第8話 私色に染まりなさい

 ペアストレッチ……本当にヤバかった。こんなにも刺激的な準備運動があるだなんて、俺は知らなかった。

 今日はなんとか耐える事が出来だが、明日もと言われると正直自信がない。このままでは甲子園を目指すどころか、下手したら性犯罪者になってしまう可能性だってある。

 岩崎先輩が言うように集中力を高めて雑念を振り払う事が急務だ。


 ……まあ、とにかく先輩方を信じて、今はやるしかない。


「よし、じゃプールに入って」

「はい!」

「まず、どれぐらい出来るか見てみたいから普通にバタフライで泳いでみてよ」

「了解です」



 ——泳ぎはじめてすぐに気付いた。……身体が軽い。

 昨日、結衣里先輩にマッサージをしてもらった時もそうだったけど、身体のパフォーマンスが全然違う。

 これはストレッチの効果……だよな。

 故障を防ぐだけじゃなくて、こんなにもパフォーマンスが変わるのか。


「なかなかの泳ぎっぷりだね」

「ありがとうございます」

「野球部のエースだけあって身体能力高いね! 羨ましいよ」

 

 岩崎先輩に背中を触られた。

 これは多分、水中じゃなかったらバンバン叩かれてるやつだ。


「筋はいいんだけどさ、立花に頼まれたのは、速さじゃなくて正しいフォームで泳ぐことだから矯正させてもらうよ」

「はい!」

「じゃあ、ゆっくりやるから私の肩の動き真似してみて」

「はい!」

 プールサイドでは、一身上の都合でガン見する事が出来なかったが、水の中では別だ。

 俺は岩崎先輩をガン見した。


 ……正直自分のフォームとの違いはイマイチ分からなかった。自分がどんなフォームで泳いでいるか分からないからだろう。


「ちゃんと見た?」

「はい! しっかりと!」

「変な気起こさなかった?」

 うん……そういえば、がっつりガン見するつもりだったのに全然そんな気にならなかった。


「はい!」

「集中出来てる証拠だね、今度は私のフォームを真似て泳いでみて」

「はい!」

 集中か……確かに集中していた。


 俺は一旦自分のフォームを捨てて目に焼き付いている岩崎先輩のフォームを真似るイメージで泳いでみた。


 さっきより変な力みが消えた気がする……フォームを変えるだけで、こんなにも違うのか。


「いや、なかなかびっくりだね……武田、水泳のセンスあるよ!」

 水泳部のエースにそんな事を言ってもらえるなんて、お世辞でも嬉しい。


「でもここの動きがちょっと違うかな」

 岩崎先輩は俺の腕をとり、フォームの調整をはじめた。

 本当に手取り足取りじゃん!


 そういえば、結衣里先輩には他の人に身体を触らせないように言われていたけど、これはいいのだろうか?


「こうですか?」

「いや、もっと胸のあたりも意識して欲しいかな」

 おもむろに胸を触られた。……これ、逆の立場ならえらいことになる。


「角度はこんな感じでね!」

「はい!」

 ヤバいボディタッチが半端ない。それに……背中に胸の当たる感触がする。


 水中でよかった。

 心の底からそう思った。

 

 その後も何度かトライしたが、先輩の合格点には至らなかった。


「よし、今日はここまでにしよう」

「ありがとうございました!」


 結構ハードだった。

 部活の後にこれと同じ内容やれって言われたら軽く死ねるかも知れない。


 ……そして俺は、プールから上がると俺は足元がフラつき、岩崎先輩に倒れかかってしまった。

 決して気を抜いたわけではない。


「もしかして……狙った?」

 そしてその拍子に、頬と右手が胸に触れていた。


「すみません狙ってないです! わざとじゃないです!」

 慌てて飛び退いたら、プールに落ちてしまった。


「あははは、その様子だとわざとじゃないね」

 お腹を抱えて笑う岩崎先輩、許してくれたのだろうか。


「はい」

 プールから上がろうとすると岩崎先輩が、手を差し伸べてくれた。

 手を取ると、最初は引き上げてくれる素振りを見せたが、お約束のようにもう一度プールに突き落とされた。


「今のは、おっぱい触った罰だよ」

 なんて言いながらも屈託のない笑顔を向けてくれる岩崎先輩。

 なんか俺……青春してる。

 そう感じざるを得なかった。


「クールダウンに軽くストレッチしようか」

 岩崎先輩の個人レッスンの締めも、ペアストレッチだった。


 疲れていたせいかアップ時ほど、悶々とはしなかったが、前屈ストレッチの時に当たる胸の感触だけは無理だった。


「お疲れ武田!」

「ありがとうございました!」


 ……めっちゃ疲れた。

 慣れない水中ってのもあるけど、あんな美人に指導されると、必要以上に身体に力が入ってしまう。

 


 ***



 着替えを済ませて更衣室から出ると、結衣里先輩が待っていた。

「結衣里先輩、今までどこに?」

 素直に疑問を伝えてみた。


 すると……、

「あなたの練習をずっと見てたわ」

 想定外の答えが返ってきた。


「えっ……すぐにプールから出られましたよね?」

「上にいたのよ」

 観覧スペースに居たのか。


「ペアストレッチでメロメロになっていたところも、フォーム矯正でデレデレになっていたところも、練習終わりにヘロヘロになって胸を触っていたところも、クールダウンでエロエロの顔になっているところも全部見ていたわ」


 ……言い方。


「あっ、そうだ、俺ひとつ気になっていたんですけど、岩崎先輩に結構身体触られたんですが、それはよかったんですか?」


 結衣里先輩はニヤリと笑った。


「構わないわ……必要な事だものね」

 必要ならいいって事?


「私が紹介するコーチになら、指導時に触られるのは問題ないわ……その後、仲良くなっても関係を持つのは今のところダメよ」


 ……関係って。


「ていうか、なんで女子水泳部なんですか?」

「女子の方が頼みやすいからよ私が……」

 何でもない理由だった。


「でも、おかげでいい思いしたでしょ?」

「いい思いっていうか」

 ……その代わり色々危なかった。


「岩崎の言う通り、集中力をもって取り組めば、拓哉のエロエロな顔も少しはまともになるわよ」

 え……エロエロの顔って。


「さあ、帰りましょう。今日のカリキュラムは、まだ終わっていないのだから」

 げ……まだあるのか。

 何気にハードスケジュールだ。


「結衣里先輩……これ練習終わりに毎日やるんですか?」

「毎日は無理でしょうね、あなたの体の状態を見て判断するわ」

 根性論で押してくるのかと思ったらそうでもなかった。


「毎日やったほうが効果が高いと思っていた?」

「そりゃ毎日できるに越したことはないと思います」

「毎日はできないわよ……毎日練習するための体作りをすれば出来るのかもだけど、それでは本末転倒でしょ?」

 ……確かに。


「努力は闇雲にすればいいってものじゃないの、でも拓哉には私がいるから、安心して努力しなさい……そして私色に染まりなさい」

 ……私色に染まりなさいって……なかなか聞かないセリフだ。


 でも、なんだろう……とても安心できるセリフだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る