終章 紅秋と蕨

+1話 32564を越えていく

蕨ちゃんへ


 誰かに手紙を書くのは、多分初めてです。

 わたしはあんまり自分のことを言葉にするのが上手くないと思う。考えるのも苦手で、感じるのも下手で、生きるのに向いてない? もしや。


 でも、やっと幾つか解ったよ。


 蕨ちゃんは、わたしを大事に思ってくれてた。

 蕨ちゃんは、わたしをちょっと嫌いだった。

 蕨ちゃんは、川口の旦那様を大好きだった。

 そして、蕨ちゃんはもういない。


 そう。

 いないんだね。



 わたしきっと、生きることをサボってた。

 目の前のものが見えてなくて、聞こえた声が聞けてなくて、できることだけで生きてた。


 それじゃ、できないことはできないままなのに。

 そんなの、生きてても、生きてないようなものなのに。



 できないことができるようになりたい。

 ひとの話をいっぱい聞いて、知らなかったことを知って。

 そしたらわたし、きっと今より生きられる。

 それをあのひとたちが教えてくれた。



 ねえ蕨ちゃん。


 わたし、寿命を伸ばしてもらったよ。

 時間をもらったよ。

 それは凄く重みのあるもので……少しも無駄にできないと思うんだ。


 でも、絶対に、ちびちび使うっていう意味じゃない。

 むしろ逆で。


 この命をなにに使えるか、試したくて仕方ない。

 残りの時間、なんて思わない。

 この時間で、なにができるか。

 わたしは、どこまでいけるか。

 この世界に、なにを残せるか。


 今はまだ、なにも解らないから……とりあえず、寿命をもっと増やすよ。

 そうだね、まずは……それを目標にする。



 それじゃ、そろそろ行くよ。

 落ち着いたらまた書くね。



 わたしは、あのひとが設定してた時間を……32,564を、越えていく!


            紅秋




 電脳創衣に打ち込んだ文字列を、実行する。

 プログラミング言語ではないそれは当然術式にはならず、なにも起きはしない。


「蕨ちゃん」


 部屋の窓から空を仰ぎ、電脳創衣を掲げる。

 まるでその文字列が飛んで、どこかへ送信されるというように。


 それから窓枠に頬杖をついて、軽く息を吐く。


 この感情を、どう言い表したらいいのか解らない。

 ただわけもなく泣きたいような気分に襲われる。それでいて、口元は勝手に笑みを形作る。唇がほとんどひとりでに、いつか口にした言葉をなぞる。


「長生き、するよ」


 しかしその響きは、以前とはまるで違う。


「力の限り」



 覚悟でも意志でもあるそれは、とびきりの輝きを纏って空に溶けていった。

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絶命の32564 ヴァゴー @395VAGO

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