根性見せろよ!

ヨーイチロー

第1話 勧告

――で、そういうことで、ごめんねミサちゃん。

 そういうことって何? まだ、まったく納得してないのに、一方的に要件を告げられて、話は終わったとばかりに電話を切られた。

 こいつはいつもそうだった。本来の自分の役割を理解してない。面倒ごとに成ると思考停止になって、相手の気持ちを思いやることができなくなる。

 この業界の男はいざという時にまったく頼りにならない。


 私はわざと忌々しそうにスマホをバッグにしまい、振り返って今出て来たばかりの巨大なビルディングを見上げる。

 最後の頼みの綱は、図体ずうたいだけは立派だが、中身はウィルスという名の白蟻に食いつくされて崩落の危機に陥っている。

 以前は誇らしげに見えていた『TAKAKURAYA』のロゴも、気のせいか色あせて見える。


 私の名前は森山美紀もりやまみき。百貨店大手高倉屋新宿店の婦人服売り場の一角を占める、アパレルショップ『アリア』の派遣販売員だ。登録しているIJBからアリアに派遣されて、二年が過ぎようとしている。アリアは二つ目の派遣職場だ。

 派遣法という法律のせいで、同一職場への派遣は三年が限度となった。前の職場からは契約社員の話があったが、自由が無くなる気がして断った。

 断れたのには訳がある。私はミサという源氏名で、キャバ嬢としてアルバイトしているのだ。


 需要はそれなりにあった。週末はそれなりにお客さんも来て、女の子の数が足りなくなるから、数合わせに重宝された。客も数合わせと分かっているから、適当に接してくるので変な駆け引きで頭を煩わせることもない。客がいない日も、出勤するだけで時給が貰えるのだから、これほど美味しい話はない。

 働く前は抵抗があったが、飛び込んでみると今しかできない、割のいいアルバイトだと思えた。

 唯一気に成ったのは、職場の人間に知られることだったが、吉祥寺迄足を延ばしたので、心配が現実に成ることはなかった。


 昼間と夜、両方働くことで、時間と体力は消耗したが、若さゆえかあまり気には成らなかった。時間があってもアパレル職場には、気に成るような男はいないし、女子的なヒエラルキーもめんどうで持て余していた。ましてや将来に向けて勉強する気には成ったことがない。

 もちろん将来に向けた漠然とした不安はあるが、焦って考えてもどうなるものでもないし、ここ三年は、気ままな生活を謳歌していた。


 それが一変した。コロナという名の性悪な悪魔が世界中に現れたのだ。通りから人が消え、当然のように売り場は閑散とした。それでなくてもアパレル業界は、販売員よりはるかに気安く専門知識を提供し、安く商品を提供するネット販売が、店頭販売を駆逐し始めていた。更にコロナの脅威がネットに追い風を向ける。勝負あったの感が強い。


 アルバイトはもっと悲惨だった。キャバクラの本場歌舞伎町では、クラスターと呼ばれる感染者の集団が続出し、世間から冷たい視線を向けられた。当然流動的な男たちは一斉に引いていき、営業は縮小していく。

 吉祥寺も都内ほどではないにしろ、客層は大きく変わった。新規客はほとんど望めず、常連さんも回数を減らす。都知事が颯爽とテレビ画面に登場し、何の保証もない自粛を叫んでいる。私には死刑宣告のように聞こえた。

 今日ついに、私にも店長から出勤調整が通告された。今まではこちらが出てやる的な立場だったのにと、立場の変転に唇を噛む。


 と、まあ、悲惨な状況にあるわけだが、両親と同居してとりあえず生きていける保証があることから、マスコミの報道ほどは困っていない。

 とりあえず、出勤前にご飯の約束があったので、吉祥寺に向かうことにした。


「そうかぁー、出勤調整入っちゃったか」

 マリエさんは自分のために顔をしかめて同情してくれた。あるいは自分たちの店が、そこまで追い詰められていることに、先の不安を感じているのかもしれない。

 マリエさんは、今年二八才に成った。短大に通っているときから、今のお店『クィーン』で働き始め、卒業後もアルバイトをしながら、いつの間にか本業になってしまった八年目のベテランキャストだ。

 最近は若い子のように、飛びぬけた売り上げを上げることはないが、それでも安定した常連さんに支えられて、店でも貴重な存在だ。

 どこを気に入られたのか分からないが、私のことは何かと気にかけてくれて、今日のように出勤前のご飯に誘ってくれたりする。


「まあ、私のように中途半端な存在は、こういうときに弱いですよね。出勤調整が掛かるのも、仕方ないと思います」

 そう言いながら、自分が情けなかった。実は昼の世界でも居場所が無くなりつつありますとは、最後の意地が顔を出して言えなかったが、昼でも夜でも必要とされない気がして、我ながら困ったものだと自嘲する。

「あんまり考えすぎない方がいいよ。ミウラにとっては私たちは商品だから、情なんか移さないし、逆にこういうときに甘い言葉をかけるやつの方が危険だから」

 ミウラとはうちの店長だ。いつも一生懸命働いているし、女の子にも気持ちよく声を掛けてくれる。いい人だと思っていたが、こういう事態に成れば、やっぱりお店の人なんだと思い知らされる。

「なんだかご心配をかけちゃってすいません。私、大丈夫ですから」

 これから出勤するマリエさんに負担を掛けたくなかった。

「そう、じゃあ、そろそろ時間だから行くね」

 マリエさんはかに玉定食についていた中華スープを飲み干すと、バッグを手に立ち上がった。

 私は既にチャーハン定食を平らげている。寒さが空腹を刺激して、こんなときでも食は進む。


 店を出てマリエさんと別れると、さてどうしたものかと思案する。職も危ういことだし、このまま帰ってしまうのも一計だが、どうも気分が冴えない。コロナの来襲によって、自分の人生設計のいい加減さを見せつけられてしまった。

 かと言って、家に帰って明日に備えて何かを学ぼう、という気はまったくない。

 結局やけ酒を飲むために、パブに向かった。

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