第11話 岐路

 久しぶりに身を切るような緊張が身を包む。

 一方、私の派遣元の担当である沖田は涼しい顔をしている。私がクライアントから切られるかもしれないというときに、まったく呑気なもんだ。もう五年のつきあいになるが、派遣会社の営業なんてドライでなきゃやっていけないのだろう。


 沖田から電話が入ったのは昨日の夕方、退社してからだった。今は夜のバイトもないし、緊急事態宣言で飲みに行くこともできず、まっすぐに帰宅する電車の中だった。私は迷惑な若者と思われたくなくて、わざわざ次の駅で下車して電話を掛けなおした。

 電話の内容はシンプルだが重たい内容で、アリアの人事部長と店長が沖田立ち合いの下で、私と面接したいと言うのだ。

 私の契約期限は今月末だが、契約終了なら一か月前に告知されるはずだった。年末に告知される。その話は無かったので、勝手に更新と思っていたが、独りよがりだったかもしれない。

 労働基準法に従って、一年以上続けて勤務した場合は、三十日前までに告知すると、以前沖田から説明されたが、今回はどうなるんだろう。法律家ではないので、詳しいところはよく分からない。

 第一派遣先の責任者が、首切り通告に立ち会うというのも聞いたことがない。たいていは担当から告知されると聞いている。だが、絶対そうなのかと言われると自信がない。


 アリアの応接室で、沖田が何も話してくれないから、私も黙って先方が現れるのを待っていた。

 コンコン。

 リズミカルにノックされて、ドアがぱっと開いた。人事部長の羽澤はねさわが店長の木下きのしたを伴って入って来た。

 羽澤穣一じょういち、契約時には必ず現れる律儀な男だ。アリアのナンバーツーで、人事以外に新事業企画や店舗管理なんかも行っている。まだ四十代前半と若いのに、髪の毛真っ白で気苦労の多さが察せられる。

 木下秀信ひでのぶ、もう二年の付き合いと成るが、分かったのは彼がゲイだということだけ。客も従業員も女性ばかりの職場だから、彼のような存在は管理者に適任なんだろう。彼の固定客も多く、アリア最大店舗である新宿店を上手に切り盛りしている。


 向かい合って二人の顔を見ると、急に心臓がバクバクしてきた。脇の下が冷たい。

 私の顔を見て微妙なスマイルをくれながら、羽沢が話し始めた。

「今日来てもらったのは、契約のことなんだ。緊急事態宣言が出て、店舗からお客さんが遠のいた状況が続き、我々としても今迄とは違う手を打っていかなくてはならない」

――キター

 やっぱり契約終了告知だった。これで私もプーの仲間入りか。隣で沖田がへらへらしてる。笑ってる場合じゃないだろうと、怒りがこみ上げてくる。


「それで、森山さんには特別にお願いがあります。検討するのに時間がかかって、年を越してしまい申し訳ないと思っていますが、ぜひ前向きに話を聞いて欲しい」

――終了告知に前向きもないだろう!

 羽澤の言葉に少し違和感を覚えながらも、黙って死刑宣告を待つ。


「そこで来月からの契約だが、」

 羽澤がいったん言葉を切って、私の顔を凝視する。

 早く言えよと思いながらも、悲しいかな反射的につぶらな瞳で羽澤を見つめ返す。

「三年という有期に成るが我々と直接雇用契約を結びませんか」

 言ってる意味が分からなかった。

――店舗に客はいないんだぞ。店舗から人を減らさないと、やっていけないんだろう。


「ただし、仕事は少し変わる。うちのSNSサイトで、モバイル・コーディネーターをやってもらう」

――モバイル・コーディネーター?

