第7話
キスシーンなどまったくなく、ただ手を繋いでいるだけで割引を受けることに成功した二人
腑に落ちないながらも、対面テーブルでクレープを食べる
「…我ながら謎のものを買ったな…。なんだこの…なんだ」
「いちごバナナキュウリのクレープ」
「なんで最後キュウリなんだよ…せめてキウイだろ」
そう言いながら夜斗はキュウリだけを先に食べ、残ったいちごバナナクレープを食べ進める
唯利はアイスが乗ったクレープだ
「キュウリさえなければ普通に美味いな。まじでこれ開発した人病んでるんじゃ…」
「…そうかもね。これも美味しい」
「くれ」
「はい」
唯利が差し出すクレープを受け取ることなくそのまま食べる夜斗
唯利にも自分のものを食べさせようと差し出し、ためらいもなく唯利はそれを夜斗の手から食べる
これで付き合っていないというのだから、世の中不思議なものだ
「美味いだろ」
「うん。これも美味しいでしょ?」
「ああ。中々美味かった。…む、唯利」
「なに?」
夜斗は立ち上がり、唯利の頬に手を伸ばす
ついたクリームを指で取り、舐めた
「気を使ったほうがいいぞ、俺だからいいが彼氏ができたらな」
「彼氏できる予定ないから別に…」
唯利は顔を逸らせた
機嫌を損ねたかと不安になる夜斗
(急に何をするかと思えば…!意識されてないのかな私)
(ふむ、これをしても反応がないことを見ると意識されてないな)
2人のすれ違う思考が、2人に眠るモノを揺さぶった
「さて、暇だし映画でも見るか。なに金は出してやる」
「いいの…?」
「ああ。そうと決まればさっそく4階に行くぞ」
ヴィヴィの4階にある映画館は、市内で最も設備が整っていると言われている
建物のどの空間にこんなにも広大な空間があるのか、と思うほどの巨大な上映場所が数個あるのだ
「何みたい?」
「恋愛物がいい。なにかある?」
「カスミトアケボノかカサネアワセがやってるな」
「どこかで聞いたようなタイトル…。カサネアワセにしよ」
「ああ」
チケットを買い、2人は中に入っていく
出てきたときにはもう夕方…というよりは夜だった
6時を過ぎ、空を見上げれば満月が2人を照らしている
「…お前わりと泣きやすいのな」
「…わるい?」
「いいんじゃないか?そういう新鮮な反応は見ていて和む」
唯利はまた目をハンカチで拭った
その反応は夜斗にとって珍しい
紗奈や朱歌は恋愛映画を好まない。霊斗はそもそも映画というものを見に行く事がほとんどなく、天音や桃香は紗奈や朱歌といくために趣味が寄っている
そのため、恋愛映画で泣く人は本当に珍しいのだ
「…見苦しいもの見せた」
「そうは思わんな。とはいえ俺は映画が合わないのはわかった」
「そうなの?」
「…なんか、音がうるさすぎる」
「…そう?映画としてはまだ優しい方だよ、恋愛映画は」
「元々耳がいいんだよ。馬の半分くらいだとか医者が言ってたな」
「単純に500m先で針が落ちた音が聞こえるってことになるけど…」
「その気になればな。普段は意識を逸らして近くの音に耳を澄ませている」
夜斗はそういって何かに気づいたかのようにピクッと反応した
と同時に唯利を抱きしめ、自分のコートで隠すように動いた
「な、なに…?」
「白鷺だ。2分後に目の前を通る」
「え…。なん、で…」
「わからん。エイラ、白鷺が通り過ぎたら白鷺の経路を予測して離れるようにナビゲート」
『りょーかい。迅速かつ丁寧に実行するよ』
クラスメイトの白鷺に対し、異常な警戒を示す夜斗
そして唯利は震えている。それはトラウマからくるものだ
過去に唯利は、白鷺とその仲間に無理やりされそうになっている。それがトラウマになっているのだ
その場を収めたのは当時同じ学校だった夜斗と霊斗、そして天音と紗奈の4人
5人は元々同じ中学に所属していたのだ
「あのーすみません。このあたりにこのくらいの身長のパーカースカートの女の子いませんでした?」
白鷺の声に、唯利がビクッと震える
そんな唯利を抱きしめる力を強めながら、夜斗は無言で駅を指差した
声を出せばクラスメイトの誰かであることがバレてしまう
そうなればこの嘘も、バレるだろう
「あ、ありがとうございます。くっそぉ、桜嶺ぇ!」
『マスター!逆方向すぐ右!突き当り左行って!』
「よくやった」
夜斗は震える唯利に歩けるか訊ねたが、答える余裕すらないらしい
呼吸が乱れ、立つのさえ危うくなりつつあった
「やむを得ん。タクシー!」
近くにいたタクシーを呼び止め、乗り込む
すぐに出してもらい、エイラの指示通り車を進めさせる
『……!マスターすぐ降りて!』
「どうした?」
『それ、白鷺家のタクシー偽装車だよ!発信器ついてる!』
「ドライバー!ここで降りる!釣りはとっとけ!」
時間稼ぎをされてはたまらないと、夜斗は万札を2枚投げつけてタクシーを降りた
まだ震える唯利。隣に車が止まった
(万事休すか…!)
「だから言ったでしょ、夜斗。いざとなったら電話しなさい、って」
「あ、あんたは…桜華凛…!」
「凛お姉ちゃん、よ」
「なんでもいい!俺の言うとおりにつれて行ってくれ!」
「どうしよっかなぁ。泊まりにくるなら、考えてあ・げ・る」
「それでもいい!早く遠くにいかないと…!」
「…そんなにその子が大事なんだ。いいよ、乗って。飛ばすから」
乗り込むと同時に車が走り出す
桜華凛。黒淵とは別の親戚ではあるが、曽祖父の従兄の曾孫という遠いものだ
何かと夜斗を気にかけており、時折こうしていきなり現れる
「エイラ…」
『りょーかい。とりあえず1号線東に進んで、峠を超えてもらって。できれば旧道』
「桜華凛、箱根峠を旧道で頼む」
「えー…あそこ疲れるんだけど…。まぁいいけどさ、掴まってなよ?じゃないと」
凛は楽しそうに笑った
しかしそれは、心の底から恐怖を感じるものだ
「死ぬよ」
「は?」
急加速した凛の車は、国道をひたすらに東に進んだ
これは法定速度だ。しかし峠の入り口で、凛はさらにアクセルを踏み込んだ
サイドブレーキを駆使して後輪を滑らせ、峠道を通り抜けていく
「うぉぉぉおおお!!?」
「あはは!いいねその反応!新鮮で面白いよ!」
「言うとる場合か!?」
「逃げるならこのくらいしないとねぇ」
唯利を抱きしめて守るのに精一杯な夜斗は気づかなかった
ドリンクホルダー。そこに乗せられた蓋のないコーヒーが、全くこぼれていないことに
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