第12話 私の答え

 契約面談の翌日、東山から連絡が来た。会社が終わった後で、食事しながら話さないかという内容だった。考えてみれば、東山と二人で食事を予定するのは初めてだった。

 進路で迷っていたこともあって、誰かと話したいと思っていたので、迷わず承諾の返信をした。東山と会うのは温泉旅行以来となる。


 仕事が終わって急いで駅に向かう。緊急事態宣言が出て以来、都下で人と会って食事をするのは初めてだ。

 吉祥寺の駅では、気のせいか自宅に急ぐ人たちがいつもより多い気がする。考えなしの若者たちが徒党を組んで飲みに行く姿を見れば、それはそれで眉を潜めてしまうが、これだけ帰宅する意思を明確に示した人たちの中にいると、アウェイ感が半端なく胸を突き刺す。

 駅を出て井の頭公園に向かって歩き出すと、少しずつ飲み会に行く人が目につき始める。公園の周囲には意外といい店が多い。私の前を歩くカップルもきっと二人で甘い時間を過ごすのだろう。

 待ち合わせた店に着くと、まず手の消毒をして次に検温してから席に案内される。東山は既に来ていた。

「お疲れ!」

 私がマスク越しに挨拶すると、東山は苦笑いをして「お疲れ様です」と丁寧に返してきた。東山は既にマスクを外していた。


 初めて来たタイ料理の店だったので、素直にコース料理を頼む。メインは伊勢エビのトムヤムクンで辛そうだが気合が入りそうだ。

 シンハービールを頼んで、まずは乾杯する。

「ところで、ボストンの話は考えてくれました?」

――まだあきらめてなかったのか……

「この前、断ったじゃない。アメリカには行かない」

 みるみる東山の顔に、落胆の色が現れる。

「やっぱりダメですか。柴田さんのお母さんの話を聞いて、あきらめずに頑張れば思いは通じるかなと期待したんですが」

「極端だよ。アメリカだよ。今行ったら、次いつ帰れるか分からないとこだよ」

 私の勢いに東山はまいったという表情で半笑いになった。

「まあ、そうですね」

「なんでそんなに私と一緒に行きたがるの?」

 私はまだ東山の真意を測りかねている。


「もちろん寂しいという気持ちは否定しませんが、」

――うん? なぜここで意味深に言葉を切る?

 私は早く言えよという言葉を危うく飲み込んだ。

「違うと言われるかもしれませんが、美紀さんは他人ひとのことが良く見えてると、感じるんですよね」

「なんでそう思うの? 私と一緒にいる時間はほとんどないじゃん」

「そんな短い時間でも感じるんですよ。例えばお店でも、昼間のお客さんの話をしてくれたじゃないですか。その人の仕事とか体形とか性格とか、いろんな事考えて服の話をしてるし、同じ営業として凄いなと思いました」

――そう言えばそんな話をしたかもしれない。でもたわいのない話だ。

「詩織さんのときもそうです。彼女の気持ちとか性格とか、ほんとに正確に言い当ててました。一緒に働いていたのに分からなかった」

――それはあんたが鈍いからじゃない。

 そう言いたかったが、褒められてるわけだし、ここは言わないでおいた。

「そういう姿を見てると、知らない国で仕事をしていく上で、かけがえのないパートナーに成るような気がするんですよね」

「そんなにたくさん褒めてくれてありがとう。でもそれは買い被りだよ。言葉だってわからないし、きっと単なる足手まといになるよ」


 メインが来たので、食べることに集中した。食べながら最近よく人に褒められると、不思議な気持ちになった。どこかで流れが逆転して、四面楚歌になる恐怖もあるが、いいことも悪いことも、いつかは変わるという主義であるから、いい時はとりあえずいい気になろうと開き直った。


「ところでさぁ、今の職場で派遣から契約社員に成らないかって、話があるんだよね」

「へぇー、アパレルでしたっけ。この時期に珍しいですね」

「そうなんだけど、条件があるのよね。仕事の内容が変わるんだ」

 東山が興味を持ったのか、身を乗り出してきた。

「どんな仕事ですか?」

「モバイル・コーディネーターって名前なんだけど、会社が用意したSNSサイトで、登録したお客様のファッション相談に乗る仕事なの。例えば、今日はデートでどこどこに誰と行くみたいな話を聞いて、じゃあこんなコーディネートにしたらって答えるみたいな」

