第7話 初詣

 例年に比べて盛り上がりに欠けたクリスマス商戦、年末商戦を経て大晦日を迎える。

 地下の食品売り場に比べて、客足の少ない婦人服売り場は暖房が入っているにも関わらず肌寒さを感じる。

 昨日までは二十時まで営業していたが、今日は最終日なので十八時迄の営業だ。客の期待がほとんどないので十七時半には簡単な片付けが始まる。例年ならば仕事納めで一斉に飲みに繰り出すところだが、自粛下ではみんな帰宅することしか考えてない。

 私も今年こそは紅白を生で見ようと、ちっぽけな野望を胸に抱いて終業のアナウンスを待っている。


 あれから東山は、クリスマスの日にもう一度職場に現れた。

 背の高い男の姿を見たときは、二度と来るなと言っただけに、一瞬頭にカッと血が上ったが、その傍らに並んで歩く詩織の姿を見つけ、驚きのあまり怒りのボルテージが急降下した。


 二人はアリアの店舗内に入ると、他の販売員には目もくれず、私のところに一直線にやって来た。急造の笑顔で対応する私に、詩織は優雅なしぐさで「こんにちは」と挨拶し、その横で東山は私から視線をずらして、陳列されているスカーフを見ていた。


「センスのいいお店ですね。スカーフいただこうかしら」

 詩織の声は相変わらず、凛として品のいい響きだった。

「こちらはいかがですか?」

 理由は分からないが、私はなぜかセール品ではなく、正札のままの商品を手に取った。

「いいわね。鏡を見てもいいかしら」

「こちらにどうぞ」

 詩織を鏡の前に案内する。


 コートを脱いだ詩織は、全体的にレースをあしらえたベージュカラーのワンピースで、胸元が大きく開いているデザインにも関わらず、エレガントでお嬢様風の雰囲気をしっかり保っていた。

 私の選んだややダーク調のスカーフは、ブラックのバッグと靴とマッチして、知的に引き締めていた。

 詩織は姿見の前で、左右、後ろをチェックしてから、もう一度正面から全身を映す。

 女の私から見ても完璧なお嬢様で、涼しい顔立ちをより魅力的に見せている。

「どうかしら」

「いいと思います」

 詩織の期待を見事に裏切る東山の感想は、私を酷く落胆させた。

 言葉はともかくとして、女がここまで仕上げてきたのだ、得意の阿保面をこういうときに使えと毒づきたくなる。


「では、これいただきます」

 詩織は平静を装っているが、内心はどうなのか分からない。私は二十は上がった血圧を、どうやって鎮めようか考えながらレジに向かった。


 そんなドタバタ劇を経て、ようやく平和な年越しを迎えられる。

 今のところ派遣契約の打ち切り通知はない。首の皮一枚つながった状態ではあるが、来年もアリアで働けるめどはたっている。

 実際に働く場所を失う危機に直面してみて、初めて働けることの有難さを知った。単に収入だけの問題ではない。働けるということは、お金を払う価値があると認められることで、それを失ってしまったら無価値と判断された場所が増えるということだ。他に自分の価値を認めてくれる場があるならいいが、ない場合には精神的にダメージが大きい。

 契約続行が確実に成って、私は来年を明るい気持ちで迎えることができる。


 家につくと、父親はおせち料理づくりに励んでいた。スーパーで出来合いのものを買ってくれば楽なのに、夜中までかかって作り続ける。

 一方母といえば、テレビの前で缶チューハイ片手にどんと居座り、こちらは紅白が終わって除夜の鐘を聞くまで動かない。風呂だって四時には入って備えている。

 父の邪魔をしないように、母にだけ「ただいま」と言って、自分の部屋に入る。まずは着替えて自分の部屋のテレビをつける。画面ではおそらくジャニーズと思われる、知らない名前のグループが歌っていた。


 スマホが着信を告げる。見ると東山からのラインだった。未読スルーしようと思ったが、詩織のことが気に成ってとりあえず開けてみる。

――今年はお世話になりました。来年は決意も新たにがんばりたいと思います。つきましては、明日初詣をしたいと思います。一緒にいかがですか?


