ヒメコウゾ

古博かん

ヒメコウゾ

 ひひさん、ひひさん、遊んでおくれ。


 掌で、ころりとすると、ひひさんは、ポンと鳴った。

 優しいお顔でじっとこちらを見て、ええ、いいですよ、と静かに、陰りのある微笑を浮かべている。目の前で、無邪気に喜ぶ童女おんなのこの姿を見て、小さな白い手に掲げる小さな扇が、ポンと鳴った。

 あくる日も飽くことなく、ひひさんと、きゃっきゃと遊ぶ可愛らしい声が、庭の端までよく響いた。 何かの拍子に、ひひさんが、ポンと音を立てると、その度に、紅葉のような手を打って、喜ぶ姿が縁側えんがわからも、よく見えた。

 

 その可愛らしい手が、一回り大きくなった頃、よく響いていた笑い声は、弱々しく咳き込む音に変わっていた。頭も上げられない童女おんなのこ枕辺まくらべで、ひひさんは、変わらない微笑を曇らせたかのように、静かに座す。


 ひひさん、ひひさん……、遊んでおくれ……。


 すっかりと弱り切った指先を、震わせながら精一杯伸ばした、触れるか触れないかの、その先で、ひひさんは、全身を震わせて、ポンと鳴った。優しく物悲しい、小さな、とても小さなポンだった。

 それが、ひひさんの立てた、最後の音だった。


 その年が明けて、上巳じょうしの日、ひひさんは一人、行ってしまった。

 緩やかな流れの浅瀬に、そっと降ろされて、幾重にもなる紙畳の上に、凛と腰を下ろし、前を見据えて流れていった。家人かじんが見送るその先で、ひひさんは、渦に巻かれ、急流に揉まれる勢いのまま、滑るように消えていった。

 

 弱々しかった童女おんなのこの手は、それから、一回り、更に二回りと、白くほっそりとした優しい表情を見せながら、大きくなった。


 ひひさんが流されたと聞いて、涙に暮れた幾日かのち、嘘のように元気を取り戻した童女おんなのこは、いつしか、すっかりと素敵な娘さんとなり、是非にと望まれて、嫁ぐ日を間近に控えている。


 あれから時々、空耳に、ポンと聞こえることがある。「あら、まただわ」と、小首を傾げながらも、娘さんは、心の内で、そっと囁きかけてみる。


 ひひさん、ひひさん、遊んでおくれ。


 ええ、いいですよ、と返ってくるかもしれないと、今日もまた、息を潜めて娘さんは、そっと耳を澄ませている——。

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