第6話


「マリン。この四の山スー・ワンが最後の難関だ。ここさえ越えれば、あとはずっと下り坂で、王都も目と鼻の先だ」

「キュウウ」


 ぼくの言葉に、マリンは気合の入っていなさそうな声を挙げる。

 このという生き物は、声色が高い。だからどんなに頑張っても、真面目な雰囲気は感じられなくて、どこかのほほんとしてしまいそうだ。

 でも足取りがやや速く、力強くなったから、このときはマリンも本当に気合を入れてくれたのだろう。


 最後の難関と言っても、大したものじゃない。

 やや登り坂がきつい、大きな森の中にある山。それが四の山。

 一週間ほどの王都での滞在予定で、そうたくさんの荷物は要らない。

 だからマリンに負担も、そんなにはかけていないだろう。

 実際にぼくが持つ鞄の中には、一週間分の着替えと、筆記用具。

 わずかな携行食もあったけど、先ほどの休憩のときに食べてしまった。

 一番重いのはたぶん、腰に提げた護身用の剣だ。

 ぼくの体重と足しても、彼女の歩先に影響はない。


 ただ、これをマリンなしで、徒歩で行くとなると話しは違っただろう。

 父が気を利かせてくれて、本当にありがたい。

 最初の、マリンなしの予定では、まだいまの半分も進んでいなかったよ。


 時刻は、太陽の上り方から見て、昼を少し過ぎたところ。

 いまは春だ。夏はとんでもなく暑くなるけれど、この時期のこの時間は涼しい。

 森に入ると、やや肌寒さを感じるほどだ。


 ちなみに、この山を越えるとさらに気温は下がる。

 海が近くなって、ときによっては潮風が吹き始める。

 山のてっぺんからは、晴れの日には、王都と学園都市と、港の姿が一望できるだろう。

 

「クルルルル――」

「どうしたの、マリン」


 ぼくがひんやりとした森の空気を感じて考えごとをしていると、マリンが立ち止まった。


 阿は警戒心が強い。

 前世でもそうだったけど、草食動物の、しかも鳥という生物は、どんなに大きくなっても小心者が多いのだ。

 人間では感じとることのできない気配を察して、警戒する。

 加えてマリンは特に人見知りで頭が良いから、ぼくの気付かない変化や異変を感知するのに長けていた。

 ただやっぱり声色が高いせいで、緊張感が湧き辛いよね。

 いまの声にしたって、前世で例えるなら、ちょっと音量の大きい鳩の声なんだもの。


「――魔物モンスター?」


 ぼくの声に返事はない。

 この山の難関の要因のひとつとして、ときたま魔物が出る、というものがあった。

 王都からわずか数陸里デイ・ベトしか離れていない山に魔物が出る。

 この国の管理体制を疑っちゃいますよね。

 まあ文明のある国とはいえ、その権力の及ぶ範囲は狭い。

 国土の大部分は未開拓地で、森か山か川だ。

 人口約500万を有する世界最大の国家らしいけど、そこは仕方あるまい。


「この先かい?」


 ぼくの問いに、やはり返事はなかった。

 代わりにマリンは身を低くして震わせて、毛並みを逆立て、前方の道の奥をっと睨み付けている。

 するとそのとき――


『キエエエエエエ!』


 なんて大きな声が聞かれた。

 阿の断末魔だ。

 何度か実際に聞いたことはあるけれど、やっぱり慣れるものじゃない。

 無理矢理に比喩するなら、あれだ。

 ホラー映画とかドラマで、気の触れたお婆ちゃんが刃物を持って襲い掛かってくるシーン。あのときの声のイメージだ。


 それを聞いたマリンは、っとして身を上げた。

 普通の阿なら、この声を聞いた瞬間に、お荷物・・・であるぼくを振り落として、一目散に逃げているはず。

 でもマリンは、身を強張らせるだけで、すぐに逃げようとはしない。

 賢いやつだ。

 いまは、逃げ惑うよりも、ぼくの傍についていた方が安全だと、知っているのだ。


「誰か魔物に襲われている?」


 ぼくはマリンから降り、剣を抜いて身構えた。

 剣とは言ってもそう大それたものじゃない。

 あくまで護身用だし、屑鉄を叩いて延ばしてそれっぽくしただけのお手製。子どもでも片手で振り回せる程度のものだった。

 マリンは下手に放すと余計に危ないから、その手綱はもう片方の手でしっかりと握っておく。

 それから慎重に、ゆっくりと、悲鳴の聞かれた方に向かって進んでいく。


 ――これはまさか、運命の出会い?

 ほら、よくあるじゃない、ファンタジーもので。

 物語の序盤、なぜか襲われる人間たち。

 そこに颯爽と現れ、助太刀する主人公。

 あっという間に倒される魔物。

 で、助けられるのは国の重要な王族だったり、ヒロイン候補の美女ないしは美少女だったりする。

 そんなご都合主義な、でも分かりやすい運命の出会い。

 少しばかり期待しながら、ぼくは歩を進める。


 ――結論としては、たぶん半分くらい、ぼくの推理は当たっていた。

 主に『あっという間に倒される魔物』の部分。

 それ以外は、たぶんハズレ。

 だってさ、視線の先にまず見えたのは、むさ苦しそうな筋肉だるまのお兄さん二人だよ? 

 もしかしたら、万にひとつか億にひとつか、王族かもしれないけどさ。

 美女との出会いは、お預けだった。


 でも落胆している場合じゃない。

 ぼくのいまの人生の望みは、『みんなの役に立ちたい』だ。

 それがもし、目の前で人死なんて出たら?

 ぼくの希望と決意は、嘘っぱちになってしまうのだ。



 山の頂上付近の、やや開けた場所に、男二人がいた。

 見たところ、ひとりは両手で剣を握り締めた剣師ウオリアで。

 もうひとりは、へっぴり腰になっているけれど、槍師ランサだった。

 あとは。可哀想に、先ほど悲鳴を上げた阿だろう、地面に横たわっている。

 何故か、彼らの視線はどれも空を見上げていた。


 ぼくが森の中から姿を見せると、剣師の方のお兄さんが真っ先にこちらに気付いて叫んだ。


「逃げろ! 飛竜フリイ・エルビスだ!」


 言われてぼくは空を見上げる。

 すると、とんでもない速さで、視線を横切る姿があった。

 凄く巨大な、鳥だった。

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