「それは面白いですね。実はAIもその分野の研究は進んでいて、いろんなインプットをもらって、ベストチョイスを提示する仕組みがあります。ですが、どうも満足度が低いんですよね。何が足りないのかいろいろトライしてるんですけど、効果的なアイディアがなくて」

「そう言えば、うちのサイトもAIを使ってると言ってた」

「学習をしていくに従って、どんな服を選んだらいいかとかは、できるようになるんですけど、それを着た人を褒める言葉がなかなかヒットしないんですよね。愛玩用のロボットなんかだと、多少ピントのずれた言葉もご愛敬なんですが、容姿に関する誉め言葉には人って意外と厳しいんですよ」

「じゃあ、私の仕事って意外とAIに、取って代わられないかもしれないわね」


 東山が何かに気づいたように声をあげた。

「あー、もうその仕事に気持ちがいってますね」

「だから、仕事は関係なくアメリカには行かないって。私はまだ日本が捨てきれないの。ところで、あんたはいつ行くの?」

「はい、三月三日に行く予定です。会社にはもう話しました」

「ふーん」

 そのとき、ふと詩織の顔が浮かんだ。

「そう言えば詩織さんには話したの?」

「はい、アメリカに行くと言ったら、あっさりフラれました」

「ついて行くってタイプじゃないもんな」

 詩織の涼し気な顔に秘められた、男をコントロールしたい願望が透けるような目を思い出して、東山の意志の強さが思惑と外れたのだと納得した。


「ところで、柴田さんとマリエさんのその後って、何か聞いてる?」

「いえ、連絡してないようです」

「そうか、あんな凄い実家を見せられると逆に引いちゃうよね」

 私は雪華荘の伝統がしみ込んだような門構えを思い出した。

「そうですか? なんでそういう風に考えるんですか?」

「へっ」

 東山からの思わぬ反撃に私は怯んだ。

「だって、あれだけの旅館の切り盛りを任されるなんて、すごいチャンスじゃないですか。何かできないとあきらめるのは勿体なくないですか?」

「できなかったらどうするの?」

「できなくても責任を感じることはないと思いますよ。柴田さんだっているし、向こうのご両親も健在だし、そんな一人で責任を感じることないんじゃないですか?」

「そうはいってもねぇ」

 私は東山にはきっと分からないんだと思った。こんな状況で渡米して、新しい仕事にチャレンジしようなんて能天気な男だ。私たちの不安でいっぱいの繊細な神経を、理解できるはずがない。

「でも、柴田さん四月には実家に帰るみたいですよ」

「早いね」

 話では夏頃と聞いていたが、それだけ実家の経営も大変なんだろう。


 私のラインに着信があった。

「あっ、マリエさんだ」

「噂をすればですね」

「明日、会おうって書いてある」

「きっと柴田さんのことを相談したいんですよ」

「そうかもね」

「いいですか、背中を押すんですよ」

「私が? 嫌だよ、責任かかりそうじゃない」

「そんなことないです。会っておいて肯定も否定もしない方が、無責任だと思います」

「そんなもんかなぁ」

「そんなもんです」

 いつの間にか東山の言うことに、反論できなくなってきている。

 主導権を取られて悔しいが、やっぱり男の子だと見直した。


 東山と別れて石神井行のバスに乗る。八時半だというのにバスは満員で座れなかった。マスクをしてスーツ姿の乗客を乗せた満員バスは、見方を変えれば不気味な車だと思った。ひと昔前ならこの光景は、反社会的勢力の集団ご用達の車に見えるかもしれない。

 バスを降りて家まで歩く間、もう東山に会うこともないかもしれないと思うと、不意に寂しくなってきた。別に好きでもないし、ボストンに一緒に行きたいとも思わなかったのに、昔飼っていた猫が死んだときに感じたような、やりきれない思いが膨らむ。


 家に帰ると父さんがまたみかんを食べていた。母さんはと訊くと風呂と答えた。

「父さん、私アメリカ行くのやめたよ」

「そうか」

「東京でやりがいがありそうな仕事が見つかったんだ」

「良かったな」

 なんとも話しがいのない父親である。

 私はまともな答えが返ってくるのを諦めて、二階に登った。

 明日はマリエさんと会う。果たしてどんな結論が待ってるんだろう。

 ベッドに倒れこんで、天井を見つめながら、明日のことを考えてるうちに、意識がスーッと遠のいていった。

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