 うう、詩織はどうした! 都知事は、年末年始は家族と一緒にうちに居ろと、言ってるではないか。まったく、この男の予測のつかない行動には、いつも混乱させられる。私は既読スルーすることに決めた。


 しばらくすると、またスマホが着信を知らせる。誰だと思って見るとマリエさんだった。

 久しぶりなので、急いで開ける。

――元気にしてる? 急で悪いんだけど、明日初詣に行く? 柴田さんから誘われたんだけど、東山さんとミサちゃんも来るんじゃないかと言われたから。


 私は何重にも張り巡らされた罠の存在を知って、頭がくらくらした。

 あの夜柴田が言った、マリエと結婚したいのフレーズが頭の中でリフレインしている。

 柴田はあのとき、理由を話そうとしていた。

 それが知りたい。この機会を逃せば、出勤調整が掛かっている今、それを聞く機会は巡って来ないかもしれない。

 すぐに行くと返事したい気持ちを、東山の存在が押しとどめる。詩織に行けと背中を押したばかりなのに、四人とはいえここで会ってしまったら、泥沼に嵌るのは目に見えている。

 ここはマリエさんには謝って、東山にはびしっと既読スルーを続けるべきだ。私の頭の中の半分を占める理性が、私の取るべき行動を示す。一方でもう半分を占める欲望が、四人で一回一緒に居るぐらい大丈夫だと誘惑する。

 せっかく紅白を見ながら、のんびりした大晦日を迎えようとしたのに、働いているときより、難しい局面に遭遇してしまった。

 迷った末に私のとった行動は、マリエさんに行きますと返信を打つことだった。


――寒い!

 スマホで今日の最低気温を見るとマイナス三度と表示された。

 上石神井からバスで来たので、遅れないようにと早く家を出たが、バスは定刻通りついて、まだ集合時間まで三十分以上ある。大事なところは大雑把で、こういう些細なことに心配性な性格が、我ながら嫌になる。

 上半身はダウンジャケット、マフラー、マスクで防備は完璧だが、下半身が冷える。


 武蔵野八幡宮の前で、足踏みしながら十五分程待っていると、柴田さんと東山がやって来た。

「おはよう、ミサちゃん早いねぇ」

「性分ですから」

 思いっきり友好的に声を掛けてくれた柴田に対し、寒さもあって私は力いっぱい不愛想だ。東山は柴田の後ろでぴょこんと頭を下げる。

「ああ、そうだ、年が明けたんだ。明けましておめでとうございます」

「明けましておめでとうございます」

 東山も慌てて前に出てきた。

「明けましておめでとうございます」

「おめでとうございます」

「ハル、悪いけど並んどいてよ」

 柴田さんの頼みに、「いいすっよ」と東山は気軽にOKを出して、列の最後尾に向かった。


 今は午前九時五十分、去年も同じ頃来たが、参拝者の列は境内を囲う塀に沿って、ほぼ半周近くあったが、さすがに今年はコロナの影響でその半分にも満たない。

 時間が経つにつれてだんだん東山が神社の入り口に近づいてくる。日時計みたいでおもしろい。

「ねぇ、去年一緒に飲んだときに、マリエさんと結婚したいと言ったの覚えてる?」

 柴田は何って顔をして、笑顔に変わった。

「もちろん覚えてるよ」

「あのとき理由を教えてくれようとしたよね。あいつのせいで訊けなかったけど」

「そうだったかな」

「そうだよ。気に成るんだけど、教えてくれる?」

「いいけど……そうだなぁ、家の事情かな」

「はあー、家族が関係してんの?」

 家族に気を使ってるなら、夜の女より会社の女の方がいいだろう。

 私の偏見か?


「俺の実家は磐梯熱海ばんだいあたみで旅館やってるんだ」

「磐梯熱海? それどこにあるの? 伊豆?」

 私の知らない地名だった。柴田は苦笑した。

「福島県だよ。新幹線で郡山迄行って、そこから車で三十分くらいかな。温泉街としては割と有名だよ」

「ふーん、それと結婚とどう関係するの」

「まだ、誰にも言ってないけど、俺は今年の五月に三十才になったら、会社辞めて実家の旅館を継ぐために帰らなきゃいけないんだ」

 柴田は存外まじめな顔で話す。本気で家に帰るらしい。

 私は何と言っていいか分からないので、ただ頭を二、三度縦に振った。


「元々、旅館を継ぐ前に、ちゃんと世間を見た方がいいと言われて、東京の大学に進学してそのまま就職したんだ。期間は三十才に成るまでで、世間勉強できるようにということで、学生の時からずっと月五十万円仕送りを貰ってる」

「五十万円、貰いすぎじゃない?」

 私は少しだけ頭がクラッとした。確かに一介のサラリーマンが、あんなにクィーンで遊べるはずがない。

「まあ、旅館で働きだしたら遊べないからな。田舎で遊ぶところもないし。親父とおふくろの親心と思ってるよ。もちろんこれまではほとんど使うことはなくて、貯めていたよ。ここ二年はクィーンに通いだしたから貯まらなかったけどな」

「すごい実家だね。なんて旅館なの?」

「三つあって、雪華荘せっかそう、これはもう百年続く老舗旅館だ。雪花の湯、ネットとかには出てない常連さん用の小さな旅館、ホテル雪華せっか、これは猪苗代湖の近くに建ってる」

