん。ぼくより四つ年上の女性だけど、立派に仕事をこなしている。
「マリアさんだってできるじゃないか。あんな重要なものに、あんまり手伝いを期待しないでよ」
「あんな面倒なのは、頭の良くて気の利く奴がやるもんだ。どうだいクリウス、大学校を出たら、婿に来い。あたしと二人でなら、きっと国一番の商家になる」
わーお。これはプロポーズ?
彼女は、ぼくが十歳の頃にお小遣い目当てで仕事をしてから、こんな調子だ。
最初は単純に力仕事ばかりやらされていたけど、あるとき夕方に、机の前で唸っているマリアさんを見て手伝ってから、頭脳仕事に回されるようになった。
帳簿なんて前世でも付けたことなかったけどね。
前から、変に小賢しい計算は得意だったんだ。
「お医者様になれなかったら、考えます」
彼女は19で両親も既に亡く、よく商家を維持している。正直ぼくには無理だ。尊敬に値するよ。
――でも、さっきのユーリより身長がさらに高くて、
性格の観点から言っても、将来的に尻に敷かれるのは目に見えている。遠慮願いたい。
「別れは済ませたか、クリウス」
と。隣にいた父が訊いてきた。
まだまだ挨拶したいひとはいっぱいいるが、今生の別れというわけじゃない。
なんかそんな感じのひとは一部いるけど。
何日かすればまた帰ってくるのだ。いざ入学となっても、準備を色々として、この村を離れるのはさらに先だ。
そのときに挨拶をすればいい。
「うん、まあね」
「ではこれを渡しておこう」
そう言って父は、この世界ではわりと高価な、茶封筒(のような包み)を渡してきた。
なんだろう?
訝しんで中を見てみると、なんと、お金が入っていた! しかもかなりの金額だ。
ひい、ふう、みい――あんまり覗き込むのも気が引けるから、ちらほらと数えてみる、
「全部で100万
「ええっ! こんな大金、受け取れないよ。きちんと自分で仕事をするから、心配しないで。
――それに、すぐ帰ってくるんだよ?」
「いい。持っておけ。将来、お前が偉くなって、金を稼ぐようになったら、返してくれればいい」
「あの守銭奴の父さんが、そんな――」
「失礼な。いくら金を貯めたところで、使うべきに使わずになんの金か。試験に受かれば家も決めねばならんのだろう? あったとて困ることはない」
やべ。ちょっとウルッときちゃったよ。あの父がそうまで言ってくれるとは、正直信じられない。
ちなみに、この世界のこの国の通貨であるノートは、大体1ノート=0.9円くらいの感覚だ。
そのときどきの物価にもよるけど、平均的な四人家族の一月の生活費が、およそ10万ノート。都会だともっとかかるだろう。
家賃の相場は、実際に現地で見てみないことには判らないが、学生相手の賃貸一部屋の物件に、何十万と取るわけもない。はず。
だからこの金額は、節制すれば一年は食い繋げるものだ。
「ありがとう、父さん。きっと大学校に受かって、早いうちに色付けて返すよ」
「いいのよクリウス。このひとはね、こういうときくらいには、身内くらいには見栄を張りたいひとなんだから」
「母さん!」
折角の感動話も、母の一言で笑い物になる。
それもまた、いまのぼくには嬉しかった。
「あと、こいつも渡しておこう」
言って父は、ずっと隣に手綱を引いていた
「えええっ! マリンもくれるのかい」
「いらないのか?」
「いるよ、ぜひ欲しい!」
この阿は、マリンという雌鳥だ。今年で六歳になる。
産まれたときからぼくが世話を任されて、母鳥と一緒になって過ごしたものだ。
前世でもペットなんて飼ったことがなかったから、それはもう可愛がって、大切に育てた。
――そのせいか、やや人見知りする性格になったけど。
でも、茶色の毛並みに黒い
「それも返さないでいい――ただ、都会の貸部屋に、阿を停めておける場所がないのなら返せ。あと、間違っても、とって食うな」
「食べないよ」
一瞬マリンの顔が強張って見えたが、ぼくが真面目な顔で答えると、どこか安心した風になった。
ちなみに、阿は肉質が硬すぎて食べられたものじゃない。おまけに身に危険が迫るととんでもなく大きく甲高い声で鳴く。
阿を食べるようになったらお仕舞いだ、とは、この世界での諺である。
「冗談を本気にするな」
全く笑っていない顔で、ははは、と乾いた声を出す父。
このひとでも冗談を言うのか。全然冗談に聴こえない。
「――じゃあ、そろそろ行ってきます。順調にいけば、来週の中頃には帰ってくるよ」
「分かっている」
「身体に気を付けてね。あんたを襲うような輩がいないとも限らないんだから、夜道は出歩くんじゃないよ」
最後にぼくと両親は、そう言葉を交わした。
ぼくはマリンに跨がると、短く出発の合図をした。
チッチッ、という声がその合図だ。
するとマリンは、始めはゆっくりと。段々と早く走り出す。
ぼくの後ろからは、たくさんの、色々な声が聞かれた。
「絶対受かれよなー!」
「身体には気を付けてー!」
「なにかあったら帰ってこーい!」
前の人生でも、誰かにこんなに見送られたことなんて、ない。
ぼくは大きく手を振りながら、それでも後ろを振り返ることなく、駆けていった。
やっぱりさ、なにがあっても、男の涙は見苦しいよね。
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