「この業界はマーケッティングスタイルがずっと変わらない、今時珍しい業界だ。各メーカーはユーザーニーズをリサーチして、これがトレンドだと思う商品を生産し販売する。お客様は、メーカーのうたい文句を信じて、自分に合うか合わないかという消極的な考えで、これらを購入する」

「まあ、そうですね。どこもそうしてるし」

「その結果、流行に合っているかという点だけが重視され、自分の個性を引き出すという、本来の服の目的を果たせないお客様が大量に生み出される」

「そこがセンスみたいな言われ方はされますよね」

「ではセンスのない人間はどうする?」

「どうするって、センスのある人をよく見て勉強するしかないですよね」

「センスのある人が助けてあげればいいんじゃないかな?」

「そういう友達がいるといいですよね」

「そう、そういう友達を仕事としてやるんだ。それがモバイル・コーディネーターだ」


 そんなサイト、既にいっぱいあるじゃんと思った。うちのサイトだって、けっこういい線いってる。お客さんの投稿だって多いし、ネット販売は今や店頭販売と同じ額を売り上げてるはずだ。

「今回リリースするサイトは、今までのうちのサイトとはまったくコンセプトが異なるサイトだ。お客様にはうちから買った服だけではなく、持っている服を下着に至るまで、全部登録してもらう。お客様にも店舗で全身写真を撮影してもらう。お客様がサイト上で登録した服を選べば、AIがすぐに服を着た姿を表示し、いろんなシーンに合わせて自分の姿を確かめることができる」

 羽澤はだんだんと熱い口調になってきた。このサイトにかける意気込みが伝わってくる。

「だが、一番問題なのは、それを着たお客様を褒めたり、アドバイスを送る人間が足りないんだ。できれば、うちの商品をさりげなく勧められれば、もっといい」

 期待に満ちた目で、羽澤が私を見る。

「無理ですよ。私そんなセンスないし」

「そんなことない。あなたはセンスがある」

 木下が横から口を挟んできた。

「この二年間、あなたの接客をずっと見て来たけど、あなたは流行にとらわれず、お客様に合った商品を勧めてる。ほら、去年のクリスマスにいらしたカップルのお客様に、あなたがスカーフを見立てたでしょう。すごいマッチしてた。セール品じゃないのにお客様が満足して買われたじゃない。あなたの実力よ」

 あのときは事情があってと言いかけて、思いとどまった。一緒に働いていた店長に認められたのが嬉しかったからだ。

「うちとしては、受けてもらえるなら三年間は、この事業が軌道に乗るために全力を尽くして欲しいと思っている。森山さんにもいろいろ思惑があると思うから、今日返事をもらおうとは思わない。でもあまり長くは待てないので、来週には返事をもらえないだろうか?」

 私はこんな風に自分の意志を尊重されたことはなかったので、単純に感激した。

「はい」

 自分でもびっくりするくらい大きな声で答えていた。


「沖田さんは知ってたの?」

 今後の打ち合わせをするために、沖田と二人で入った喫茶店で、私は真っ先にそれを聞いた。知ってたとしたら、けっこうな狸だ。

「私は知りませんでしたよ。羽澤さんからは、契約について直接お話がしたいとだけ伺いました」

「そうなんですか。でもずいぶん落ち着いてましたよね」

「そうですね。終了告知ではないと思っていました。時期的にも遅いし、派遣先の責任者が直接告知することはないですから」

 さすがは、多くの企業を相手取って経験豊富なだけに、腹が座っている。いろいろ考えて青く成ったり赤くなったりした自分が、愚か者に思える。


「どうしようかな」

 沖田への疑いが消えて、俄かに自分のことで頭がいっぱいになった。

「よく考えた方がいいですね。生き方に関わる問題だと思います。森山さんは一度契約社員の話を断ってますしね。ただ今回は、先方は労働力ではなく、あなた個人を欲しいと思ってます。仕事としてはやりがいがあるんじゃないかと思いますが」

「断る人は少ないんでしょうね」

「そんなことはありません。就職できずに仕方なく、派遣という働き方をしている方は多いですが、生き方として派遣を選ばれた方もたくさんいます。そういう方の方が、今回みたいなお話は多いように思えます」

「そういう人はこういう場合にどういう選択をしてますか?」

「半々ですね。そこまで言われるのならと生き方を変える人は多いですが、自分のスタイルは貫きたいと思われる方も多いです。森山さんも他人の考えに左右されず、自分の問題としてよく考えた方がいいですよ」

 沖田の言葉は、私の心に重りのように沈み込んだ。恥ずかしながらこの年になるまで、生き方なんて正面から向き合って考えたことはない。

 私は嬉しさ半分、宿題を出された小学生のような憂鬱な気持ちが半分の、複雑な感情で心を揺らしながら帰宅の途に就いた。

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