「三つもあるの? ちょっと待って、ホテル雪華と」


 私は、とりあえずスマホで検索した。

「ええー一泊二万八千円、客室百二十室、スィート有。なにこれ高級ホテルじゃない」

「まあ、成功してる方だと思う。雪花の湯なんか一泊十万でもちゃんとお客さん来るみたいだから」

「ふーん、ぼんぼんなんだ」

「まあ、今はね。でも高校生のときの小遣いは三千円だったよ」

「ふーん。でもこんなの継ぐって大変そう。兄弟はいないの」

「俺、一人っ子なんだ」

「そうか、でもこんなすごい家だと、お嫁さんになる女性って親が決めたりするんじゃない。大丈夫?」

 内心、マリエさんも嫌だろうなと思った。

「まあ、そういう問題もあるが、今の世の中でそれは通用しない。去年からコロナで三施設共に客数が大幅に減少している。未だに回復の兆しは見えない。そんな不確実性の高い時代に磐梯磐城も突入したとみれば、改革をするしかないだろう」

 旅館の改革とマリエさんとの結婚がどのようにつながるのか分からないが、とりあえず時間がないので、質問は先送りにして説明を続けてもらう。


「うちの旅館はプロダクトアウトなんだ。信じられないだろう、サービス業なのに」

 プロダクトアウト? 聞いたこともない言葉だ。

 戸惑いが顔に現れたのか、柴田は説明してくれた。

「プロダクトアウトってのは、製造業なんかで、いい製品を作れば自然に客は買ってくれるって考え方さ。うちの旅館は、いい施設を最高のサービスで運営すれば、客は向こうからやって来ると思ってるんだ」

「ふーん、何かおかしいの?」

「お前もさっきスマホで検索して宿泊代見たとき、高いって思っただろう?」

「うん、でも仕方ないんじゃない。いい旅館で、いいサービスなら」

「同じような旅館に行って、同じような施設で同じようなサービスなら、お前はもう一度行くか?」

「お金があるなら行ったことがないところに行ってみたいかな」

「そうだろう。でも例えば腰痛を持ってるとして、宿泊客なら先着順で、腕のいいマッサージがサービスで受けられるとしたらどうする」

「ああ、それならリピートすると思う」

「だろう。それがマーケットインって考え方だ。つまり高級化ではなく顧客ニーズを満たす差別化で勝負するんだ」

「それってマリエさんと関係あるの?」

「大ありだ。俺はマリエと二人ならそれが実現できると信じている」

 さっぱり分からなかった。頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになった。


「お待たせ、ごめんなさい遅れちゃって」

 私が混乱している間にマリエさんが現れた。

 集合時間から十分すぎているが、柴田は上機嫌だ。

「ハルが並んでいるから、早速お参りに行こう」

 見ると、私と柴田が話し込んでる間にハルは境内に入り、お参り迄後八人というところまで来ていた。


 お参りも終わって、おみくじを引いた。大吉だったので、奮発して破魔矢も買った。

 マリエさんもお守りを買った。

 男たちは何も買わない。

「無事お参りがすんだし、ご飯食べに行こうか?」

 柴田が満を持して提案した。

「ごめん、私これから実家に行かなきゃいけないの。ご飯は実家で食べるって言ってあるから、本当にごめんなさい」

 明らかに柴田ががっくりきている。

「じゃあ、美紀さんは食べに行きます」

「ごめん、私もこの後用事があるから」

 本当はないが、目的は達成したので、もうここにいる必要はない。

 柴田は無理強いせずに、東山と二人で三鷹の寮に帰って行った。


 マリエさんの実家は私と同じ石神井だ。二人でタクシーに乗って帰ろうと言うことに成った。


 タクシーを捕まえるとマリエさんの方が少し遠いので、奥に入ってもらった。

「ねぇマリエさんプロダクトアウトとマーケットインって知ってる」

 マリエさんは一瞬「えっ」と言って、首を傾けて眉根を寄せた。

「知らない? 何それ?」

 そこで私は柴田に聞いた旅館の話をした。もちろんマリエさんと結婚したいという話はしなかった。

「ふーん、でもそれは当たり前の話じゃない」

「へっ」

 こともなげに言うマリエさんの前で、おそらく私は東山ばりの阿保面に成っていただろう。

「だって、クィーンだって店が立派で綺麗な子を揃えただけじゃあお客は来なくなるでしょう。お客さんの好みはいろいろ違うから。要は話が好きな女の子には話し好きな子を。黒服と話したがるお客には頻繁に黒服呼んだり、威張りたいお客には聞き上手な子という感じで、上手に回さないと二回目はないわ。そういうことが言いたいんでしょう」

「なるほど」

 何となく腑に落ちてきた。ちゃんと解説できるマリエさんはすごいと思った。


――もしかして柴田はこういうところ見てるの?

 私の中で、年末から気に成ってた疑問がひとつ解消した。

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