第6話 サイ・ヤング賞

 結衣里ゆいり先輩っていったい何者なんだ?

 美菜みなを見送った後、俺はそればかり考えていた。

 俺の感覚が正しければ、ただの日本一可愛い女子高生に142キロのストレートは受けられない。

 男子でも、このスピードとなると身体正面であんな受け方をするのは難しい。

 本人に聞いてもたしなむ程度って言われるだけだし……なんか少しモヤッとする。


「拓哉、早速今日からトレーニングを開始するのだけど、その前に少し意識改革をしましょう」

「意識改革?」

「そうよ、あなたは何の目的を持って野球をやっているの?」

 何を……何をって、そりゃ決まっている。


「甲子園に出ることです!」

「だから負けたのね」

 熱い想いを鼻で笑われた。なんかイラッとするぞ。


「そんなに低い志で勝てるわけないじゃない」

「低い志?」

 さらにイラッとするぞ。


「全国大会に出場したいだけなのでしょ? 

それでは、そこで勝つため、そこで優勝するために準備しているチームには勝てないわね」


 あ……そういう事か。


 確かに俺は甲子園に出たいと思ってずっと頑張って来たが、甲子園で勝つ事、甲子園での優勝を考えた事はなかった。


「何となく分かった? これが意識改革よ」

「……はい、何となくは、分かりました」


「よかったわ、ひとことで甲子園を目指すと言っても様々な考えを持つ人がいるの。

 プロへの足掛かりと考えている人、

 全国制覇を考えている人、

 甲子園出場だけを考えている人、

 どの道も大変である事には違いはないけど、練習に取り組む意識、自分を磨く意識に明確な差が出るの……拓哉自身が良い例よね」

「俺自身が……?」

「全国制覇やプロを考えれば、ケアは怠らなかったはずよ、普通に考えれば分かるでしょ? それらを目指すと単純に試合数が違うもの……となるとケアや身体作りはマストなの」

 ……なんか難しいけど何となく分かる。


「拓哉、甲子園は目的を達成する目標と考えて、目的を変えなさい」

「目的? 目標?」

「例えばあなたがサイ・ヤング賞を目的に掲げたとしましょう」

 サイ・ヤング賞……投手としては世界最高峰の賞じゃないか……えらくぶっ飛んだな。


「でも今は、何の足掛かりもないでしょ?

 まずメジャーリーガーにならなくてはならない。

 ローテーションに入らなければならない。

 メジャーリーガーになる為には、海外にその名を轟かせなければならない。

 その為には国際大会で活躍しなければならない。

 その為には日本代表に選ばれなくてはならない。

 その為には甲子園で活躍しなければならない……この過程が目標よ」

「なるほど……つまり俺は戦う前に、意識で負けていたって事ですか」

「そういう事よ……だからと言って常に高い意識を持つものが勝つとは限らない。拓哉も肘を犠牲にして、惜しいところまで行ったものね」


 意識改革……少し話を聞いただけなのに、自分の考えが甘かったと気付く。


「さあ拓哉、あなたは何処を目指すの?」

「サイ・ヤング賞を目指します!」

 意気揚々と即答したが……、




「……」




 しばらくの間、沈黙がこの空間を支配した。


「本気なの?」

 ……目指すとは言え盛り過ぎってことか。


「身の程知らず過ぎですかね?」

「いいえ、そんな事は無いけれど……大きな目的には大きな覚悟が必要なの、拓哉にその覚悟があるのかしら?」


 覚悟……厳しい練習って事か。


「はい!」

「いい返事ね、でも私はサイ・ヤング賞の取り方なんて知らないから、サイ・ヤング賞を取れる選手のパフォーマンスを目指しましょう」

 サイ・ヤング賞を取れる選手のパフォーマンスか……考えたこともなかった。

 

「分かりました! 俺頑張ります!」

「頑張るのは誰でもできるわ、結果を残しなさい」

「はい……」

 熱いのかクールなのか、よく分からない人だ。


 ***


「ところで結衣里先輩、今日、野球部の練習休みなんですけど……どうします?」

 俺がこんな質問をするのは、結衣里先輩とのトレーニングは野球部の練習の後に行われる事になっていたからだ。


「そうね、学校へ行きましょう。準備して」

「はい」

 今は夏休み真っ最中。野球部も休み。ちなみに今日のオフは決勝の前から決まっていた。

 ところで、学校へ行って結衣里先輩……何をするんだろう。まさか、ノックでもしてくれるのだろうか。


「結衣里先輩、学校で何をするんですか?」

「インナーマッスルの強化よ」

「インナーマッスル?」

「あなたも既にやっていたかも知れないけど、結果がそうなったって事はやり方を間違えていたのよ」

「そ、そうなんですね!」

「……やってこなかったのね」

 軽く見透かされた。

 インナーマッスルのトレーニングは聞いた事があるし、中学のチームでも推奨されていた。

 でも、何か地味だったから積極的にやってこなかった。


 ***


 結衣里先輩に連れられてやって来たのは、水泳部が使う室内プールだった。


「水着、持って来たわよね」

「はい、言われてましたので」

「では、着替え終わったらここに集合よ」

「はい!」

 も……もしかしてプールで指導してもらえるのだろうか。

 水中でのトレーニングは故障箇所への負荷も少ないと聞く。

 ……結衣里先輩の水着姿。

 ヤバいな……俺は日本一ラッキーな男子高校生かも知れない。


 でも、着替え終わって待ち合わせ場所に戻ると……、

「早かったわね」

 結衣里先輩は水着ではなかった。


「どうしたの? 残念そう……いえ、残念な顔をして」

 それをわざわざ言い直さないで欲しい。


「いえ、なんでもありません!」

 ていうか表情に出すとすぐに気付かれてしまう……気を付けないと。

 

「残念ね、私の水着姿が見れなくて」

 お見通しだった。


 結衣里先輩に連れられてプールサイドに出るとプールを使っているのは女子水泳部だった。女子水泳部と言えば我が校の誇りと言われる岩崎先輩が所属する部だ。


「おっ来たね!」

「こんにちは、岩崎」

「彼が例の?」

「そうよ、お願い出来るかしら」

「任せといて!」


 どうやら俺の知らないところで結衣里先輩と岩崎先輩の間で話が進んでいたようだ。

 岩崎先輩……こんなに間近で見るのは初めてだけど、めっちゃ綺麗な女性ひとだ。


「拓哉、紹介するわ、彼女が水泳部主将の岩崎いわさき 奈央なお。知っていると思うけど、女子メドレー全国3位の快挙を成し遂げているわ」

「もちろん知ってます!」

 なんか緊張する。


「はじめまして、エースくん、岩崎だよ」

 え……エースくん?


「はじめて岩崎先輩、武田です」

「君の事は知ってるよ! 有名人だもん! 昨日の決勝は残念だったね」

「いえ……実力不足でした」

 結衣里先輩に出会う前の俺なら『マジ惜しかったっす』なんて言っていたのだろうけど、あの話を聞くと流石にそんな気は失せる。……ていうか俺が有名人ってどういうこと?


「では、お願いね」

「オッケー! お願いされた」

 結衣里先輩は岩崎先輩に俺を任せて何処かへ行ってしまった。


 ……何も聞いてないのだけど。


「さあ武田、早速はじめようか!」

 テンション高い人だなぁ。


「ビシバシ行くから覚悟しておいてね!」

 ビシバシ……その言葉に、期待と不安が入り混じる俺だった。

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